礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦争末期になって不思議なことが起った(折口信夫)

2021-02-03 01:41:17 | コラムと名言

◎戦争末期になって不思議なことが起った(折口信夫)

 民俗学研究所編『民俗学の話』(共同出版社、一九四九年六月)から、折口信夫の「神道の新しい方向」というエッセイを紹介している。本日は、その四回目。

 たゞわれわれの情熱だけで、宗教を出現させることの出来るものでもありません。宗教には何よりもまず、自覚者が出現せねばなりません。神をば感じる人が出なければ、千部万部の経典や、それに相当する神学が組織せられていても、意味がありません。いくらわれわれがきびしく待ち望んだところで、そういふ人がそういふ状態に入るということは、必しも起って来ることでもありません。
 しかし、たゞわれわれがそうした心構えにおいて、百人、千人、あるいは万人、多数の人間が憧憬をし、憧れておったら、遂にはそういう神を感得する人が現れて来るだろう、おそらくそういう宗教が実現して来るだろうと信じます。
 そればかりではない。おそらく最近に、教養の高い人の中から、きっと神道宗教の自覚者をば出すことになるだろうと思います。
 それには、われわれは深い省みと強い感情とをもって、われわれ自身の心から、われわれ自身の肉体から、迸り出るように、そういう人が、啓示をもって出て来るようにしむけなければなりません。極端ないゝ方をすれば、われわれ幾万の神道教信者の中に、最も神の旨に叶った予言者たり得るものありやということに帰するのです。
 われわれのすべきことはそういう時を待つ態度であります。もし私が、宗教的自覚状態に入って、深い神の意志を把握する――。そういう時に至るまでの用意ができているかというのです。われわれは、どういう神を得ようとしているか。われわれはどういう神をばかって持っておったか。こういう解決を要する、最後的な疑問を持っているのでなくてはなりません。
 ところが、戦争末期になって、不思議なことが起ったのです。
 まことに笑うべき形を持って現れて来たのですが――。そこに考えてよい旨が感じられました。それは神道家、官僚人らの間に、天照大神が上か、天御中主神が上かという争論が起ったことがございました。それをば世上の争いとして、あるいは世上の争いに似たようなことで解決つけようとした人もあったのです。そのとき、われわれは非常に憤りを感じました。神神に関する知識を解決するのに、何たる行動をとるのだろう。宗教のことをば、どういふ筋合いあって、こういうふうに解決しようとするのか。神を汚すことの甚しいものとして、非常に残念に感じ、危く悲憤の涙をこぼすばかりに感じました。
 こういうあり様だから、神々に背かれたのです。しかし今、冷やかになって考えます反省は、日本のこれから後に現れて来る宗教上の神の実体というものが、そこに示されているのだということです。天照大神あるいは天御中主神、それらの神々の間に漂蕩し、棚引いている一種の宗教的なある性質の、混じているところの神なるものが、暗示しているのではないかということです。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2021・2・3(8位の安重根は久しぶり)

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千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いていた

2021-02-02 04:36:49 | コラムと名言

◎千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いていた

 民俗学研究所編『民俗学の話』(共同出版社、一九四九年六月)から、折口信夫の「神道の新しい方向」というエッセイを紹介している。
 本日は、その三回目。【 】内は、原ルビ、または傍点を示す。

 いったい日本の神々の性質から申しますと、多神教的なものだという風に考えられて来ておりますが、事実においては日本の神を考えますときには、みな一神的な考え方になるのです。たとえば、たくさん神々があっても、日本の神を考えるときには、天照大神を感じる、あるいは高皇産霊神を感じる、あるいは天御中主神を感じるというように、一個の神だけをば感じる考え癖というものがあります。そのあいだにいろいろな神々、もっとも卑近な考え方では、いわゆる八百万の神というような神観は、低い知識の上でこそ考えていますが、われわれの宗教的あるいは信仰的な考え方の上には、ほんとうは現れてはまいりませぬ。日本という国の信仰の形は、そういうふうがあると見えて、仏教の側で申しましても、多神的な信仰の方面を持ちながら、その時代々々によって、信仰の中心は、いつでも移動しておりまして、二、三あるいは一つの仏、菩薩が対象として尊信せられてまいりました。釈迦であり、観音であり、あるいは薬師であり、地蔵であり、そういう方々が、中心として、信じられておったのです。これが同時に日本人の信仰のしかただと思います。
 日本人が数多の神を信じているように見えますけれども、やはり考え方の傾向は、一つあるいは僅かの神々に帰して来るのだと思います。今日でも植民地に神社を造ったその経験を考えて見ますというと、みなまず天照大神を祈っております。この考え方はおそらく多くの間違い、多くの植民政策を採る人の間違った考えを含んでおった、あるいはそれを指導する神道家が間違った指導をしておったということを意味しておるのでしょうけれども、やはりその間違いの根本に、そういう統一の行われる一つの理由があった。つまりどうしても、一神に考えが帰せられねばならぬところがあったのだと思います。
 それで、われわれはこゝによく考えて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たというふうな形には見えていますけれども、神その方としての本当の情熱をもっての信仰を受けておられたかということを考えて見る必要があるのです。
 千年以来、神社教信仰の、下火の時代が続いておったのです。例をとっていえば、ぎりしや・ろうまにおける「神々の死」といった年代が、千年以上続いておったと思わねばならぬのです。
 仏教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、欧州の古代神の「聖何某【セントナニガシ】」というような名で習合存続したようなものであります。
 われわれは、日本の神々を、宗教の上に【、、、、、】復活させて、千年以来の神の軛【クビキ】から解放してさし上げなければならぬのです。
 こゝに新しい信徒に向っては、初めてそれらを呼び醒さなければならないでしょう。
 とにかくそうしなければ、日本のたゞいまのこういうふうに堕落しきったような、あらゆる礼譲、あらゆる美しい習慣を失ってしまった世の中は救うことが出来ませぬ。また、そればかりではありません。日本精神を云々する人々の根本の方針に誤ったところが、もしあったとしたなら、この宗教を失っておった――宗教を考えることをしなかった――、宗教をば、神道の上に考えることが罪悪であり、神を汚すことだと――、そういった考えを持っておったことが、根本の誤りだったろうと思われるのです。だからどうしてもわれわれは、こゝにおいて神道が宗教として新しく復活して現れて来るのを、情熱を深めて仰ぎ望むべきだと思います。【以下、次回】

「天照大神」、「高皇産霊神」、「天御中主神」、「八百万の神」の読みは、順に、「あまてらすおおみかみ」、「たかむすびのかみ」、「あめのみなかぬしのかみ」、「やおよろずのかみ」である。
 また文中、「もっとも卑近な考え方では、」というところがあるが、青空文庫では、当該箇所は「最も卑劣な考へ方では、」となっている。ここは、「卑近な」とあるべきであろう。

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宗教的情熱のこれっぱかりもないような生活

2021-02-01 00:27:57 | コラムと名言

◎宗教的情熱のこれっぱかりもないような生活

 民俗学研究所編『民俗学の話』(共同出版社、一九四九年六月)から、折口信夫の「神道の新しい方向」というエッセイを紹介している。本日は、その二回目。

 神道では、これまで宗教化するということをば、大変いけないことのように考える癖がついておりました。つまり宗教としてとり扱うことは、神道の道徳的な要素を失って行くことになる。神道をあまり道徳化して考えておりますために、それから一歩でも出ることは道徳外れしたものゝようにしてしまう。
 神道は宗教ぢやない。宗教的に考えるのは、あの教派神道といわれるもの同様になるのと同じだという、不思議な潔癖から、神道の道徳観を立てゝ、宗教に赴くことを、極力防ぎ拒みして来ておった。
 われわれの近い経験では――勿論われわれは生れておらぬ時代ですが――明治維新前後に、日本の教派神道というものは、雲のごとく興って参りました。どうしてあの時代に、教派神道が盛んに興って来たかと申しますと、これは先に申しました潔癖なる道徳観が、邪魔をすることが出来なかった。一旦誤って潔癖な神道観が、地を払うたために、そこにむらむらと自由な神道の芽生えが現れて来たのです。
 たゞこのときに、本当の指導者と申しますか、ほんとうの自覚者と申しますか、正しい教養を持って、正しい立場を持った祖述者が出て来て、その宗教化を進めて行ったら、どんなにいゝ幾流かの神道教が現われたかも知れないのです。たゞ残念なことに、そういう事情に行かないうちに、ばたばたと維新の事業は解決ついてしまいました。それから幸福な、仮りに幸福な状態が続いてまいりました。そのためにまた再び神道を宗教化するということが、道徳的にいけない、道徳的に潔癖に障るような心持が、再び盛に起って参りました。そうして日本の神道というものは、宗教以外に出て行こうとしました。
 たゞいまにおきましても神道の根源は、神社にある、神社以外に神道はないと思っていられる方が、随分世の中にあるだろうと思います。それについて、なお反省して戴かなければならない。相変らずそうして行けば、われわれはついに、西洋の青年たちにもおよばない、宗教的情熱のこれっぱかりもないような生活を、続けて行かなければならないのです。
 思うて見れば、日本の神々は、かっては仏教家の手によって、仏教化されて、神の性格を発揚した時代もあります。仏教々理の上に、日本の神々を活かしたこともあったわけです。
 そういう意味において、従来の日本の神と、その上に、仏教的な日本の神というものが現れてまいりました。しかし同時に、そういう二通りの神をば信じておったのです。しかもその仏教化せられた日本の神々は、これは宗教の神として信じられておったんぢやないのです。たとえば法華経には、これに附属した経典擁護の神として、わが国の神を考え、崇拝せられて来たにすぎませぬ。日本の神として、独立した信仰の対象になっておったわけではありませぬ。だから日本の神がほんとうに宗教的に独立した宗教的な渇仰の的になって来たという事実は、今までのあいだになかったと申してよいと思います。【以下、次回】

 文中、「かって」は、原文のまま。
 なお、「そういう二通りの神をば信じておったのです。」というところは、青空文庫では、「さういふ二通りの神をば信じてゐたのです。」となっている。このことから、青空文庫にある「神道の新しい方向」は、『民俗学の話』所収のものが書き直されたものであると見て、ほぼ間違いないだろう。また、この箇所だけを根拠にして言うわけではないが、『民俗学の話』所収のものは、講演の速記録だった可能性が高い。

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