渡し舟の” 球磨川八郎さん ”を訪ねてみたよ
八代から人吉に球磨川沿いを上って、楮木地区に向かう。
そうだ! 渡し舟の”球磨川八郎さん”に会ってみようと思いつくままに訪ねた。
八郎さんの小屋に着いたのが、07:20分いきなりで失礼かと思ったが小屋を覗く
対岸の瀬戸石駅から小さな小屋が見える。 楮木地区の道路下に小屋が
失礼を詫びながらお話しすると、朝食の真っ最中の手を止めて優しい笑顔が返ってきた。
八郎さんのお人柄なのだろうか、お客でもない突然の訪問者に椅子とお茶を勧めてくださった。
笑顔がとても優しくて素敵でした。
渡し舟を続けてきたが、最近はお客が少ない(少ない× 滅多にいない◎)
そして、悲しいかな!小屋の場所が国土交通省の管轄で、小屋がダメなのだそうだ
後継者もいないし、このい10月で渡し舟もお終いの様な口ぶりが淋しく感じられた
この地区に生まれて、親父さんの跡を継ぎながら、球磨川を見続け変わり様を悲しんで居られた。
一時お話をした後人吉に向かって走ったが、1km走った時何故かもう一度会いたくなって
八郎さんの小屋に戻って、渡し舟の乗船をお願いすると、快く引き受けてください球磨川へ。
84歳!小屋から船着場まで、腰を直角に曲げて歩いていた八郎さんだったが
凄いと言う言葉以外にない、櫓を握った途端に背筋がまっすぐに伸び、真の職人を感じた。
八郎さんの櫓捌きに圧倒され、ダム建設からの球磨川の変遷お話に胸が痛くなる。
文明の利器と便利さの裏に閉じ込められた人々の苦悶と嘆き、有難うに感謝を忘れてはいけない
暫く球磨川を遊ばせて貰って、八郎さんとお別れする事にすることとなったが
流石に八郎さんの顔を見て『また来ます』と、いい加減な社交辞令の挨拶は出来ず
ただ、今度また来れるか解りませんが御元気でいてくださいと言うのが精一杯だった。
予定外の、球磨川八郎さん訪問だったが、ずっと忘れない体験が出来た。