国語の力があれば社会や理科の問題の理解が早く進みます。
算数や数学の文章題も、文章そのもの、つまり国語力の不足が原因でなかなか思うように解き進めないことがあります。
小学生のうちにこれに気付いて適切な対処をしておけば、この程度の話ならそれほど長引くことはありません。
しかし、それを怠ったり先延ばししているようでは、中学生はおろか、高校生になっても苦労の種がそのまま残ることにもなりかねません。
これまで、ここに通ってくる生徒たちを見続けながら、「何故みんなこのことに気付かないのだろう」とか「気付いていながら適切な手を打とうとしないのだろう」と疑問に思っていました。
その答えは色々あるでしょうが、その一つに(周囲の者にとってはこれはもう致仕方ないのですが)、その生徒と、そして彼(彼女)を取り巻く周辺の環境などの要因がそうさせていることがあると思います。
言い換えれば、誰かがある程度の強制力を持って彼(彼女)にそれ(国語力を基礎から立て直す作業)をさせることがどうしても必要であって、それがあって漸く先に進めるのだという現実を認識することが必要です。
国語なんて、その気になればすぐに出来るものでしょ?などと平然と言ってのける保護者の方が以前おられ、ではいつその気になるのかを非常に興味深く見つめ続けていたことがありました。
しかし、結局中学を卒業するその日まで生徒本人が自発的に「その気」になることは残念ながらなく、保護者の方もそうさせる努力をしたかしないか分からぬまま、つまりは国語に対して真面目に取り組むことをしないまま、最初に目指していたのとはかなり落差のある高校に進まざるを得ませんでした。
この場合、その責任は明らかに本人ならびに保護者の方にもあるのだと、厳しいですが私はそう思います。