昨日書いた「知らないことは存在しない」については、個人的にも思い出があります。
高校生の頃、中学校の修学旅行で行った京都奈良に一人旅した時のことです。
宇治川の上流に天ヶ瀬ダムという大きなダムがあります。
そこに行った時、ダムの上から下を見下ろして、どのくらい高さがあるのかと思ったとき、横にいた大学生が、足元の小石を一つ拾ってポーンと下に投げました(それが良い行為であるかないかはこの際横に置いておきます)。
自由落下運動の計算式が彼の頭にあって、石が底に着くまでの時間(秒数)を計って、それが約5秒であったことから、「およそ125メートルかな」と呟いたその涼しげな横顔の格好良かったこと!
まさしくその瞬間、私は「私の知らないことがある」のに対して、彼は「それを知っている」⇒彼の世界には私の目に見えない(この場合)大きな巻尺があるのだという現実と、そして、それを使って瞬時にダムの高さを計ってみせる事の出来る、目には見えない技の世界を垣間見たわけです。
それが何だ、という人はそれでよろしい。
でも、少なくとも私は「知らないこと」をそのままにしておくことの(生きていく上での)もったいなさをそれ以来いつも意識して、少しずつでもそれを少なくしていきたいという思いから本を読み、知識のある人の話を聞くなどしています。
まだまだ「知らないこと」⇒「自分にとって存在しないこと」が沢山あって、いつも凹むのですが(哀)。
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