本日、13日(金)から15日(日)まで、ACSは夏季休暇中です。
夏期講習を入れている一部の生徒以外は授業がありません。
自習にやってくる感心な生徒の皆さんも、この三日間だけは家で頑張ってくださいね。
16日からは平常通りです。
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夏期講習を入れている一部の生徒以外は授業がありません。
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16日からは平常通りです。
勉強が出来るようになりつつある子供たちには、ある一定の傾向や法則のようなものがあります。
一つ一つ数え上げたらきっとかなりの数になると思いますが、私が思う一つだけをピックアップしてみます。
●途中で投げ出さない ●
これです。
これは、子ども自身の能力として「投げ出さない」ということも勿論ありますが、多くは保護者の指導や持って行き方に呼応してそうすることの方が多いと思います。
要するに、親の言うことを聞く、その指示を守る、ということですよね。
ごく大雑把に言ってしまえば、子供がある程度の年齢に達するまでは、途中で投げ出しさえしなければ、あるレベルまでの学力には到達できるものです。
逆に言えば、途中で投げ出すようでは、最低限度の学力にさえ届かないということです。
ここで注意しておきたいのは、子供は「投げ出す理由」をいくらでも考え出すということです。
多くの場合、それを自分の責めに負わせようとせず、他人のせいにします。酷くなると、全てをそうすることさえありますが、周囲がそれに振り回されていたのでは、結局は子供と一緒になって投げ出すことでしかありません。
良い悪いということではなく、こういうことは多くの子供に見られる一般的なパターンといえなくもありません。
そのあたりを冷静に見極めて、決して振り回されることの無いように心がけて、子供が投げ出さないように持って行くことがポイントでしょう。
欲しいものや必要なものがあって買いに出るとき、求めるものがなかなか見つからないことがよくあります。
店の側にすれば、あれこれと知恵を巡らせ、努力と工夫をして背用品やサービスのラインナップを揃えて顧客のニーズに応えようとしてくれますが、それでも互いの思惑の隙間に取り残されたように、こちらが今本当に求めているものがそこに見つからないということもよくあることです。
学習塾においても、このことはあり得ます。
ここで顧客である生徒やその保護者の方々が求め、必要とするものは、他の商品やサービスの現場と同様、実にさまざまな形をもっています。
ある生徒は、今この瞬間のきめ細かな教科指導を求められます。
しかし、また別のある生徒は、「今」ではなく、2ヶ月先のテストで結果を残すことを期待して、それに合った指導を求めます。
或いは、同じ学校の同じ学年、同じ教科であっても、そこで求められる指導の中身に違いがあることもあります。
もしかしたら、学習塾なのに、ここで求めることが、実は教科の指導ではなく、たとえばイジメに関する相談や、ある種の心のサポートであるかもしれません。
全部が全部、それらに対して満額回答をすることは出来ないかもしれませんが、しかし、それに答えようと努力することが学習塾の商品である指導やサービスを調えていくことでもあるのだと思います。
こうして、「個別指導型の受験指導」をベースに、ここにさまざまな形のサービスを乗せていくということ。
これによって顧客満足殿最大化を図っていくことが私たちの目指す道です。
出来るか出来ないかは、まずやってみて、それから判断すればよいのですから。
好んで勉強する子はあまりいないかもしれませんが、だからといって、彼らがこれを好むまで待っていたのでは、いたずらに時間ばかりが過ぎてしまうばかりですよね。
先日、この欄で普段化学などを担当している或る講師が、おりからの低気圧にかこつけてこれを題材にした即席話法で理科の興味を喚起したという話を書きました。
こうした例は、実は結構あって、このところの異常気象などは、地球と太陽の関係に関する話題や、地球自体の物理的な話に結び付けてこれを解説すると、多くの生徒が目を輝かせるようにして聞き入ります。
暑くてかないません、などという会話が続くときは、ホメオスターシスに結びつけて話をすれば、人体が如何に成功に組み立てられているか、その機能が如何に安定しているかという、理科と保健体育の両方にまたがった説明になります。
ほかにも様々な手法があって、それらを適宜用いることで、知らないうちに生徒の知識になるような仕掛けが働くように持って行くことが肝心で、大上段に構えて「さあ、これから説明するぞ」というような体勢ではあまりうまくありません。
普段行っている1回80分の授業などではあまりこうした小技を使う時間的な余裕はありませんが、朝から夕方までびっしり詰まっている夏期講習の期間は、授業のところどころや、授業と授業の合間などで、ちょっとしたエスプリの利いた話を挿入すること。
こうした小さな工夫で、途切れがちな生徒の集中をつなぎとめ、或いは更に集中させることは十分に可能ですし、大切且つ必要なことであると思います。
学年ごとに学ぶべき単元が決められているということを考えるとき、仮にそれらのひとつを飛ばしたり、いい加減にやり過ごしたままでいることは、連綿と続く単元の関連や関係に断絶を生んでしまうことにつながります。
言葉を変えれば、家を建てるに際して1階部分を造らずに2階を組み上げようとするに等しく、これでは家など立ちません。
勉強に当てはめて考えれば、これでは勉強になりませんよね。
何を言いたいかというと、やるべき学年でやるべき単元をしっかりやり遂げなさい、その上で先に進みなさいということです。
たとえば、中学校の歴史で「武田氏が治めていた国は」という文章が出たときに、すぐに山梨県の名前や位置が頭に浮かばなければ、これを実感することができません。
この場合、県名や位置などは小学校4年生で習う単元ですから、それが分かっていないという時、その生徒は4年前の単元を置き去りにしたまま今日まで過ごしてきたことを意味します。
大事なことは、「今までも分かっていなかったし、どうということもなかったからいいや」といって、またもやここでやり過ごすのではなく、これを機会に一念発起し、過去に立ち返ってやり直す勇気を持つことです。
こういう種類の勉強は、誰かに教えてもらうという種類のものではなく、殆どが自分の中の気持ちの動きに掛かっています。
中には、「自分ひとりではやっぱりよく分からない。先生に教えてもらいたい」という生徒も居るかもしれません。算数などはそういう科目のひとつかもしれません。
そういう生徒のニーズには、それに特化した期間限定の授業が向いているかもしれません。
現在進行形で学んでいる単元とは少し離れた所にある単元で、且つ今からでも覚えておくべき必要な単元を修め直す講座です。
ACSでは、そういうことに特化した講座も用意しております。
私立中受験をする小学生の勉強は、公立中の3年生レベルの難しさがあると言われています。
そのくせ、算数では中学の数学で使う用語や概念をそのまま用いて授業をすることができませんので、教える段にとっても難しいものがあります。
国語も同様で、特に読解問題の難しさは定評があります。
ACSでは四谷大塚の予習シリーズを主要教材とした国語授業を行っていますので、年間を通じて40単元程の問題(文法を含む)を、解説を交えながら解き進めていきます。
最初のうちは、小学5年生や6年生がこれを解くのはかなり難しく、大抵の生徒が心底困った顔をしてみせますが、1回の単元毎に詳細な解説を施していくに従って、ぽつぽつと正解が出てくるようになり、そういうことが続くと自信にもなって、取り組む姿勢に明らかな変化が見えてきます。
こうなると、教える側としても確かな手応えをここに感じて、それ以降の授業におけるポイントをより正確な形で彼らに示すことができます。
ここから先は、あらゆることが好循環して行きます。
こういうことは、多分国語にとどまらず、全ての科目にも当てはまるのだと思いますが、問題は、如何にそこに至る時間を少なく出来るか、同時に、その過程において頑張っている彼らのモチベーションを維持していかれるかという、まさにそのあたりにあるのだと思います。
いずれにしても、まだ十分に頭の柔らかいこの年代の生徒たちの秘めた可能性は素晴らしいものがあることを、一回一回の授業で強く実感する毎日ではあります。
そして、その可能性は、ほぼ全ての生徒たちが同様に秘めているであろうことも。
化学が得意な生徒は、おそらくこのページを見ても見なくても化学を勉強するでしょう。
ですから、このページは化学が苦手で、化学を捨てて生物を勉強しようと思っている生徒(特に1年生)を対象にしています。
まず、一言に化学と言っても、化学は大きく理論・無機・有機の三分野に分かれています。この3つを大雑把に特徴づけるならば、
① 論化学・・・計算問題中心
② 無機化学・・・暗記中心
③ 有機化学・・・暗記中心(無機よりはパターンがある)
というように特徴づけをすることができます。
高校では、「理論」→「無機」→「有機」の順で学習が進んでいくので、計算問題が苦手な生徒は、最初の「理論」で躓いて化学が嫌いになることが多いのです。
計算問題が苦手で理系という生徒はまず居ないため、このような生徒のほとんどが文系です。
現に高校時代、私の周りでも1年生の始めの時期に「理論化学の計算問題」に躓き、化学を捨てた友人が多数居ました。
文系である限り、私立大学の一般入試や国立の2次試験で化学を使うことはありません。したがってこれを見ているあなたは、センター試験のみで化学を使おうどうか迷っているはずです。
ここで重要なことを言います。
「センター試験の化学の計算問題は簡単です。」
全て解答は選択式のため、よくわからない有効数字に惑わされることもありません。
選択肢に自分の答えがなかった場合、それが計算ミスだと気付くもできます。しかも試験時間も充分な時間があるため計算はゆっくり行えます。
高校の中間テストや期末テストは解答も記述式で、あなたは、自分の出した答えが正しいのか、また小数点の付け方はただしいのか、四捨五入は必要か・・・と様々なことに悩まされていると思いますが、センター試験にはそのような心配は無用です。
センター試験の計算問題のほとんどが中学までの比で解けますし、暗記する量も実は非常に少ないです。30時間の勉強さえすれば70点が取れるという人も居ます。
すなわち実際のセンター試験で化学は「楽な科目」のうちの一つと言えるのです。 ですから、理論化学分野の「学校のテスト」での煩雑な計算問題に嫌気がさしているような方も、すぐ捨てようとは思わずにもう少し化学を勉強してみてはどうでしょうか。
子供たちに勉強(のし方)を教えていてよく思うことに
「子供たちが受け止め易い球を投げる」
ということがあります。
スポーツの世界では、これとは逆に「如何に相手が受け止めにくい球を投げるか」が勝負になりますよね。「球」を「技」と置き換えてもよいでしょう。
勉強でこれをやったのでは、子供たちならずともたちまち嫌になってしまいます。
勿論、勉強というのは「今まで分からなかったことを分かり、知らなかったことを知るようにすること」ですから、はじめのうちは誰にとっても難しいものではあります。
でも、子供たちにすれば、難しいものを難しく教えられるなら学習塾に通う必要は無く、難しいものをまだ知識の無い彼らが如何に受け止めやすい形にして示し、届けてくれるかが大事なポイントになるのだと思います。
難しいものを極力分かり易い形にして生徒の頭脳に届ける。このための工夫の仕方は無限に近くあります。
また、同じ工夫でも人や場所や時が変わればたちまちその有効性が損なわれることもありますので、それを防ぐという意味での工夫も必要です。
勿論、こうした周囲(学習塾)の努力や工夫も、昨日ここで書いたような、自ら努力する気概も辛抱も無い子供であれば、そこには何の成果も生まれはしないのですが。
この欄では、度々「効率的な勉強の仕方」、言い換えれば、「どうしたら勉強が出来るようになるか」について書いています。
「勉強が出来る」という、あまりにも直截的な表現に抵抗を感じないでもなく、そして、「だから何?」という気がしないではないですが、それはこの際横に置いています。
今日は、逆の視点から書いてみます。
「勉強の出来ない子」を、主に環境面や行動面から見て、それを解決・解消することで今の状況から抜け出すことが可能になるのではないか?ということです。
では、「勉強の出来ない子」の特徴を書き出します(他動性・学習障害などといった概念は除きます)。
● 甘やかされて育った子である。
● 親、或いは保護者が子供を叱れない、突き放せない。
勉強ができない、それをする姿勢や態度を維持できないという子の大抵は、その度合いは別として、このパターンに当て嵌まります。
甘やかされているという事とイコールなのが、次のような行動パターンに繋がります。
● いつでもどこでも自己流が通用すると勝手に決め付けている。
● それを嗜める周囲の(主に)大人の言葉を素直に受け入れられない。だから反省しないし、出来ない。
● 嘘をつく。その場に居なかった人に向かって、誰々がああいったこうした等といった嘘を並べ立てて自分を正当化する。
● 行動にメリハリがない。勉強時間中に飲食する、ケータイ操作するなどの幼稚な行動をする。自らそれを反省し、改めることが出来ない。
いかがでしょうか。
こうしてみてくると、「勉強が出来ない」のは、「勉強そのものをやっても出来ない」のでは必ずしもなく、それ以前の段階での行動にそもそもの原因があるのではないかと考えられます。
そして、学習塾や学校という場、およびそれらの役割と重ね合わせて考えた場合、それらの原因をどうこうするのは、どう少なめに考えても、まず最初にそれをするべき立場にあるのは家庭であり親(保護者)であると思います。
学習塾や学校に全くそれにタッチする義務がないなどとは言いませんが、それは最大限に考えても家庭と同列か、本来は後順位に位置するものであって、これらの機関の第一義的役割は、 「技術としての勉強(のしかた)を教える事」にあると言えます(学校は、それと並行して社会生活の訓練をする場でもあります)。
上に挙げたパターンに嵌まり込んでいる子は、最初にその部分に手をつけなければ、周囲の大人が何をどう努力しても効果は限定的です。
それをどうにかする努力をした人(親も本人も)だけが、その努力の度合いに応じて勉強の仕方を身につけることが出来、そしてその先にある成果を掴むことが出来ます。これを、私は長年の経験から断言できます。
ある生徒から聞かれました。
「先生、夏期講習と普通の授業は、何がどう違うのですか? お母さんがそれを聞いて来いって」
この生徒は、今年の春に入会してきた中2生。
再来年の事とはいえ、今から公立高校への進学が至上命題であるらしく、熱心な保護者からは、何をどうしたら日々それに向かって進んでいかれるのかを折に触れ聞かれます。
成績は中レベルで、部活動も熱心な生徒なので努力次第で可能性は広がっていくと思いますが、いかんせん、どうやったら効率的な勉強が出来るのかっという点の理解がまだ不十分なため、常に試行錯誤しながらの勉強方法になっています。
私は、このように答えました。
「夏期講習の意味ややり方は、生徒一人ひとりで違ってきます。
あなたの場合は、限られた日数で、これまで苦手なために
これまで中途半端な理解で終わってしまっていた科目の単元を、優先順位をつけて取り戻すこと。これが第一。
第二は、『考えて解く』事と、『暗記する』事とに分けて、効率的な勉強の仕方をマスターすること。
第三は、9月初めに予定されている定期テスト対策とすること。
夏期講習は約40日間というまとまった時間を取って朝から勉強できる絶好の機会だからこそ、こうした複数の目的を同時に追い求めることが出来るのです。学校が始まったら、こうした機会はなかなかありません。
まさに、『夏期講習だからこそ出来る』のであって、いつでも出来ることではありません。
このことをよく考えて、やるならあくまでも前向きに、そして積極的な気持ちを持って、この機会を逃さず、中身濃い時間としてください」
『夏期講習だからこそ出来ること』は、言葉を変えれば『夏期講習でしか出来ないこと』でもあるのですから。
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