今回の東京都知事選挙ですが、どうも私が一番懸念する展開になりそうな気がして仕方がありません。その展開というのは、「浅野vs吉田(若しくは反石原)の"どんちゃん騒ぎ"」が悪い方に作用して、「反石原」の大義自体が"道化・茶番劇"と化した場合です。当初は明確だった「反石原」の機運が、候補者乱立と三流芸能人紛いの泡沫候補の参入によって、「何となく、気分としての反石原」や「反石原の気分にのった機会主義者の単なる狂宴、劇場政治」に成り下がってしまって、逆に石原慎太郎を「低次元のバッシングに屈しない鉄の男」として引き立ててしまう事になりはしないか、という懸念です。丁度、郵政解散で追い詰められた小泉純一郎が「不屈の男」を演じる事で逆に自民党の大勝をもたらした時と同じ様に。
実はこの間、自分の勤め先でも何人かの人に、「今度の都知事選、どうなると思う?」と、それとなく聞いてみたのです。今の勤め先はガテン系で「自民ウヨク大好きB層」も一杯屯する職場ですが、それでもごく数人ですが「これは」と思う人に、自分の「反石原」の立場を明らかにして石原都政の諸々の問題点も指摘した上で、さり気なく聞いてみました。すると案の定、浅野候補に対する評判はイマイチでした。彼らは政治の事や浅野・吉田・黒川の違いもよく分らないですが、それでも「浅野は、装いだけは何やらケバケバしいが、何だかんだ言っても結局は"後だしジャンケン"で出てきたタマじゃないか」という事は見抜いていました。そして、「結局、叩かれれば叩かれるほど余計に石原が引き立つのでは」という事を言っていました。
これが杞憂であれば良いのですが、どうも現実になりそうな嫌な感じがします。世論調査では「一歩リードの石原を浅野が追う」というのが大方の見立てだそうですが、私はどうも「これは上滑りの観もあるのではないか」という気がします。確かに、浅野候補の方が吉田候補を凌いで、そこそこの得票はするでしょうが。
この間、石原都政のデタラメぶりがここまで明らかになってきて、当初風は明らかに「反石原」の方に吹いていたのに、何故この様な展開になってきたのでしょうか。
私ははっきり言って、浅野候補自身の責任が大きいと思います。浅野候補を支持する人たちは「共産党単独推薦の吉田では勝てない、ここは市民が推して保守層からの得票も見込める浅野候補への支持を"人民戦線"方式で広げていこう」と主張しますが、私はこの「保守層からの得票も見込める」云々のくだりが逆に仇となって、後々まで浅野陣営の足を引っ張る事になるのではないかと思うのです。
政策や人柄では何といっても吉田候補がピカイチですし、私も吉田候補を支持する立場ですが(その上で場合によっては浅野氏への票の集中もアリだとは思っている)、確かに今のご時世では、かつての美濃部都政や黒田大阪府政が誕生した時の様な支持の広がりは期待できないのかも知れません(今回擁立したのが田中康夫氏ならまた違った展開を辿ったでしょうが・・・)。
では仮に百歩譲って「かつての社共革新共闘の様な感覚ではもはや勝つ事は出来ない、ここは支持層を広げる為にもっとソフトに行かなければならない」「党人候補ではなく知名度のあるタレントや有識者・著名人を市民が担ぐ形にしなければならない」というのが正しいとしましょう。しかし、いくら「ソフトで行く」にしても、肝心要の政策・対立軸は、寧ろ戦術面でソフトに行くのなら尚更余計に鮮明にしなければ、有権者にとっては「一体今の都政の何が問題で、それをどう変えたいのか」が全然見えてこないのではないでしょうか。
その中で、さあこれから石原三選阻止に向けてと言う時に、逆に浅野候補の「石原都政一期目の評価は80%だった」とか「オリンピックは一度立ち止まってやるか止めるか考えてみる」とか言う言明を聞くと、私などは「この人、今頃になって何でこんな興ざめするような事を言うの?」「本気で石原都政を変えたいと思って出てきているの?」「ただ何となく反石原の時流・気分に乗って出てきただけではないの?」「何でこんな人の為に吉田候補が降りなければならないの?」と思ってしまうのです。そしてウチの職場の「自民大好きB層」は、そこに更に「プロ市民」の陰を見てとってしまうのです。実際、私が聞いた中でも、「浅野が出たから丸山やドクター中松なんかも俺も俺もと出てきたんだ」と言っていた人もいました。
浅野候補の政治的"曖昧さ"は、ひょっとしたら民主党支持層の支持を取り付ける為の方便なのかも知れません。しかしその事で「反石原」市民団体と候補者の政治性との間で齟齬を生んでいたのでは、逆にそれがある種の「胡散臭さ」や「ワザとらしさ」を醸し出す事になり、折角の「反石原」票も逃げてしまいます。それが吉田候補へと流れれば未だしも、「棄権」となって「石原の一人勝ち」となっては目も当てられません。
東京の民主党など、元々石原与党でハナから反石原ではなく、単に勝ち馬に乗りたい一心で浅野候補に接近しているだけなのですから、前回都知事選でも石原支援に回ったような勢力などは浅野陣営の方から切り捨てて、反石原の革新色を鮮明にすればもっと支持が広がりそうなものを。何に遠慮しているのか知りませんが、周囲がことさら反石原を強調すればするほど、候補者自身の歯切れの悪さが余計に目につきます。「ルペン阻止の人民戦線」に投票したつもりが、蓋を開けたら「反ファシズムなど形だけだった社会大衆党」への支持にしかならなかったというのでは、投票した庶民がバカを見るだけです。
この選挙、試されているのは石原慎太郎だけではありません。浅野・吉田・その他の候補の「反石原の本気度」もまた試されているのです。そういう目で各候補者を見ると、浅野氏には、個々の政策が新自由主義的とかいう以前の問題として、この「本気度、気迫」がイマイチ感じられないのです。これが私が浅野氏に対して魅力を感じられない最大の理由です。
それは浅野候補が保守にもウイングを広げようとしている故なのかも知れませんが、しかし「八方美人」であろうとすればするほど「反石原」の焦点は逆にぼやけ、それだけでなく「B層」からは「反石原」の大義自身にまで「不信の目」が注がれる結果になる(従って単に浅野陣営だけの問題では収まらない)事を、もっと自覚すべきではないでしょうか。
実はこの間、自分の勤め先でも何人かの人に、「今度の都知事選、どうなると思う?」と、それとなく聞いてみたのです。今の勤め先はガテン系で「自民ウヨク大好きB層」も一杯屯する職場ですが、それでもごく数人ですが「これは」と思う人に、自分の「反石原」の立場を明らかにして石原都政の諸々の問題点も指摘した上で、さり気なく聞いてみました。すると案の定、浅野候補に対する評判はイマイチでした。彼らは政治の事や浅野・吉田・黒川の違いもよく分らないですが、それでも「浅野は、装いだけは何やらケバケバしいが、何だかんだ言っても結局は"後だしジャンケン"で出てきたタマじゃないか」という事は見抜いていました。そして、「結局、叩かれれば叩かれるほど余計に石原が引き立つのでは」という事を言っていました。
これが杞憂であれば良いのですが、どうも現実になりそうな嫌な感じがします。世論調査では「一歩リードの石原を浅野が追う」というのが大方の見立てだそうですが、私はどうも「これは上滑りの観もあるのではないか」という気がします。確かに、浅野候補の方が吉田候補を凌いで、そこそこの得票はするでしょうが。
この間、石原都政のデタラメぶりがここまで明らかになってきて、当初風は明らかに「反石原」の方に吹いていたのに、何故この様な展開になってきたのでしょうか。
私ははっきり言って、浅野候補自身の責任が大きいと思います。浅野候補を支持する人たちは「共産党単独推薦の吉田では勝てない、ここは市民が推して保守層からの得票も見込める浅野候補への支持を"人民戦線"方式で広げていこう」と主張しますが、私はこの「保守層からの得票も見込める」云々のくだりが逆に仇となって、後々まで浅野陣営の足を引っ張る事になるのではないかと思うのです。
政策や人柄では何といっても吉田候補がピカイチですし、私も吉田候補を支持する立場ですが(その上で場合によっては浅野氏への票の集中もアリだとは思っている)、確かに今のご時世では、かつての美濃部都政や黒田大阪府政が誕生した時の様な支持の広がりは期待できないのかも知れません(今回擁立したのが田中康夫氏ならまた違った展開を辿ったでしょうが・・・)。
では仮に百歩譲って「かつての社共革新共闘の様な感覚ではもはや勝つ事は出来ない、ここは支持層を広げる為にもっとソフトに行かなければならない」「党人候補ではなく知名度のあるタレントや有識者・著名人を市民が担ぐ形にしなければならない」というのが正しいとしましょう。しかし、いくら「ソフトで行く」にしても、肝心要の政策・対立軸は、寧ろ戦術面でソフトに行くのなら尚更余計に鮮明にしなければ、有権者にとっては「一体今の都政の何が問題で、それをどう変えたいのか」が全然見えてこないのではないでしょうか。
その中で、さあこれから石原三選阻止に向けてと言う時に、逆に浅野候補の「石原都政一期目の評価は80%だった」とか「オリンピックは一度立ち止まってやるか止めるか考えてみる」とか言う言明を聞くと、私などは「この人、今頃になって何でこんな興ざめするような事を言うの?」「本気で石原都政を変えたいと思って出てきているの?」「ただ何となく反石原の時流・気分に乗って出てきただけではないの?」「何でこんな人の為に吉田候補が降りなければならないの?」と思ってしまうのです。そしてウチの職場の「自民大好きB層」は、そこに更に「プロ市民」の陰を見てとってしまうのです。実際、私が聞いた中でも、「浅野が出たから丸山やドクター中松なんかも俺も俺もと出てきたんだ」と言っていた人もいました。
浅野候補の政治的"曖昧さ"は、ひょっとしたら民主党支持層の支持を取り付ける為の方便なのかも知れません。しかしその事で「反石原」市民団体と候補者の政治性との間で齟齬を生んでいたのでは、逆にそれがある種の「胡散臭さ」や「ワザとらしさ」を醸し出す事になり、折角の「反石原」票も逃げてしまいます。それが吉田候補へと流れれば未だしも、「棄権」となって「石原の一人勝ち」となっては目も当てられません。
東京の民主党など、元々石原与党でハナから反石原ではなく、単に勝ち馬に乗りたい一心で浅野候補に接近しているだけなのですから、前回都知事選でも石原支援に回ったような勢力などは浅野陣営の方から切り捨てて、反石原の革新色を鮮明にすればもっと支持が広がりそうなものを。何に遠慮しているのか知りませんが、周囲がことさら反石原を強調すればするほど、候補者自身の歯切れの悪さが余計に目につきます。「ルペン阻止の人民戦線」に投票したつもりが、蓋を開けたら「反ファシズムなど形だけだった社会大衆党」への支持にしかならなかったというのでは、投票した庶民がバカを見るだけです。
この選挙、試されているのは石原慎太郎だけではありません。浅野・吉田・その他の候補の「反石原の本気度」もまた試されているのです。そういう目で各候補者を見ると、浅野氏には、個々の政策が新自由主義的とかいう以前の問題として、この「本気度、気迫」がイマイチ感じられないのです。これが私が浅野氏に対して魅力を感じられない最大の理由です。
それは浅野候補が保守にもウイングを広げようとしている故なのかも知れませんが、しかし「八方美人」であろうとすればするほど「反石原」の焦点は逆にぼやけ、それだけでなく「B層」からは「反石原」の大義自身にまで「不信の目」が注がれる結果になる(従って単に浅野陣営だけの問題では収まらない)事を、もっと自覚すべきではないでしょうか。