アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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参考資料:共産党等との関係づくり活動まとめ(東プロ)

2007年03月25日 22時57分03秒 | 反石原・’07東京都知事選
※市民団体「東京。をプロデュース」(東プロ)のサイトに掲載された下記文書を参考資料として全文転載します。尚、転載にあたっては、読みやすくする為に、改行位置の是正や段落分けなどの最小限の技術的編集を加えました。


主に「共産党」・「革新都政の会」等との関係づくりに関する活動のまとめ(東京。をプロデュース2007)
 http://top2007hp3.exblog.jp/

2005年
9月30日
○共産党東京都本部へ、「石原都知事の対抗軸となる会派の統一候補づくりを呼びかける会をたち上げて活動していく旨」ご挨拶
 副委員長2名に対応していただく
 当会より「候補者選考がどういう形で始まるか、そこに関わることはできるか」と質問
 共産党「革新都政をつくる会で話し合う。そこに参加はできないが、もう少し広く懇談会にすることがあるので、そこへご案内をする。」
 ※連絡を待ったが、共産党からのお声かけはなかった。

10月中旬
○東京都の教育問題に取り組んできた、"学校に自由の風をネットワーク"の有志5人で、(仮称)風のネットワークへの参加呼びかけ

11月12日
○(仮称)風のネットワーク準備会発足

12月5日
○平和と人権の都知事を!市民連絡会に名称決定

2006年
1月13日
○渡辺治氏(一橋大教授)と面談
 2003年の都知事選で、野党共闘で候補者擁立を目指し活動された経験の聞き取り調査、そこからのアドバイスを受ける目的

2月中旬
○会の活動を紹介するリーフレット作成
  
下旬
○革新都政をつくる会へ挨拶
○以後、労働組合、市民団体等へ挨拶

3月  
○4・6集会の準備(都知事選1年前というタイミングで、「今からつながり始めよう」という主旨)

下旬
○共産党、革新都政の会へ、4・6集会へのご案内

4月6日 
「4年に一度のチャンスをつかむ4・6集会」開催:なかのZERO小ホール)
○共産党、革新都政の会の方々参加
 ※以降、4・6集会からつながった人たちとともに、運営委員会を重ね、会の形(名称、スタンス、活動内容)などの話し合いを持つ

27日
○革新都政をつくる会と都民要求実現全都連絡会「都民要求署名」スタート集会で、「平和と人権の都知事を!市民連絡会」として発言
 参考資料:「都民要求署名」スタート集会共同ニュース(2006年6月5日)掲載の全文
 タイトル:統一候補でチャンスを活かそう」
 「平和と人権の都知事を!市民連絡会」
************************
4月初めに斎藤貴男さんを招いて「 '07年都知事選、つながるのは今」という集会を中野ゼロで開いた市民団体です。東京タワーのイラストを覚えて頂いている方もおられると思います。都民連に入っていない独自の市民組織が何故ここに来て発言をしているのか、またその存在意味についてお話したいと存じます。
(1)どういう人たちがやっているのか
 日の丸君が代の押し付けに反対する都立高校保護者が中心となり、大元である都知事を替えたいと考え活動を始めました。またその源流には杉並の市 民運動があります。元気な無党派層を中心に民主党支持者から社民党、新社会党、共産党支持者まで幅広い有志が集っています。 
(2)どういうプロセスを考えているのか
 複数乱立すれば敗北は明らかです。民主党も含めた統一候補を是非実現したい。
そのために市民運動の盛り上がりを作り、学者・文化人にも一肌脱いでいただき、諸団体や各政党に少しづつ(大幅に?)歩み寄ってもらい、統一候補づくりに一緒に悩んでもらいたいと考えています。実際に連合を始めとする多くの団体に働きかけを始めています。
(3)何が大事と考えているか
 とにもかくにも市民の熱い盛り上がりが全ての土台と考えています。政党間の共闘や良い候補者は勿論重要ですが、市民の主体的関わりを抜きに例えムードで勝利したとしても、すぐムードでひっくり返されてしまうでしょう。都知事選挙は、市民自身が政治に関わり民主主義社会を支える主体として自覚と力を高めるチャンスであると位置付け、市民の運動を広めることが大事と考えております。
本日は各分野から当事者ならではの切々たる訴えが聴けました。今後とも各分野の皆様と繋がりあって参りたいと存じます。

6月14日
○「東京。をプロデュース2007」という名称で活動開始
 ※以降、呼びかけ人をお願いしながら会員・賛同人を募集

7月20日
○共産党都副委員長に経過報告、
 4・6集会において出演者による共産党関連の発言の中で、「共産党が党独自のPRをしたがることへの対策」などの表現があったことをお詫び
 ※候補者選考はすでに2月から開始しており、9月25日の日比谷公会堂集会でお披露目ができればいいという情報

21日 
○社民党衆議院議員と面談

8月3日  
○生活者ネットワーク事務局長と面談
○都議会民主党新・旧政調会長と面談

9日 
○前回候補者・樋口恵子氏と面談

9月25日
○日比谷公会堂での革新都政をつくる会の集会に参加

9月末  
○共産党都副委員長と面談
 当会が出した※第2回運営委員会(8月8日)の報告書について、組織内で前回7月20日に対応してくださった副委員長の立場が悪くなったこと について謝罪
 ※当会の報告書より抜粋:
 ○政党等との面談報告 《主な内容》
 ◇共産党東京都本部副委員長 (7月20日)
 ・革新都政をつくる会において、8月末までには候補者を選出したい。できれば9月25日の日比谷公会堂集会でお披露目ができればよい
 ・その後であっても、よりよい候補者と政策協定を結べる場合は、交渉して降ろす用意はある
  副委員長より「過去にそういったこともやってきたという流れの中での話」

10月23日
○民主党都連幹事長との面談

10月25日
○吉田万三氏立候補表明

10月31日
○渋谷公会堂で吉田万三さん立候補の集会に参加

11月 2日 
○革新都政をつくる会と面談

6日 
○共産党都副委員長と面談
 ※以下、11・26シンポジウムへの企画提案と参加要請の過程

8日
○急遽吉田万三さんに直接話を聞くという内容を提案。

9日
○革新都政をつくる会へ申し入れ。その日のうちにOKのお返事。

10日 
○民主党が独自候補擁立の方向性を新聞発表。
○民主党都連へシンポジウム出演要請。夕方OKのお返事。
○生活者ネットワーク、社民党、新社会党へも出演要請。

11日 
○お声をかけた全ての会派からOKの返事。

26日
○大胆シンポジウム「統一候補の可能性」開催

12月5日 
○第6回運営委員会
 シンポジウムの出演交渉の経過に関する反省(第6回運営委員会報告書より)
・当初、吉田万三さんに来ていただいて直接語っていただくという企画が、次の日には民主党の独自候補擁立の方向性の発表によって、「では民主党にも・・。」となり、最後には「各会派にみんなに。」と、企画内容が変わったことで、最初にお声かけをした革新都政の会と共産党に対して不備が重なり、共産党にもお声かけをしたが、間に合わなかった。

11日
○生活者ネットに挨拶
○新社会党に挨拶
○共産党に挨拶

12日 
○革新都政の会へ挨拶
 ※以降、当会でも民主党から共産党までが応援できる候補者探しを開始

29日
○革新都政の会へ候補者選考の経過報告
 「なぜ、吉田万三が統一候補の俎上に上らないのか」と反論される
       
2007年
1月11日
○民主党都連へ挨拶
※民間人で著名なニュースキャスターなどを中心に交渉
  
中旬~下旬
○民主党へ、党内候補ではなく、共産党も乗れるような人物と形態での擁立をお願いしながら情報交換を行なう

2月8日
○革新都政の会へメールで、吉田万三さんの志を持って都政にあたってくれる方がいないものか、懸命に探していることを報告

12日
○当会でも複数の推薦があった浅野史郎氏と面談
○世田谷で遊説中の吉田万三さんを訪問、激励

13日
○浅野氏が信頼する方と面談
○革新都政の会に、浅野さんが信頼を寄せる方と会っていただけないか電話で打診。

14日 
○蒲田で遊説中の吉田万三さんを訪問。統一候補の可能性がある候補者が見つかりそうだということをお伝えする

15日
○第8回運営委員会にて、浅野氏を統一候補の可能性のある候補者として当会でも立候補要請活動をしていく方向を確認

16日
○「浅野史郎さんを東京都知事に出馬させる会」の集会に合流

17日
○革新都政をつくる会に、当会としては浅野さんを統一候補として今後の活動をやっていきたい旨を報告。
 革新都政の会からの「なぜ吉田万三さんが統一候補の俎上に上らないのか。」という憤まんに対し、「吉田万三さんを統一候補にと考えるならば、なぜ最初から民主党をはじめとした、石原都知事の対抗軸になるような会派も含めて候補者選考を行なわないのか? 共産党一党のみの推薦で、共産党系の労組や市民団体が多く参加している革新都政をつくる会で擁立という形をとって進んできた状況で、民主党等が乗るのは非常に難しいことは素人でもわかる。そこで、どちらにも属さない市民としてなんとかしようと努力してきた。」と反論。

18日
○江東区で浅野さんの講演があった際、出馬要請行動に参加
  
25日
○「浅野史郎さんのハートに火をつける会」に参加し、立候補要請のイベントを開催

3月1日
○革新都政の会へ、3・9イベントで吉田万三さんの出演を依頼
 浅野氏の政治姿勢や宮城県政の総括などの報告(共産党)を根拠に浅野さんを支持できないということなどを理由としてお断りされる

2日 
○赤旗に志位委員長の会見報道という形で浅野県政批判記事

4日 
○当会・臨時運営委員会
 統一候補への気運を高めるためには
 ① 浅野さんへの声を大きくすること
 ② 統一候補という視点で、共産党員への個々の働きかけ等、各自でできることから、会として出来ること等、あらゆる工夫をしていく

5日
○当会の事務局長、事務局次長とで仙台へ行き、記事の裏付け調査

6日
○浅野史郎氏、正式出馬表明記者会見

9日 
○「浅野さんと都民が東京を語る会」開催      
 (以上)
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現代的保革対決の底流が民主党解体と真の政界再編を促す

2007年03月25日 22時50分27秒 | 反石原・’07東京都知事選
・知事選告示日に都県超え石原氏と松沢氏が相互応援(神奈川新聞)
 http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiimar431/

 今回の統一地方選挙で、元民主党衆院議員の上田清司・埼玉県知事や松沢成文・神奈川県知事が石原慎太郎の応援を受けています。三人は、この相互応援に対する「自・民馴れ合い」との批判については「従来からの首都圏知事同士の行政協力の現われであり、国政と地方行政は別物だ」と言い訳しているようです。
 しかし、この様な「自・民馴れ合い」については、別に今に始まった事ではありません。従来からも地方政治では、革新自治体が崩壊した80年代以降は、自・公・民・社オール与党の枠組みの中での馴れ合い・談合・汚職政治がずっと続いてきましたし、国政選挙でも候補者が自民党と民主党に二股をかけて公認が得られた党の方から出馬するという事が公然と行われてきました。

 自民党と民主党は、憲法観や外交などの基本路線では全く「同じ穴のムジナ」です。大手マスコミが喧伝する「自民・民主の対立」なるものは、「同じ穴のムジナ」の本質を糊塗する為に、多少の毛色の違いで「ニセ対立」を演出するものでしかありません。
 そもそも民主党というのは、1996年の結成当初は、新党さきがけを母体として、寧ろ当時は二大政党(自民・新進)に対抗する第三極の政党として出発した筈です。しかし、そこに旧新進党・旧自由党からの保守派と旧社会党からの保守転向組が合流して、やはり自民党や新進党と変わらない政党になってしまいました。これも偏に、大臣病患者の幹部に支配された90年代当時の社会党・連合や反共「中道」諸党と自民党との裏取引によって、一旦は参院で否決された筈の小選挙区制が復活・導入され、その後はひたすら「勝者総取り」選挙の下で「勝ち馬に乗る」合従連衡が繰り返された末の結果です。
 これは、今思い返してもかえすがえすも残念な出来事です。しかし、そういう制度が一旦導入された以上は、制度自体の廃止を志向しつつも、とりあえずはその下でも勝てる戦略を革新側は編み出していかなければなりません。

 翻って今回の東京都知事選挙。浅野氏を擁立した市民団体は「吉田氏の方がより革新的で、石原政治ときっぱり縁を切れる事は間違いないが、共産党単独推薦では石原都政は倒せない」「民主党も支持できる候補を擁立しなければならない」と言います。それに対して共産党は「自民党も民主党も同じ穴のムジナであり、確かな野党である共産党の躍進と吉田勝利でしか石原都政打倒の展望は開けない」と主張します。

 このように双方の主張は対立していますが、奇妙に一致している点があります。それは、浅野陣営も吉田陣営も「民主党を一つの政党と看做している」という事です。浅野陣営は「護憲リベラルから改憲右派までの寄り合い所帯である民主党の全員から受け入れられる候補者」との触れ込みで浅野史郎氏を石原慎太郎の対抗馬にしました。それに対して共産党は「護憲リベラルから改憲右派までひっくるめて」民主党全体を第二自民党だとして攻撃しています。
 しかし、今の民主党は、はっきり言って凡そ政党の体を為していません。それは素人が常識で考えても分る事です。一体全体、戸倉多香子さんの様な護憲リベラルな人と西村真悟や土屋たかゆきの様な極右のキチガイが呉越同舟で同じ政党から出馬する事自体が、そもそも尋常ではないのです。土屋もそれが分っているからこそ、都知事選終了まで自分のHPを休止してまで、自身の極右体質が民主党にまで累が及ぶのを避けようとしているのでしょう。

 だから、こんな民主党などは、市民の側から積極的に政界再編を仕掛けるなどして分裂・解体させてしまい、本来は石原陣営や自民党と組んで当然の輩などはとっとと向こう岸に追いやってしまって、市民派や良心的な社会民主主義者と革新勢力で共闘を組み、更には新党立ち上げまで視野に入れて行動すべきなのです。この新党は結成当初の民主党の様な「対決軸無き根無し草の自称・第三極」などではなく、改憲・先軍政治や新自由主義の格差政治に対抗するという明確な対決軸を持った「反リストラ平和連合」ともいうべきものです。共産党も、中選挙区制時代と同じような感覚で十年一日の如く「確かな野党」宣伝と「民主党総体への批判」だけに終始する戦術から更に一歩前に出て、民主党の分裂を積極的に促すと共に、将来的には民主集中制を含むそれまでの前衛党的体質も改めて、市民派や良心的社会民主主義者とももっと広く共同でき合流も視野に入れた、反共右翼社民でも旧来の共産主義政党でもない、二大政党制下でも勢力を拡大していける、この様な新しい型の左派政党に脱皮していくべきなのです。

 これからは、今の小選挙区制・二大政党制の下では、大手マスコミが喧伝する「自民・民主のニセ対決」路線でも、中選挙区制時代からの共産党組織のみに依拠した「確かな野党」路線でもない、「現代的な保革対立」路線で自民党政治を追い詰めてかなくてはならないのではないでしょうか。勿論、選挙制度についてはあくまでも、民意をゆがめ大政党に「虚構の多数」を与える今の小選挙区制の廃止と完全比例代表制への移行を展望しながら、ですが。
 この「現代的な保革対立」というのは、1960年代後半から70年代前半にかけての「保革対立」に現代の対立軸を重ね合わせた路線です。それは、日米安保廃棄などの「革新三目標」をベースにしつつも、必ずしもそれだけに囚われずに、資本主義的グローバル化や生活格差の問題から中国・北朝鮮・拉致問題、ジェンダーフリーの問題までも含めて、明確な対立軸を提示しつつ柔軟な戦術を採用する、そういう「保革対決」の姿です。
 例えば北朝鮮問題について言えば、ブッシュ・安倍・「救う会」・「つくる会」などの「帝国主義・靖国史観肯定」「先軍政治・密告社会による日本の北朝鮮化」路線とは明確に対峙しつつも、旧来左派の「民族自決権を隠れ蓑にした中国・北朝鮮の人権問題見てみぬふり」ではなく、寧ろ「国際人権運動」や「人間の安全保障」の観点から「難民救援・人権キャンペーン」と「日本社会の排外主義克服」の両方を見据えた対立軸を提起するなどの、そういう左派本来の立場に立ち返っての再生が求められているのです。

 そういう目で改めて浅野氏擁立の母体となった市民団体「東京。をプロデュース」(略称・東プロ)が今回発表した自身と共産党サイドとの協議経過をまとめた文書を読むと、あくまで「民主党を一つの政党と看做」した上で、ややもすれば政策のすり合わせよりも「民主党総体も呑める有名人探し」に走っていった軌跡が伺えます。候補者選定で、官僚出身で基本的には自民党政治の枠内に在りながら「改革派」で名前の通った浅野史郎氏に落ち着いたのも、それで全て説明がつきます。それに対しては共産党も「何故、吉田万三を統一候補の選定に含めないのか」と不信感を募らせ、こちらも旧来の「確かな野党」論の立場に徐々に回帰していってしまいました。
 当該文書を読む限りでは、東プロは共産党との協議には早い段階から着手していたのですから、「一つの政党としての民主党まず在りき」ではなくもっと政策本位で候補者選定を進めていたならば、田中康夫氏を始めとして、もっと多様な候補者の名前が選考線上に浮かんできたのではと悔やまれます。

 そうは言っても選挙の告示も済んで匙は投げられたのですから、後はもう都知事選終了まで浅野・吉田の両候補がそれぞれ最善を尽くして、内ゲバで票を食い合う醜態を演じるのではなく、それぞれが一票でも多く石原陣営から票をもぎ取るという能動的・攻勢的な闘いをしなければいけないのです。それでどちらかが勝てればそれで良し、若し負けても最低限、次の統一地方選後半戦や夏の参院選、その後の改憲・先軍・新自由主義政治阻止の闘いにつながる結果に結びつけなければならないでしょう。
コメント (7)
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