「教育基本法のやらせ改悪」の強行採決に続いて、「お手盛り改憲投票法」(改憲手続法、国民投票法)も密室でのスピード審議で通ってしまいました。特に後者については、前者の教育基本法改悪の時以上に、「国民が気が付かないうちに、ドサクサに紛れて強引に通してしまった」という感じです。公聴会での反対・懸念意見の噴出や、18本にも上る法案付帯決議(法律施行に当って国会が付けた但書き)を見ても、この法律が「如何にウソ・デタラメの欠陥法案か」という事がよく分ります。
らんきーブログさんが作ってくれた安倍内閣の悪政一覧表を見ると、「よくもまあ、これだけ次から次へと、しでかしてくれたものだ」と、もう怒りを通り越して半ば呆れるばかりの心境です。これでまた安倍マルコスに対する怨嗟の念は、更に増大するでしょう。この6月からは定率減税全廃で住民税が今までの倍になりますし、参院選後にはホワイトカラー・エグゼンプション法案が再び国会に上程されてくるでしょうから。
そういう意味では、安倍政権の「と金」「マルコス」ぶりに更に磨きがかかったという事ですが、これが一路「体制変革」や「政治革新」に結びつかない所が、日本の政治の悲しさです。何故ならば、これは単に「安倍政権」だけの暴走によるものではないからです。
私は以前の拙稿記事の中で、今の安倍政権について、「ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)の結託=ネオリベコン」によって生まれた「中曽根と小泉の最悪の部分を掛け合わせた内閣」だと書きました。
ネオリベ(新自由主義)というのは、規制緩和・競争激化・民営化・自由化で、企業活動の自由をどこまでも拡大していこうとする考え方です。そして、ネオコン(新保守主義)とは、「君が代」「日の丸」強制や「靖国史観」復活を通した国家統制の強化で、緩んだ国のタガを締め直して行こうとする考え方です。前者の「規制緩和」と後者の「統制強化」は、一見すれば矛盾するような取り合わせですが、全然矛盾しません。それは、誰の為の「規制緩和」「統制強化」であるのかを考えれば、直ぐに分ります。
前者の「新自由主義」の「自由」とは、「資本家にとっての自由、搾取の自由」にしか他ならないからです。「能力別授業編成や学区制撤廃で競争・序列化を煽りながら、それに対する反発は道徳教育や国家統制の強化で締め上げる」「労働法制の規制緩和で成果主義やホワイトカラー・エグゼンプションを導入しながら、それに対する抵抗は治安弾圧で押さえつける」という構図を見れば、それが一目瞭然です。
つまり、ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)は相互補完の関係にあるのです。そして、本質的には相互補完の関係にありながら、表面的には時には相互に対立するかのように見せつけて、昨今の「ゆとり教育の見直し」「必修科目の未履修対策」や「少年法改悪」「番組捏造問題」の時の様に、「規制緩和や自由化で緩んだタガを統制強化で締め付ける」という姑息な演出を弄したりするのです。
この「ネオリベとネオコンの結託」は、ひとり安倍政権のみの問題に止まるのではなく、グローバリゼーションの下で更なる「搾取の自由」拡大を目論む財界・国際資本の動向から生まれてきたものです。だから、日本でも安倍や石原慎太郎が大手を振ってまかり通っているのと同様に、フランスの大統領選挙でも同じ様なキャラのサルコジが当選してしまうのですが、封建的な政治風土+日本の歴史の中ではまだまだ短い戦後60年+戦犯政治家(岸信介など)の温存・再生+対米従属・米国流新自由主義の支配+企業寄り労働運動・保守二大政党制下の今の日本では、その悪政の矛盾がとりわけ鋭い形で現われるのです。ネットカフェ難民やワーキング・プアがその良い例です。
安倍の「バカ殿」「マルコス」ぶりも、財界にとってはとっくに計算済みで、それでもこの憲法改悪の火急の時には、敢えてあの様な時代錯誤の国家主義者を「嫌われ役」「と金総理」(5月15日付「転成仁語」)として、正面突破に使っているのです。それで万一安倍マルコスがお役ゴメンになっても、麻生や小沢民主党を次のリリーフに使えば良いだけですから。その「と金」ふぜいによる「中国・韓国と闘う」パフォーマンスや参院選候補のタレント起用ぐらいで、早速政権支持率が下げ止まりだしたというに至っては、もうお話にもなりませんが。
こんな中で闘われるのが、次の参院選なのです。この参院選の当選者が、次の衆院選の当選者と一緒になって、改憲投票法の具体的な改悪審議とその実行に乗り出してくるのです。これは絶対に負けられない闘いです。
・へんな改憲手続法のうた(You Tube)
旗旗さんがアップしてくれたYou Tubeの動画。拙ブログにはダウンロード出来る機能が無いので、とりあえず当該動画へのリンクだけ張っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=BoL9ijU7iKY
・安倍政権における改憲の新段階 国民投票法案にいかに立ち向かうか(JANJAN)
http://www.janjan.jp/government/0705/0705135423/1.php
・安倍首相は「と金総理」?(五十嵐仁の転成仁語)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
・アベシンゾーとエキスポランド社長の接点(きっこのブログ)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/05/post_fc5b.html
・[AML 13933] 9条改憲反対運動は今のままでよいのか
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-May/013482.html
・「安倍晋三でいいのか?投票法案」を出したい^^(らんきーブログ)
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-date-20070515.html
・安倍晋三政権のまとめ(同上)
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-544.html
↓これがその「まとめページ」のバナーです。転載歓迎との事です。
らんきーブログさんが作ってくれた安倍内閣の悪政一覧表を見ると、「よくもまあ、これだけ次から次へと、しでかしてくれたものだ」と、もう怒りを通り越して半ば呆れるばかりの心境です。これでまた安倍マルコスに対する怨嗟の念は、更に増大するでしょう。この6月からは定率減税全廃で住民税が今までの倍になりますし、参院選後にはホワイトカラー・エグゼンプション法案が再び国会に上程されてくるでしょうから。
そういう意味では、安倍政権の「と金」「マルコス」ぶりに更に磨きがかかったという事ですが、これが一路「体制変革」や「政治革新」に結びつかない所が、日本の政治の悲しさです。何故ならば、これは単に「安倍政権」だけの暴走によるものではないからです。
私は以前の拙稿記事の中で、今の安倍政権について、「ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)の結託=ネオリベコン」によって生まれた「中曽根と小泉の最悪の部分を掛け合わせた内閣」だと書きました。
ネオリベ(新自由主義)というのは、規制緩和・競争激化・民営化・自由化で、企業活動の自由をどこまでも拡大していこうとする考え方です。そして、ネオコン(新保守主義)とは、「君が代」「日の丸」強制や「靖国史観」復活を通した国家統制の強化で、緩んだ国のタガを締め直して行こうとする考え方です。前者の「規制緩和」と後者の「統制強化」は、一見すれば矛盾するような取り合わせですが、全然矛盾しません。それは、誰の為の「規制緩和」「統制強化」であるのかを考えれば、直ぐに分ります。
前者の「新自由主義」の「自由」とは、「資本家にとっての自由、搾取の自由」にしか他ならないからです。「能力別授業編成や学区制撤廃で競争・序列化を煽りながら、それに対する反発は道徳教育や国家統制の強化で締め上げる」「労働法制の規制緩和で成果主義やホワイトカラー・エグゼンプションを導入しながら、それに対する抵抗は治安弾圧で押さえつける」という構図を見れば、それが一目瞭然です。
つまり、ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)は相互補完の関係にあるのです。そして、本質的には相互補完の関係にありながら、表面的には時には相互に対立するかのように見せつけて、昨今の「ゆとり教育の見直し」「必修科目の未履修対策」や「少年法改悪」「番組捏造問題」の時の様に、「規制緩和や自由化で緩んだタガを統制強化で締め付ける」という姑息な演出を弄したりするのです。
この「ネオリベとネオコンの結託」は、ひとり安倍政権のみの問題に止まるのではなく、グローバリゼーションの下で更なる「搾取の自由」拡大を目論む財界・国際資本の動向から生まれてきたものです。だから、日本でも安倍や石原慎太郎が大手を振ってまかり通っているのと同様に、フランスの大統領選挙でも同じ様なキャラのサルコジが当選してしまうのですが、封建的な政治風土+日本の歴史の中ではまだまだ短い戦後60年+戦犯政治家(岸信介など)の温存・再生+対米従属・米国流新自由主義の支配+企業寄り労働運動・保守二大政党制下の今の日本では、その悪政の矛盾がとりわけ鋭い形で現われるのです。ネットカフェ難民やワーキング・プアがその良い例です。
安倍の「バカ殿」「マルコス」ぶりも、財界にとってはとっくに計算済みで、それでもこの憲法改悪の火急の時には、敢えてあの様な時代錯誤の国家主義者を「嫌われ役」「と金総理」(5月15日付「転成仁語」)として、正面突破に使っているのです。それで万一安倍マルコスがお役ゴメンになっても、麻生や小沢民主党を次のリリーフに使えば良いだけですから。その「と金」ふぜいによる「中国・韓国と闘う」パフォーマンスや参院選候補のタレント起用ぐらいで、早速政権支持率が下げ止まりだしたというに至っては、もうお話にもなりませんが。
こんな中で闘われるのが、次の参院選なのです。この参院選の当選者が、次の衆院選の当選者と一緒になって、改憲投票法の具体的な改悪審議とその実行に乗り出してくるのです。これは絶対に負けられない闘いです。
・へんな改憲手続法のうた(You Tube)
旗旗さんがアップしてくれたYou Tubeの動画。拙ブログにはダウンロード出来る機能が無いので、とりあえず当該動画へのリンクだけ張っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=BoL9ijU7iKY
・安倍政権における改憲の新段階 国民投票法案にいかに立ち向かうか(JANJAN)
http://www.janjan.jp/government/0705/0705135423/1.php
・安倍首相は「と金総理」?(五十嵐仁の転成仁語)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
・アベシンゾーとエキスポランド社長の接点(きっこのブログ)
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/05/post_fc5b.html
・[AML 13933] 9条改憲反対運動は今のままでよいのか
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-May/013482.html
・「安倍晋三でいいのか?投票法案」を出したい^^(らんきーブログ)
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-date-20070515.html
・安倍晋三政権のまとめ(同上)
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過去の拙稿記事「差別助長・バカウヨ量産の全国学力テストなんて止めちまえ!」(2007年04月26日 00時18分39秒投稿)文中の、「台湾のウヨク女」という表現に対して、先日「むじな」という人からコメントが寄せられました。詳しい議論経過については、当該コメントをそのまま、本稿のコメント欄に「これまでの議論の経緯1・2」として転載しましたので、そちらをご覧下さい。
彼「むじな」がここで問題にしているのは、全国学力テストを批判した先の拙稿記事の、コント爆笑問題の司会によるテレビ番組「太田総理と秘書田中」の内容に言及した部分の中で、番組コメンテーターの一人である金美齢に対して、私が「台湾のウヨク女」と揶揄した事についてです。これを彼は、金美齢に対する「女性蔑視」であり「台湾人全体を貶めるものである」と問題にしている訳です。私は全然そうは思っていませんが。
読者の方の中には、上記の説明だけでは「一体何が何だか分らない」人もおられると思いますので、この件でもう少し、台湾問題の歴史的経過も交えた解説を行っておきます。
台湾は、戦前は日本の植民地統治の、戦後は長らく中国国民党の独裁体制の下にあった国で、ここ十数年は野党の民主進歩党が政権を担当しています。中国国民党の統治下では、国連の中国代表権問題とも絡んで、大陸の中華人民共和国とは鋭く対決してきました。そして、大陸からの亡命政権である国民党も、かつては「外省人」の政党として、台湾省民(本省人)を中心とした反独裁・民主化運動を徹底的に弾圧してきました。
金美齢は、その中にあって在日台湾人として台湾の反独裁・民主化運動の一翼を担ってきた文化人の一人ですが、ここ十数年来は、黄文雄などの在日台湾人民主化運動人士と共に、戦前の日本による台湾植民地統治や今の日本の保守体制を盛んに美化する言説を展開しています。コント爆笑問題司会の前述の番組でもその様な言説を展開していたので、私は彼女を「台湾のウヨク女」と表現したのです。
「むじな」はそれに対して、「かつては台湾独立・民主化運動内の左派であった金美齢が、何故あれ程までに右傾化していったのかといえば、それは戦後の日本左翼が、人民中国に媚びる余り、台湾の民主化勢力を見捨てていったからだ」「戦後の日本左翼も、台湾をイデオロギーの道具としか見ない点では、徒に親日の一側面ばかりを恣意的に強調して植民地主義肯定に走る日本右翼と、同じ穴の狢でしかない」と主張している訳です。
私は、過去拙稿記事「差別助長・バカウヨ量産の~」本来の話題(全国学力テスト、安倍教育反動)とは直接関係の無い議論で徒に時間を費やされるのを避けたかったという事の他に、この問題については「むじな」とはまた別の観点から色々考える所がありましたので、それでわざわざ当初の拙稿記事から切り離した上で、別途専用のトピック記事としてアップしたのです。
私がこのトピック記事で集中的に取り上げたいと思っているのは、下記の論点です。
(1) 「ある国の独立・民主化運動が、過去の宗主国による帝国主義・植民地主義を肯定し、その論理に寄りかかった形で、自国(民)だけの解放を進める」「かつては自分たちが見捨てられたからといって、今度は自分たちが他の搾取されている人々を見捨てる」などという、皮肉じみた事が何故起こるのか?これは何も台湾の独立・民主派だけに限った現象ではなく、他でもまま見られる事例ではあるが(その際たるものがイスラエル・パレスチナ紛争)。
(2) 日本とアジア諸国との関係は、戦前は侵略・被侵略、戦後は上辺だけの謝罪や一面美化に終始してきた。その中で、今まで日本の戦前帝国主義や戦後の日米安保体制を非難してきた中国・北朝鮮における政治の実態が明るみになるにつれ、それにかこつけて、今度は日本人中心史観とも言うべき立場が勢いを増してきている。この様な「互いに目糞、鼻糞を笑う」の対立・反目ではなく、「善き隣人としての、普通の付き合い」を今後日本(国、人)が出来るようにする為に、双方にとって必要な事は何か?
(3) 以上の論点の中で、「むじな」の言説・主張は如何なる立ち位置を占めるのか?
彼「むじな」がここで問題にしているのは、全国学力テストを批判した先の拙稿記事の、コント爆笑問題の司会によるテレビ番組「太田総理と秘書田中」の内容に言及した部分の中で、番組コメンテーターの一人である金美齢に対して、私が「台湾のウヨク女」と揶揄した事についてです。これを彼は、金美齢に対する「女性蔑視」であり「台湾人全体を貶めるものである」と問題にしている訳です。私は全然そうは思っていませんが。
読者の方の中には、上記の説明だけでは「一体何が何だか分らない」人もおられると思いますので、この件でもう少し、台湾問題の歴史的経過も交えた解説を行っておきます。
台湾は、戦前は日本の植民地統治の、戦後は長らく中国国民党の独裁体制の下にあった国で、ここ十数年は野党の民主進歩党が政権を担当しています。中国国民党の統治下では、国連の中国代表権問題とも絡んで、大陸の中華人民共和国とは鋭く対決してきました。そして、大陸からの亡命政権である国民党も、かつては「外省人」の政党として、台湾省民(本省人)を中心とした反独裁・民主化運動を徹底的に弾圧してきました。
金美齢は、その中にあって在日台湾人として台湾の反独裁・民主化運動の一翼を担ってきた文化人の一人ですが、ここ十数年来は、黄文雄などの在日台湾人民主化運動人士と共に、戦前の日本による台湾植民地統治や今の日本の保守体制を盛んに美化する言説を展開しています。コント爆笑問題司会の前述の番組でもその様な言説を展開していたので、私は彼女を「台湾のウヨク女」と表現したのです。
「むじな」はそれに対して、「かつては台湾独立・民主化運動内の左派であった金美齢が、何故あれ程までに右傾化していったのかといえば、それは戦後の日本左翼が、人民中国に媚びる余り、台湾の民主化勢力を見捨てていったからだ」「戦後の日本左翼も、台湾をイデオロギーの道具としか見ない点では、徒に親日の一側面ばかりを恣意的に強調して植民地主義肯定に走る日本右翼と、同じ穴の狢でしかない」と主張している訳です。
私は、過去拙稿記事「差別助長・バカウヨ量産の~」本来の話題(全国学力テスト、安倍教育反動)とは直接関係の無い議論で徒に時間を費やされるのを避けたかったという事の他に、この問題については「むじな」とはまた別の観点から色々考える所がありましたので、それでわざわざ当初の拙稿記事から切り離した上で、別途専用のトピック記事としてアップしたのです。
私がこのトピック記事で集中的に取り上げたいと思っているのは、下記の論点です。
(1) 「ある国の独立・民主化運動が、過去の宗主国による帝国主義・植民地主義を肯定し、その論理に寄りかかった形で、自国(民)だけの解放を進める」「かつては自分たちが見捨てられたからといって、今度は自分たちが他の搾取されている人々を見捨てる」などという、皮肉じみた事が何故起こるのか?これは何も台湾の独立・民主派だけに限った現象ではなく、他でもまま見られる事例ではあるが(その際たるものがイスラエル・パレスチナ紛争)。
(2) 日本とアジア諸国との関係は、戦前は侵略・被侵略、戦後は上辺だけの謝罪や一面美化に終始してきた。その中で、今まで日本の戦前帝国主義や戦後の日米安保体制を非難してきた中国・北朝鮮における政治の実態が明るみになるにつれ、それにかこつけて、今度は日本人中心史観とも言うべき立場が勢いを増してきている。この様な「互いに目糞、鼻糞を笑う」の対立・反目ではなく、「善き隣人としての、普通の付き合い」を今後日本(国、人)が出来るようにする為に、双方にとって必要な事は何か?
(3) 以上の論点の中で、「むじな」の言説・主張は如何なる立ち位置を占めるのか?