映画「パッチギ!」、1作目に続いて2作目の「LOVE & PEACE」を、先週の休みに見てきました。なかなか良かったです。「特攻隊映画の主演俳優が若しも在日だったら、今の日本人はどういう態度をとるか?」という井筒和幸監督の2作目での問いかけについても、日本人一人一人に、今までの戦後民主主義の内実を真正面から突きつけられた様な気がして、色々考えさせられました。
この2作目については、話の展開が急だったり途中の経過が省かれたりした箇所があるので(例えば、アンソンの親父が戦時中にいとも簡単に済州島を脱走してヤップ島に流れ着くくだりとか)、そういう点では不自然に感じる箇所も確かにありましたが、それでも、特攻映画に主演女優としてデビューしたキョンジャが試写会の最後で、自分が在日である事を告白する場面などは、真に迫るものを感じました。この妹の告白に対して、宿敵の応援団長が「チョーセンに帰れ」という薄汚い罵倒を加えるに及んで、兄アンソンの怒りが遂に爆発して試写会場が反レイシズム騒乱の場と化す場面では、私も「キョンジャ負けるな!アンソン頑張れ!」と心の中で声援を送っていました。
以上がこの映画に対する私の端的な感想です。細かい点では他にも色々あるのですが、書き出したらキリが無いので敢えて書きません。私の感想は、その他のパッチギファンの方の感想とも、そう違わないと思いますので。ここではまた別の、恐らく他の誰も今まで書かなかったであろう全く違った観点から、この2本の「パッチギ!」映画について見てみたいと思います。
「パッチギ!」1作目の舞台は1968年の京都。朝鮮高校の番長アンソンたちと府立高校応援団長の近藤たちが派手な喧嘩を繰り広げる日々の中で、府立高校生の松山がアンソンの妹キョンジャに仄かな想いを抱き、それがキッカケとなってアンソンたちとの交流が始まり、日朝間の過去の歴史についても次第に認識を深めていく―というのが、1作目の大まかなあらすじです。
それに対して2作目は、1974年から75年の東京に舞台が移ります。息子チャンスの難病治療の為に、アンソン一家は京都から東京のコリアンタウンに越してきます。治療費捻出の為に、アンソンは密貿易の手助けにも手を染め、キョンジャはアイドル・タレントとして芸能界デビューを果たし、やがて特攻映画の主演女優にもなっていく―というのが、その大まかなあらすじです。
私が注目したのは、この2つの「パッチギ!」映画の時代背景の違いです。前者は60年代後半の、全共闘運動華やかなりし頃の時代で、ゲバ大学生やグループサウンズや、毛沢東語録を授業で紹介する高校教師などが頻繁に映画に登場します。それに対して後者は70年代前半の、女性アイドルタレントが水着姿で水中大運動会に興じる場面や、アイドル雑誌の表紙を飾る場面が中心となります。スト権奪還のスローガンが書かれた国電なども登場しますが(この車内でアンソンが宿敵の応援団長・近藤と再び出くわし大立ち回りを演じ、新人の国鉄職員・佐藤とも知り合いになる)、この風景は最初の導入部だけで、その後はアイドルの新人オーデションなどが主な風景となります。
この2つの映画の風景の違いですが、私にはどうしても、「単なる風景の違い以上のモノ」がそこには在るような気がして仕方がないのです。つまり、1970年前後を境にして、60年代と70年代で戦後日本が変わりつつあったのでは?―という疑問です。これは映画「パッチギ!」以外にも、当時放送されたテレビの青春ドラマを見ても、ドラマのトーンに明らかな違いがあるような気がして仕方がないのです。
一つの例として、60年代後半放送の「これが青春だ」と70年代前半放送の「飛び出せ!青春」を比べてみます。前者は竜雷太主演の高校ドラマで、「真っ赤な太陽~両手で掴み~♪」という番組オープニングメロディーを見ても分るように、単刀直入に青春を謳歌しています。悪く言えば「スポーツ根性ドラマ」風とも取れなくないですが、友情とか団結をストレートに表現しています。それに対して、後者の村野武範主演のそれは、同じ高校ドラマでも、「青い三角定規」が歌う「君は何を今見つめているの~♪」のノリで、前者の様な単刀直入さは影を潜め、全体的にソフトムードに打って変わっています。
何でこんな事を書くかと言えば、私の世代が丁度「三無主義、四無主義の第一世代」とも言える世代で、その前の全共闘世代(団塊の世代とも言う)との間に、ある種の「生活感覚の違い」みたいなモノがあるのではないか、もっと言うと、1970年を境にして、60年代と70年代の間で、世代の変わり目というか、戦後日本のターニングポイントというか、そんなモノが存在するのではないか、という気がするのです。
60年代後半から70年代前半にかけての時期は、「革新勢力の前進の時代だった」という事がよく言われます。公害問題や都市問題の形で、高度経済成長のひずみが全国で一挙に顕在化して、多くの革新自治体がこの時に誕生しました。私の地元でも、この時期に堺泉北コンビナートの本格操業開始で大気汚染や光化学スモッグ汚染が拡大して住民運動が燎原の火の如く広がり、黒田革新府政誕生の原動力になりました。この当時は私はまだ幼い子どもでしたが、子ども心にもこの時の一種独特の世相・社会的雰囲気を肌身に感じていたのを覚えています。
この革新勢力の前進に対して、保守勢力は産経新聞の「自由社会を守れ」キャンペーンを先頭に大規模な巻き返しに出てきて、革新勢力の分断・革新自治体潰しに乗り出して来ます。その中で、愛国心育成・道徳教育復活強化を謳った50年代の池田・ロバートソン会談以降の、積年に渡る教育反動化・戦後民主教育骨抜き策動の成果が、「三無主義、四無主義の蔓延」という目に見える形になって現われてきたのが、丁度この時期ではないのか、それが回りまわって、「青春ドラマの違い」や、全共闘運動・グループサウンズ・反体制フォークの世代から三無主義・アイドルタレント・私生活恋愛フォーク全盛の「パッチギ!第1作と第2作の時代背景の違い」となって現われたのではないか、という気がするのです。(尚、私は私生活主義そのものは否定しません。そこに表れた個人尊重意識や自由な気風は、それまでの保守・革新側、企業・労組側の双方に見られた組織偏重の生き方に風穴を開けました。私生活主義の限界は、その個人尊重意識や自由な気風が個人の私生活のレベルだけに止まってしまって、社会的な広がりを欠いた所にあるのです)
実際、私の世代と、その数年前の、学園紛争の余韻をまだ微かに引きずった先輩の世代とでは、数年しか離れていないにも関わらず、政治感覚・生活感覚に微妙な差異が存在するのを感じるのです。先輩世代の高校時代のアルバムを見ても、先輩世代の卒業式のクラスの書き込みには「愛と革命に生きる」なんて文句もまだかろうじて登場するのに対して、私らの世代以降になると、そういう書き込みは、もう皆無といってよいほど存在しなくなります。これは何も当時の全共闘運動やゲバ学生のあり方を肯定しているのではなくて、肯定・否定以前の問題として、そういう話題自体が出てこなくなったという意味で、「1970年代を境に、若者の意識が大きく変化したのではないか」という仮説です。そして、80年代のレーガノミックス・サッチャリズム・中曽根臨調行革の時代を経て、90年代以降のグローバリズム・新自由主義・自己責任論の広まりによってその変化は更に促進され、それが昨今の「上見るな下見て暮らせ傘の下」や自己責任論や排外主義の蔓延となって現われているのではないか、そして、その総仕上げとして今の安倍政権の教育反動路線があると思うのですが、如何?
・「パッチギ!」(第1作)公式サイト
http://www.pacchigi.jp/first/
・「パッチギ!LOVE & PEACE」公式サイト
http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/
・「これが青春だ」
http://www.kcat.zaq.ne.jp/maetoshi/tanabe/tvprog2/korega.htm
http://www.youtube.com/watch?v=UsBhB_GpQZs&mode=related&search=
・「飛び出せ!青春」
http://www.komatomo.com/tv/tobidase/tobidase.htm
http://www.youtube.com/watch?v=tynheKKQVy4&mode=related&search=
・岡林信康
http://www.beats21.com/ar/A00121201.html
・吉田拓郎
http://www.forlife.co.jp/yoshidatakuro/
http://www.beats21.com/ar/A07040402.html
・「子どもの変容」(国立教育政策研究所・木岡研究室)
三無主義・四無主義についての言及や、ここで紹介されている門脇厚司・宮台真司の世代論に注目。
http://www.nier.go.jp/kazu/kodomo.html
この2作目については、話の展開が急だったり途中の経過が省かれたりした箇所があるので(例えば、アンソンの親父が戦時中にいとも簡単に済州島を脱走してヤップ島に流れ着くくだりとか)、そういう点では不自然に感じる箇所も確かにありましたが、それでも、特攻映画に主演女優としてデビューしたキョンジャが試写会の最後で、自分が在日である事を告白する場面などは、真に迫るものを感じました。この妹の告白に対して、宿敵の応援団長が「チョーセンに帰れ」という薄汚い罵倒を加えるに及んで、兄アンソンの怒りが遂に爆発して試写会場が反レイシズム騒乱の場と化す場面では、私も「キョンジャ負けるな!アンソン頑張れ!」と心の中で声援を送っていました。
以上がこの映画に対する私の端的な感想です。細かい点では他にも色々あるのですが、書き出したらキリが無いので敢えて書きません。私の感想は、その他のパッチギファンの方の感想とも、そう違わないと思いますので。ここではまた別の、恐らく他の誰も今まで書かなかったであろう全く違った観点から、この2本の「パッチギ!」映画について見てみたいと思います。
「パッチギ!」1作目の舞台は1968年の京都。朝鮮高校の番長アンソンたちと府立高校応援団長の近藤たちが派手な喧嘩を繰り広げる日々の中で、府立高校生の松山がアンソンの妹キョンジャに仄かな想いを抱き、それがキッカケとなってアンソンたちとの交流が始まり、日朝間の過去の歴史についても次第に認識を深めていく―というのが、1作目の大まかなあらすじです。
それに対して2作目は、1974年から75年の東京に舞台が移ります。息子チャンスの難病治療の為に、アンソン一家は京都から東京のコリアンタウンに越してきます。治療費捻出の為に、アンソンは密貿易の手助けにも手を染め、キョンジャはアイドル・タレントとして芸能界デビューを果たし、やがて特攻映画の主演女優にもなっていく―というのが、その大まかなあらすじです。
私が注目したのは、この2つの「パッチギ!」映画の時代背景の違いです。前者は60年代後半の、全共闘運動華やかなりし頃の時代で、ゲバ大学生やグループサウンズや、毛沢東語録を授業で紹介する高校教師などが頻繁に映画に登場します。それに対して後者は70年代前半の、女性アイドルタレントが水着姿で水中大運動会に興じる場面や、アイドル雑誌の表紙を飾る場面が中心となります。スト権奪還のスローガンが書かれた国電なども登場しますが(この車内でアンソンが宿敵の応援団長・近藤と再び出くわし大立ち回りを演じ、新人の国鉄職員・佐藤とも知り合いになる)、この風景は最初の導入部だけで、その後はアイドルの新人オーデションなどが主な風景となります。
この2つの映画の風景の違いですが、私にはどうしても、「単なる風景の違い以上のモノ」がそこには在るような気がして仕方がないのです。つまり、1970年前後を境にして、60年代と70年代で戦後日本が変わりつつあったのでは?―という疑問です。これは映画「パッチギ!」以外にも、当時放送されたテレビの青春ドラマを見ても、ドラマのトーンに明らかな違いがあるような気がして仕方がないのです。
一つの例として、60年代後半放送の「これが青春だ」と70年代前半放送の「飛び出せ!青春」を比べてみます。前者は竜雷太主演の高校ドラマで、「真っ赤な太陽~両手で掴み~♪」という番組オープニングメロディーを見ても分るように、単刀直入に青春を謳歌しています。悪く言えば「スポーツ根性ドラマ」風とも取れなくないですが、友情とか団結をストレートに表現しています。それに対して、後者の村野武範主演のそれは、同じ高校ドラマでも、「青い三角定規」が歌う「君は何を今見つめているの~♪」のノリで、前者の様な単刀直入さは影を潜め、全体的にソフトムードに打って変わっています。
何でこんな事を書くかと言えば、私の世代が丁度「三無主義、四無主義の第一世代」とも言える世代で、その前の全共闘世代(団塊の世代とも言う)との間に、ある種の「生活感覚の違い」みたいなモノがあるのではないか、もっと言うと、1970年を境にして、60年代と70年代の間で、世代の変わり目というか、戦後日本のターニングポイントというか、そんなモノが存在するのではないか、という気がするのです。
60年代後半から70年代前半にかけての時期は、「革新勢力の前進の時代だった」という事がよく言われます。公害問題や都市問題の形で、高度経済成長のひずみが全国で一挙に顕在化して、多くの革新自治体がこの時に誕生しました。私の地元でも、この時期に堺泉北コンビナートの本格操業開始で大気汚染や光化学スモッグ汚染が拡大して住民運動が燎原の火の如く広がり、黒田革新府政誕生の原動力になりました。この当時は私はまだ幼い子どもでしたが、子ども心にもこの時の一種独特の世相・社会的雰囲気を肌身に感じていたのを覚えています。
この革新勢力の前進に対して、保守勢力は産経新聞の「自由社会を守れ」キャンペーンを先頭に大規模な巻き返しに出てきて、革新勢力の分断・革新自治体潰しに乗り出して来ます。その中で、愛国心育成・道徳教育復活強化を謳った50年代の池田・ロバートソン会談以降の、積年に渡る教育反動化・戦後民主教育骨抜き策動の成果が、「三無主義、四無主義の蔓延」という目に見える形になって現われてきたのが、丁度この時期ではないのか、それが回りまわって、「青春ドラマの違い」や、全共闘運動・グループサウンズ・反体制フォークの世代から三無主義・アイドルタレント・私生活恋愛フォーク全盛の「パッチギ!第1作と第2作の時代背景の違い」となって現われたのではないか、という気がするのです。(尚、私は私生活主義そのものは否定しません。そこに表れた個人尊重意識や自由な気風は、それまでの保守・革新側、企業・労組側の双方に見られた組織偏重の生き方に風穴を開けました。私生活主義の限界は、その個人尊重意識や自由な気風が個人の私生活のレベルだけに止まってしまって、社会的な広がりを欠いた所にあるのです)
実際、私の世代と、その数年前の、学園紛争の余韻をまだ微かに引きずった先輩の世代とでは、数年しか離れていないにも関わらず、政治感覚・生活感覚に微妙な差異が存在するのを感じるのです。先輩世代の高校時代のアルバムを見ても、先輩世代の卒業式のクラスの書き込みには「愛と革命に生きる」なんて文句もまだかろうじて登場するのに対して、私らの世代以降になると、そういう書き込みは、もう皆無といってよいほど存在しなくなります。これは何も当時の全共闘運動やゲバ学生のあり方を肯定しているのではなくて、肯定・否定以前の問題として、そういう話題自体が出てこなくなったという意味で、「1970年代を境に、若者の意識が大きく変化したのではないか」という仮説です。そして、80年代のレーガノミックス・サッチャリズム・中曽根臨調行革の時代を経て、90年代以降のグローバリズム・新自由主義・自己責任論の広まりによってその変化は更に促進され、それが昨今の「上見るな下見て暮らせ傘の下」や自己責任論や排外主義の蔓延となって現われているのではないか、そして、その総仕上げとして今の安倍政権の教育反動路線があると思うのですが、如何?
・「パッチギ!」(第1作)公式サイト
http://www.pacchigi.jp/first/
・「パッチギ!LOVE & PEACE」公式サイト
http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/
・「これが青春だ」
http://www.kcat.zaq.ne.jp/maetoshi/tanabe/tvprog2/korega.htm
http://www.youtube.com/watch?v=UsBhB_GpQZs&mode=related&search=
・「飛び出せ!青春」
http://www.komatomo.com/tv/tobidase/tobidase.htm
http://www.youtube.com/watch?v=tynheKKQVy4&mode=related&search=
・岡林信康
http://www.beats21.com/ar/A00121201.html
・吉田拓郎
http://www.forlife.co.jp/yoshidatakuro/
http://www.beats21.com/ar/A07040402.html
・「子どもの変容」(国立教育政策研究所・木岡研究室)
三無主義・四無主義についての言及や、ここで紹介されている門脇厚司・宮台真司の世代論に注目。
http://www.nier.go.jp/kazu/kodomo.html