私は以前、「大阪のチンチン電車を残そう!」という記事で、阪堺電車の事を取り上げました。しかし、その後は何かと忙しくて、その話題はもうそれっきりとなっていました。
ところが、先日11日の日曜日に、阪堺電車が天王寺直通運行を開始しているとのチラシが、新聞折込で入っていました(上左画像参照)。そこで俄然、以前の記事を思い出し、その後どうなったかを検証すべく、阪堺電車にまたぞろ乗車してきました。
その前に、当該チラシの内容について少し説明しておきます。
阪堺電車(阪堺電気軌道)というのは、大阪市電廃止後も唯一残された路面電車です。堺市浜寺と大阪市内恵美須町を結ぶ本線に当たる阪堺線(約14キロ)と、住吉で阪堺線から分かれて天王寺に至る支線の上町線(約6キロ)の、2路線を運行しています(上右画像参照)。以前はそれ以外に大浜支線と平野線もあったのですが、前者は第二次大戦の戦災で、後者も80年代の地下鉄延伸によって、それぞれ廃止されてしまいました。
路面電車といっても、実際には併用軌道(路面電車)と専用軌道(鉄道)の区間はそれぞれ半分ずつ位で、それが幸いして今まで廃止を免れてきました。しかし、さしもの阪堺電車も、近年はモータリゼーションや不況の影響で、輸送量は往時の半分近くまでに落ち込んでいます。
その起死回生策として浮上したのが、従来は浜寺駅前から恵美須町に運行していた阪堺線電車を、上町線経由で天王寺直通に切り替える、運転系統の大幅変更策です。これによって、阪堺線沿線からターミナル終着駅である天王寺駅前への乗換の手間を省く事で、乗客を呼び戻そうという目論見です。その一方で、恵美須町行きについては、今までとは逆に我孫子道で乗り換えの区間運行となります。
その天王寺直通運転開始から既に数ヶ月経ち、その効果が如何ほどか、野次馬根性丸出しで見てきたのが下記の画像です。それぞれ順を追って説明していきます(14日の撮り直し分以外は全て11日に撮影したものです)。
(1)浜寺駅前から天王寺直通電車に乗車。発車間際に駆け込んできて、「連れがもう直ぐ来るから待って欲しい」とダダをこねるオッサンも居たりして、出だしからローカル・ムードを満喫。
(2)明治後期に建てられ、日本の駅百選にも選ばれた南海本線浜寺公園駅。
(3)シャッター街どころか更地状態の浜寺駅前商店街。
(4)お昼前でも閑散とした堺市内中心部の山之口商店街。(10月14日撮影)
(5)アーケードこそ残るものの、駅前から商店が消え一般駐車場になってしまった我孫子道商店街。(同上)
(6)安全地帯が非バイアフリーの上町線阿倍野電停。(同上)
(7)阿倍野側から今池方向に平野線跡を望む。道路向かいの空地が線路跡。手前の鉄製電柱も元は旧平野線の架線柱。(同上)
(8)阪堺線今船電停・浜寺方面行きホームにて。この「お知らせ」にもある様に、大半の電車が我孫子道止まりとなった。
(9)我孫子道車庫を望む。我孫子道は阪堺電軌の主要乗換指定駅で、本社・運輸区もここにあるが、かつて輸送需要をまかなった商店街は今やシャッターと街す。車庫も隣の巨大マンションに今にも飲み込まれそうだ。
それで肝心の乗客数ですが、これも以前の当該記事に書いたのと同様に、上町線の方が、乗客の数も層も格段に阪堺線を凌駕していました。日曜日の午前中に浜寺駅前から天王寺直通電車に乗ったのですが、乗換駅の我孫子道までは、電車の座席が半分ぐらい埋まる程度の乗車率しかありませんでした。その乗客の内訳も、10数名中、中高生ぐらいの若者数名と一組の親子連れを除き、後は全て中高年の所謂「交通弱者」が占めていました。
それが我孫子道を境に俄然乗客が増えだし、上町線に入ると座席はほぼ埋まり、立ち客も増えて来ます。客層も、今までの交通弱者に代わって、帝塚山近辺のセレブ・マダムが多数乗り込んで来ます。そして終点の天王寺付近では、もうラッシュアワーに近い状況を呈していました。
天王寺直通運転に期待を寄せる阪堺電軌ですが、その効果は、やはり上町線沿線を中心とする大阪市内区間に限られるのでは、と言わざるを得ません。
ちょうど手元にあった「鉄道ピクトリアル」誌2008年8月臨時増刊号の、阪堺電車関連記事に近年の輸送実績が掲載されていました(同誌80ページ)。それによると、「少子化、モータリゼーションの発達、競合する都市鉄道の延伸・相互乗り入れなどの影響」によって、「2007(平成19)年度の輸送人員は776万人で、1997(平成9)年度1167万人に比べて約34%の減少となっている」との事です。当該記事は阪堺電軌の総務部長さんの手によるものなので、「競合する都市鉄道」とやんわりと書いていますが、これは主に南海電鉄を指しています。親会社の南海にも、子会社(阪堺電軌)衰退の責任の一端がある事が分かります。
以上は最近10年間に限っての輸送実績の推移ですが、阪堺電車の乗客減については、それに加えて下記の要因もあるのではないかと思います。
(1)人の流れが完全に変わってしまった。
阪堺電車が敷かれた目的は主に次の4つですが、時代が下るにつれて、次第にその意義が失われていきました。
1)住吉大社への参拝客輸送(上町線)→参拝客自身の減少と南海・JRへの流出。
2)大浜・浜寺への海水浴客輸送(阪堺線・旧大浜支線)→海水浴場の閉鎖・埋立、臨海コンビナートへの変貌。
3)平野付近の住宅開発(旧平野線)→人口増に対応しきれなくなり、地下鉄谷町線に取って代わられる。
4)新世界への行楽客輸送(全線)→新世界自体の衰退。
その為、かつては大量の行楽・参拝・通勤・通学輸送を担っていた阪堺電車の各線も、今や上町線沿線の通勤・通学輸送だけを主に担うようになってしまいました。そして、大浜支線や平野線は既に廃止され、残る阪堺線も風前の灯と化してしまったのです。つまり、時代の変遷と共に人の流れが変わってしまったという事です。
現在、上町線の利用需要が比較的堅調に推移しているのは、沿線の帝塚山近辺から天王寺のターミナルに出るには、当該路線を使うしか無いからです。それに加え、沿線には多くの高校・短大が立地しているのもあります。
翻って阪堺線はと言うと、たとえ阪堺電車が天王寺への直通運転に踏み切っても、天王寺に出るには、新今宮での乗換の手間を含めても、南海やJRを経由したほうが遥かに便利なので、今さら阪堺電車に乗り換えるような客は殆ど出なかったのです。
(浜寺・天王寺間での運賃・時間比較)
・使用経路:阪堺は浜寺駅前―天王寺駅前、南海+JRは浜寺公園―新今宮―天王寺。
・所要時間:阪堺直通45分、南海+JR20分
但し後者については、堺(普通から急行に乗換)・新今宮(JRに乗換)での乗換時間は計算外。
・普通運賃:阪堺直通290円、南海+JR440円
・一ヶ月通勤定期運賃:阪堺直通10880円、南海+JR16170円
金額的には、阪堺のほうが乗換が無い分かなり安くなりますが、駅数が多いこともあり時間は倍以上かかります。ただでさえ忙(せわ)しない通勤時間に、たかだか15キロほどの移動で45分間もかかっていたのでは・・・。たとえ月に数千円高くなっても、普通は後者のほうを利用するでしょう。
(2)沿線の産業空洞化
前項でも述べたように、既に阪堺線乗客の主流は、全線通し利用客から、通学や近場の買物に出掛ける区間利用客に移っていました。しかし、たとえそうであっても、地道に「地域の足」として機能していたら、事態はもう少しマシなものになっていたでしょう。ところが国(旧自民党政府)は、新自由主義の構造改革政策を推進し、下町を切り捨てる事で、肝心の「地域」自体を衰退させてしまいました。その為、地域の商店街や公設市場はどんどん廃れ、それに併せて下町を通る阪堺電車の利用需要も、ますます減少に歯止めがかからなくなっていきました。
(3)阪堺電車自身の抱える問題点
阪堺電車のような問題を抱えている私鉄や路面電車は、日本で他に幾らでもあります。しかし、それらの経営体が、全て阪堺電車のような状況に陥っている訳ではありません。和歌山電鉄の「たま電車」や、えちぜん鉄道(福井県)の女性アテンダント活用、広島電鉄・富山ライトレールのLRT化の試み、長崎電軌の全区均一低料金制度、熊本電鉄のパーク・アンド・ライドの試みなど、地域住民(乗客)と鉄道会社が一体となって、公共交通を残そうと頑張っている所も一杯あるのです。そういう所では、住民の間にマイ・レール意識が浸透し、鉄道会社のほうでもサービスの維持向上に余念がありません。
翻って阪堺電車はどうかと言うと、行政主導の堺LRT構想によりかかるばかりで、自ら再生に向けて頑張ろうとする意気込みが、あまり伝わって来ないのです。それが、私が過去記事「―チンチン電車を残そう!」でも触れた、駅のトイレの表示が無い(我孫子道)、電車時刻表の場所が分かりにくい(堺市内大道筋各電停)、安全地帯がスロープになっていないので車椅子では上れない(阿倍野)、低床式車両導入の遅れなどの問題点に、如実に現れています。
本来ならば、従来の車社会に代わるエコモデルとして、もっと評価されて然るべき堺LRT構想が、何故「市長の一時の人気取り」だけに終わり、当の沿線住民から支持さなかったのか。その裏には、以上挙げた問題も多分に絡んでいるのではないでしょうか。
以上、阪堺電車衰退の原因として、(1)人の流れの変化、(2)産業空洞化の進展、(3)阪堺電車自身の問題、の3点を挙げましたが、勿論これらの原因は、並列の関係でもなければ、単独で存在している訳でもありません。90年代以降の利用客の落ち込みが激しい事から見ても、特に(2)の不況や構造改革政策による地域経済の冷え込み・地元商店街の衰退が、それまで近場の利用客によって支えられてきた阪堺電車にとって、決定的なダメージとなった事はほぼ間違いないでしょう。これは、基本的には政治の責任に帰すべきものであって、一民間企業だけでどうこう出来る問題ではありません。
しかし、それと同時に、(3)の社内風土の問題も、(1)(2)とは別に指摘せざるを得ません。これら全てが複合的に絡み合って、今に至る阪堺電車の経営危機が醸成されてきたのではないでしょうか。それを、天王寺直通運転だけで緩和できるとは、到底思われません。ではどうすれば良いか。いずれにしても、この問題の根は、想像以上に深いと、言わざるを得ません。