中心気圧945ヘクトパスカル・最大風速40mの、非常に強い台風18号が、いよいよ明日の未明に紀伊半島付近に上陸するとの事・・・。ゲッ、このまま行けばモロ近畿地方を直撃じゃん。
台風が来るからといって、直ぐ臨時休校や臨時休業の措置を取れる学校や企業が、正直言って羨ましいです。私の職場の様に、食品を扱っている流通業は、台風が来るからといって、そう簡単には休めません。ジャスト・イン・タイム、24時間稼動で切れ目無しにヒトとモノが動いているし、生鮮食料品を扱っているので賞味期限や廃棄ロスの問題もあります。だから、たとえ台風で客足が鈍ろうとも、雨が降ろうが槍が降ろうが、店は必ず開けなければならないし、商品は必ず納品しなければならないのです。その台風来襲のピークとなるのが、ちょうど明日の出勤時間なのです。
そう考えると、「蟹工船」の昔とも、ちっとも変わっていない。あの漫画の中で、鬼監督の浅川が、時化で尻込みする漁夫たちを、無理やり脅しつけて出漁をごり押ししようとする場面がありますが、何の事は無い、今もそれとさして変わらないのではないか・・・。
今日の仕事帰りも、職場を出る時はそうでもなかったが、家に着く頃にはもう既に路面があたり一面水浸しとなっていました。あとはもう台風が、私の住んでいる大阪よりも、少しでも東側を通ってくれる事を祈るのみです。台風が居住地の東側を通れば「雨台風」となり、少なくとも暴風は多少はしのげます。逆に居住地の西側を通ると、反時計回りの台風の渦に進行方向に向かう風も加わり、風雨がさらにきつくなります。
1961年の第二室戸台風の時がそうでした。今回の台風との比較では、それよりも少し前の伊勢湾台風がよく引き合いに出されますが、当時は私がまだ生まれるか生まれないかの頃で、全く記憶に残っていません。それよりもまだ第二室戸台風の時のほうが、自宅の窓ガラスが目の前で割れた記憶が、微かに残っています。あの時は、突風が吹いたと思った途端に、目の前でいきなりガラスが割れたのですから。幸いケガは無かったものの、割れたガラス窓から、家の隣にあった電柱の高く聳え立った姿が、はっきり見えていたのを思い出します。若しあの電柱も一緒に倒れてきていたら、私は今頃この世にいなかったかも。
その第二室戸台風が、大阪湾を北上して阪神間に再上陸という、ちょうど大阪の西側をかすめるコースを辿っていました。
まあ、自宅が浸水とか町内丸ごと避難とかいう事態にまでなれば、「飯の種」よりも「命あってのモノダネ」で、たとえ後で誰から何と言われようとも、何が何でも強引に休みますが、そうでない限り、多分出勤しなければならないでしょう。それは、自分が逆の立場に立たされたら、直ぐに分かります。「アイツはうまい事休めたのに、何故オレは出てこなければならないのか?」という気持ちに、誰しもなるでしょう。必ずしも口には出さないだけで。
ところで、その避難勧告という仕組みも、よく考えれば合点のいかない事が少なくありません。たとえば指定避難場所についても、何故、大抵判で押したように、近所の公民館や学校になるのでしょう?私の町でも、近くの公民館や小学校がそれぞれ一次・二次の避難場所に指定されていますが、一階平屋建ての公民館では、水が来ても逃げようがありません。その場合は二次指定場所の小学校(四階建て鉄筋公舎で、これも直ぐ近くにある)に避難するようになっていますが、それで浸水から免れられたとしても、強風・暴風は一体どうやって防ぐのでしょうか。そんな所に避難する位なら、まだしも二階建で雨戸もある自宅のほうが、まだ何ぼか安全です。
食料・生活物資の配給の便を考えれれば、公共施設に避難させるのもあながち分からなくもないのですが、果たして本当の所はどうなのでしょうか。まさか、戦時中の学童疎開と同じ発想ではないでしょうね。戦争遂行の足手まといとなる子どもを隔離すると同時に、将来に向けての兵力温存を図ったという、その発想と。
今までつらつらと思いつくままに書いてきましたが、たかが台風と言う勿れ。今の私にとっては、これが最大の関心事なのです。但し、「避難するなら風雨の強まらない今晩中に」としたり顔でアナウンサーが繰り返す、どの局も変わり映えのしないテレビのニュース番組なぞは、余り見る気になれません。テレビでは「避難しろ」、会社からは「出勤しろ」と言いながら、いざ何か問題が起こった時だけ掌を返すように「避難勧告はしていた」「無理に出勤しろと言った覚えは無い」でお茶を濁そうとする姿勢が、どちら側からもヒシヒシと感じられるので。