・民主はもっと混乱=小沢氏の党代表選出馬で-石原都知事(時事通信)
>東京都の石原慎太郎知事は26日、民主党の小沢一郎前幹事長が党代表選に出馬する意向を表明したことについて「民主党はもっと混乱する。金権陣営と無為無策陣営の対立だ。これで政界の再編成が進むだろう」との見方を示した。都庁内で記者団の質問に答えた。
石原知事は「小沢氏の(政治とカネなど)いろんな問題に納得している国民はいるのか。その人間をかついで総理大臣にしたときに日本のプレステージ(権威)はどうなるのか」と強く批判した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010082600474
小沢一郎の民主党代表選出馬で、俄然、政界がきな臭くなってきました。どうせ今後当分の間は、民主党代表選がニュース報道の中心になるでしょうから、最初に自分の立場表明だけしておきます。
何が「金権陣営と無為無策陣営の対立」かよ。石原、お前も小沢や菅と同類じゃないか。
贅沢三昧・物見遊山の海外出張、四男・延啓(のぶひろ)の外郭団体(トーキョーワンダーサイト)縁故採用、見栄と浪費の東京五輪誘致、ダイオキシン汚染地への築地市場移転強行・・・そんなお前の金権腐敗・無為無策ぶりが、先の都知事選挙でも一大争点になったのを、もう忘れたのか。
それをマスコミは、何かにつけて石原をもてはやし、こいつを甘やかすから、こんな、世界では相手にされないようなネオコン・ネオナチのバカウヨ爺が付け上がるのです。民主党(第二自民党)の菅・小沢も、元祖自民党で現・たちあがれ日本(第三自民党)支持の石原も、ともに、自民党政治の残滓を引きずる旧体制の遺物でしかない。こんな政治家は一刻も早く政界から放逐し、日本の政治を更に前に進めなければならない。
(追記)
上記の石原の罪状のうちの「ダイオキシン汚染地への築地市場移転強行」については、「ぼうごなつこ」さんの漫画イラストによる説明が、非常に分かりやすい。お勧めです。
・イージス艦初公判 元当直士官ら2被告が無罪主張「ゆがんだ捜査」「作られた過失」(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000520-san-soci
・あたご衝突 「検察主張は虚構」 遺族「何言ってるんだ」(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000010-maip-soci
2年前に起こったイージス艦と漁船の衝突事故についての初公判が、8月23日から横浜地裁で始まりましたが、何とそこで被告の自衛官が、それまでの証言を悉く翻して、完全無罪を主張したのだとか。「ワープア解放新聞」の編集もしなければいけないので、簡単に感想だけ書きますが、「何でまた今頃になって、遺族の感情を逆なでするような事を言い出したのか」と思いますね。
報道によると、被告側は、新たに開示された証言を基に、作り直された航路図を根拠に、無罪を主張しているそうですが。では何故それを、事故当時から公表しなかったのでしょうかね。直接被害に遭った漁船乗組員が亡くなり「死人に口無し」状態の原告側遺族とは違って、被告の自衛官の方には事故当時のデータも手元にあったのですから。本当に自分たちが無罪だと思うのであれば、何故それを当初から主張しなかったのか。
それを、当時はおくびにも出さず、海難審判もとっくに終わり、刑事責任が問われる公判段階になって、何でいきなり、それまでの証言を悉く翻すような事を言い出したのでしょうか。これでは、「当時はやり過ごす事ばかり考え、ほとぼりが冷めた頃に、死人に口無しとばかりに、一気に居直りに転じてきた」と見られても仕方ないでしょう。
公判では、被告の自衛官が、遺族に対して哀悼の意を表明したそうですが、その後で「自分たちは悪くない、悪いのはそっちだ」と言っているのですから、話になりません。そんな事なら、心にも無い「哀悼の意」なぞ、最初から表明しなければ良いのに。
流石に、今回のこの被告側の対応には、世論も概ね批判的ですが、それでも中には、遺族を「ゴネ得」と非難したり、「軍艦の前をチョロチョロしていた漁船の方が悪い」という意見も、たまに見かけます。しかし、そういう人は、JR西日本の社長が、福知山線事故の遺族に対して、同じ様な事を言っても、それを認めるのでしょうか。自分が漁船乗組員や福知山線事故の遺族の立場であっても、「被害者が悪い」という発言を受け入れられるのでしょうか。
私が2年前の事故当時にブログに書いた事が、今、再び問われているのではないでしょうか。
>流石にこんなムチャクチャな(注:ゴネ得などの)発言に対しては、同じ右派からも批判が多く上がっているようですが、ここまで酷くなくとも、この様な「お上言いなり」の事例は、他にも私達の身の回りにあちこちで見られます。年金問題や拉致問題などで、下っ端の公務員や朝鮮・中国人が相手の時はムチャクチャ嵩にかかった物言いをするくせに、国家権力や財界中枢が相手となった途端に、猫をかぶった様に大人しくなり、お上の弁護を買って出るような人が、私の身の回りにも結構いますから。
例えば今回の事件でも、「軍事優先」をあからさまに口にしなくても、「小回りのきく漁船の方が道を譲るべきなのでは」という形で、そういう意見が出てきたりします。しかし、漁船も集団で延縄を仕掛けたり魚群を探知していたら、おいそれと簡単に針路変更などは出来ません。つまり、回避の困難性については一概にどちらが重い軽いと簡単には言えないのです。
そしてより本質的には、あくまでも、「法律に照らし合わせてみて、どちらに回避義務があるか」という事に尽きます。その他の「回避の困難性」云々というのは本質的な要素ではなく、仮に考慮に入れるとしても、せいぜいが過失相殺や情状酌量の材料にしかなり得ないでしょう。
>ここまで書いて思い出したのが、1933年の大阪・天六で起こった有名なゴー・ストップ事件です。この事件は、交差点の赤信号を無視した兵士とそれを見咎めた交通整理の警官との間の諍いが、とうとう軍人と警察の対立にまで発展したというものです。軍人も警官の双方とも「天皇陛下の赤子」として譲りませんでしたが、最終的には警察の方が折れる事で決着を見ます。この事件を境にして、以後は軍部以外には誰も軍人の非行を見咎められなくなったという、戦前の軍事ファシズムへの傾斜を象徴する出来事でした。
その当時と比べて、今の日本はどれだけ進歩したでしょうか。1988年の「なだしお」衝突事故の教訓が全く生かされなかった事や、かつてイラク日本人拉致事件被害者や北朝鮮拉致被害者家族会に加えられた醜いバッシングの事を思うと、日本人の「お上言いなり」意識は昔も今も全然変わっていないのでは、という気がします。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/07ec12214a641a142fa2d4e6c7b559ba
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000520-san-soci
・あたご衝突 「検察主張は虚構」 遺族「何言ってるんだ」(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000010-maip-soci
2年前に起こったイージス艦と漁船の衝突事故についての初公判が、8月23日から横浜地裁で始まりましたが、何とそこで被告の自衛官が、それまでの証言を悉く翻して、完全無罪を主張したのだとか。「ワープア解放新聞」の編集もしなければいけないので、簡単に感想だけ書きますが、「何でまた今頃になって、遺族の感情を逆なでするような事を言い出したのか」と思いますね。
報道によると、被告側は、新たに開示された証言を基に、作り直された航路図を根拠に、無罪を主張しているそうですが。では何故それを、事故当時から公表しなかったのでしょうかね。直接被害に遭った漁船乗組員が亡くなり「死人に口無し」状態の原告側遺族とは違って、被告の自衛官の方には事故当時のデータも手元にあったのですから。本当に自分たちが無罪だと思うのであれば、何故それを当初から主張しなかったのか。
それを、当時はおくびにも出さず、海難審判もとっくに終わり、刑事責任が問われる公判段階になって、何でいきなり、それまでの証言を悉く翻すような事を言い出したのでしょうか。これでは、「当時はやり過ごす事ばかり考え、ほとぼりが冷めた頃に、死人に口無しとばかりに、一気に居直りに転じてきた」と見られても仕方ないでしょう。
公判では、被告の自衛官が、遺族に対して哀悼の意を表明したそうですが、その後で「自分たちは悪くない、悪いのはそっちだ」と言っているのですから、話になりません。そんな事なら、心にも無い「哀悼の意」なぞ、最初から表明しなければ良いのに。
流石に、今回のこの被告側の対応には、世論も概ね批判的ですが、それでも中には、遺族を「ゴネ得」と非難したり、「軍艦の前をチョロチョロしていた漁船の方が悪い」という意見も、たまに見かけます。しかし、そういう人は、JR西日本の社長が、福知山線事故の遺族に対して、同じ様な事を言っても、それを認めるのでしょうか。自分が漁船乗組員や福知山線事故の遺族の立場であっても、「被害者が悪い」という発言を受け入れられるのでしょうか。
私が2年前の事故当時にブログに書いた事が、今、再び問われているのではないでしょうか。
>流石にこんなムチャクチャな(注:ゴネ得などの)発言に対しては、同じ右派からも批判が多く上がっているようですが、ここまで酷くなくとも、この様な「お上言いなり」の事例は、他にも私達の身の回りにあちこちで見られます。年金問題や拉致問題などで、下っ端の公務員や朝鮮・中国人が相手の時はムチャクチャ嵩にかかった物言いをするくせに、国家権力や財界中枢が相手となった途端に、猫をかぶった様に大人しくなり、お上の弁護を買って出るような人が、私の身の回りにも結構いますから。
例えば今回の事件でも、「軍事優先」をあからさまに口にしなくても、「小回りのきく漁船の方が道を譲るべきなのでは」という形で、そういう意見が出てきたりします。しかし、漁船も集団で延縄を仕掛けたり魚群を探知していたら、おいそれと簡単に針路変更などは出来ません。つまり、回避の困難性については一概にどちらが重い軽いと簡単には言えないのです。
そしてより本質的には、あくまでも、「法律に照らし合わせてみて、どちらに回避義務があるか」という事に尽きます。その他の「回避の困難性」云々というのは本質的な要素ではなく、仮に考慮に入れるとしても、せいぜいが過失相殺や情状酌量の材料にしかなり得ないでしょう。
>ここまで書いて思い出したのが、1933年の大阪・天六で起こった有名なゴー・ストップ事件です。この事件は、交差点の赤信号を無視した兵士とそれを見咎めた交通整理の警官との間の諍いが、とうとう軍人と警察の対立にまで発展したというものです。軍人も警官の双方とも「天皇陛下の赤子」として譲りませんでしたが、最終的には警察の方が折れる事で決着を見ます。この事件を境にして、以後は軍部以外には誰も軍人の非行を見咎められなくなったという、戦前の軍事ファシズムへの傾斜を象徴する出来事でした。
その当時と比べて、今の日本はどれだけ進歩したでしょうか。1988年の「なだしお」衝突事故の教訓が全く生かされなかった事や、かつてイラク日本人拉致事件被害者や北朝鮮拉致被害者家族会に加えられた醜いバッシングの事を思うと、日本人の「お上言いなり」意識は昔も今も全然変わっていないのでは、という気がします。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/07ec12214a641a142fa2d4e6c7b559ba