![]() | dancyu (ダンチュウ) 2012年 02月号 [雑誌] |
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※突然ですが、超久しぶりに「グルメ探訪」の話題をアップします。当ブログ・リンク先の「四トロ同窓会二次会掲示板」に、2月20日~26日に渡って書き込まれた「朝鮮オタク」さんの一連の下記投稿ですが、たまたま読んだら非常に興味深かったので、先方掲示板の転載フリーの規定に甘え、こちらにも保存させてもらいました。政治系掲示板の沖縄・宜野湾市長選などの書き込みに混じって、単独の話題として書き込まれたものですが、色々と勉強になりそうな内容だったので。
但し、8部に分かれていた元投稿は、読みやすくする為に一まとめにしました。各段落の文章がその一つ一つの元投稿に当たります。その他、改行位置なども一部手直しを施しましたが、本文には一切手を加えていません。
そういえば、最近、韓国料理を食べていませんね。私は、焼肉は余り食べませんが、冷麺やクッパは割りと好きでしたよ。また久しぶりに食べてみても良いかも。しかし、この文体どこかで見覚えのあるような~(笑)。
朝鮮人は食器に金属器(以下「金属器」とは「食器」をいう)を使うが、それが現われたのは、三国時代(4世紀~7世紀-高句麗、百済、新羅の鼎立時代)である。『三国史記』(巻第32 雑志第2 器用)には、貴族の階級によって金・銀・鍍金(メッキ)の使用を禁じたことが記されている。新羅の都「慶州」の「金冠塚」(5世紀末~6世紀初頭)からは、金製の鋺が出土している。同じく「慶州」の「金鈴塚」(6世紀)からは、鉄器の蓋付の飯用の器も出土している。ただ、これらの器は王族・貴族階級のもので、庶民は土器・木器を使用していたものと考えられている。
統一新羅(532年~935年)も同じような食器が使用されていた。ただ、この時代になると、土器には釉薬がかけられており、上品な器も登場している。
ところで、食器というと器のみに目が奪われるが、朝鮮では「匙」(現在のレンゲ状のもの)の発達が著しかった。朝鮮で、飯類は「箸」で、汁物は「匙」でという習慣によるものであろう。楽浪古墳(北朝鮮の平壌付近におかれた後漢時代の植民地)〔紀元前108年~紀元133年〕のもの)から出土した青銅製の「匙」がある。そのほかにも中国の東北部の遺跡(青銅器時代)〔紀元前10世紀〕から、同じようなものが発掘されている。中国には「匙」が発達しなかったと言われていることから、北方民族(ツング-ス系)がもたらしたものかもしれない。楽浪古墳からは、子供が年老いた父親に匙でものを食べさせる図があるから、この時代には「匙」が広く使われていたことがうかがえる。中国では今でも「匙」・「スプ-ン」はあまり使われていないと聞いている。
高麗時代(918年~1392年)になると、真鍮(銅と鉛の合金)製の食器が登場してくる。鋺だけでなく匙も同じである。『高麗史』(高麗時代の1451年(李氏朝鮮時代)に「金 宗瑞」らにより撰進された高麗王朝の歴史書)には「高麗の真鍮・真鍮器は合金技術が優れていて、中国人が絹の反物数千反ずつ持ってきて、それらと交換していった」という記述がある(光宗9年・10年〔957年・958年〕条)一方で、同じく元宗3年(1261年)条には「真鍮の原料は高麗では生産されておらず、中国から買っている」という記述がある。これは、高麗が真鍮の原料を中国から買入れて、それを加工し、中国に輸出していたと考えられている(『韓国食生活史』姜仁姫 藤原書店 2000年12月30日 199頁)。
また、『高麗図経』(中国の「宋」の「徐 兢」により表された高麗の見聞録-1124年〔1123年の事実を記したもの〕)には、当時の人が真鍮器をたくさん使っていたと記されており、高麗王朝末期の「恭譲王」(1345年~1394年)には、真鍮器の使用を禁止し、陶器や木器を使おうという上訴文まで出されている。
これらのことから、高麗時代には庶民にまで真鍮器(鋺・匙)が高級食器として普及していったことがうかがえる。
李氏朝鮮時代(1392年~1910年)になると、陶器・磁器で作られた食器(主として飯器〔茶碗〕)が使われるようになった。特に夏に多く使われたというから、真鍮などの金属器では熱くて持てなかったのが原因であると考える。陶器・磁器が普及したのは、各地に官民の陶器制作場が設置されたことにある。しかし、後に述べるように現在の陶器・磁器とは違い、粗雑なものだった。
木器も食器として多く使われていた(『朝鮮紀行』オペルト〔『韓国食生活史』254頁〕)。このころには中国では食器として木器が使われることがなかったので、とても珍しかったようである。真鍮器(鋺・匙)はやはり高級品で、庶民は陶器・磁器、木器を使うのが一般的であった。ところで、日本人は、陶器というと器を考えるが、朝鮮での陶器の一般的な使用は、キムチや醤(味噌)を入れる大きな甕である。
★ 朝鮮紀行
ドイツのユダヤ人で貿易商である「オペルト」による1882年(李氏朝鮮時代末期)の朝鮮見聞録
李氏朝鮮時代の後期の中国の見聞録『熱河日記』には、「中国は専ら画の描いてある陶磁器を使用し、白銅や真鍮、錫などの器は見えなかった。へんぴなところのぼろ屋でも、その日用の食器は、みな金や碧の絵付けのある椀や皿であった。わが国の陶磁器は下手でその域に達してない」(意訳)とある(『熱河日記(上巻)』朴 趾源 平凡社〔東洋文庫 325〕1978年3月27日 192頁)。ここから、朝鮮では器に金属製のものが使われており、陶器・磁器もあったが、単なる素焼きの域を脱してなかったと考えられる。したがって、陶器・磁器は高級品からはほど遠く、庶民が専ら使用したものと考えられるのではあるまいか。
李氏朝鮮時代の末期の朝鮮人の食器について、前記で「箸よりも匙(土製・木製)が盛んに用いられた」(『朝鮮紀行』オペルト)と紹介したが、ここでは、中国にように食器を直接口に当てるのではなく、匙で口元に運ぶという食事様式が描写されている。ただ、「匙」といってもかつてのようにレンゲ状のものではなく、現在朝鮮で使われている「スプ-ン」状のものである。しかし、欧米の「スプ-ン」とは異なり、柄の部分が長い。
先に朝鮮では「匙」の発達が著しかったと記したが、この習慣は新羅時代、いやもっと昔からの食習慣であったのか中国を旅行した朝鮮人の「朴 趾源」は、中国に「匙」が無くて驚いたと記している(『熱河日記』朴 趾源〔『韓国食生活史』33頁〕)。日本も同じようだったと考えられている。
★ 『熱河日記』
李氏朝鮮時代の後期の実学派(朱子学に対抗する学問)であり、地方官吏であった「朴 趾源」(1752年~1805年)が李朝から中国へ派遣された使節「燕行使」に随伴し、漢城(ソウル)から平壌、義州を経由して中国の北京を経由して清朝乾隆帝のいる避暑地熱河へ向かった際の見聞記
ところで、現在の韓国では、高級食器に銀器が使われているが、「銀器」に関する歴史書での記述は殊の外少ない。三国時代の新羅では「銀器」が使われていたようであるから、高級食器として貴族階級に使われていたとは考えられるが、高級食器として使われていたのは「真鍮器」だったと考えられる。
李氏朝鮮時代末期には、真鍮器生産工場が北朝鮮の「平安北道」に集中していたようである(『韓国食生活史』390頁)。なお、陶磁器も使われており、その生産工場は、磁器工場が21、陶器工場が13、で(『朝鮮の窯業』朝鮮総督府 1925年〔『韓国食生活史』390頁〕)、規模は不明で詳細は不明である。食器として一般的なものは次の記述からも「陶器」だったと考えられる。
外国人の朝鮮への紀行文をひも解いても、ソウルから漢江を50里ほど登ったところの農村で「ご飯は主食で、大きなボ-ルに盛って出されるが、その以外に陶器の器が最低5つか6つは並べられ(中略)、食べる際には箸と角製または卑金属製のやや平たいスプ-ンを使う」とある(『朝鮮紀行』イザベラ・ビッショプ(イギリス人 1894年1月~1897年3月まで旅行)図書出版社 1995年5月31日 81頁)。ここにいう「大きなボ-ル」および「箸」が何で作られたかは不明であるが、おかずの器は陶器、スプ-ンは金属製だったことがわかる。「朝鮮の地方当局者の正餐ではどこでも(中略)食物は銅器や銅匙で食べる」(「1896年12月および1896年1月の朝鮮旅行」アリフタン中佐(ロシア人)〔『朝鮮旅行記』平凡社(東洋文庫 547)1992年3月24日 290頁〕)。
これを見ると、農村では陶器、高貴な客には銅器を使っていた。農村でも「スプ-ン」だけは金属製のものを使っていたというから(前記のオペルトの『朝鮮紀行』では、匙は土製・木製とある)、一般的には金属製の器の普及はまだまだだったのではあるまいか。
日本統治時代(1910年~1945年)には、朝鮮人の食器は「真鍮器」が主だった。それは生活のレベルも上がり、陶器のものより高級感がその原因だったと考えられる。もちろん陶器工場もあったので、陶器も使われていたが、安っぽい食器のイメ-ジが根強かったようである。日本人が陶器の食器を持込んだが、これが朝鮮人の間に根付くことはなかった。
なお、韓国に陶磁器が発達(再興)したのは1980年代からで、日本人韓国客が買い求めたのがきっかけである。高麗青磁、李朝白磁というが、これは王族・貴族用で一般庶民からはほど遠い存在で、これも李氏朝鮮時代末期には政治・経済の混乱のなかで衰退しており、日本統治時代にも復興しなかった。
食器としての陶磁器は粗雑で、前述の李氏朝鮮時代中期のとおり、この時代でも高級感に乏しかったと考えられる。
日本統治時代が終わってからは、朝鮮人の食器は「真鍮器」から「アルミニュ-ム器」が次第に主流を占めてきている。これはそれが「真鍮器」よりも安価であるというのが理由だと考える。
最近では陶器の食器が綺麗だといってもてはやされているが、これはこの10年のことではないかと思われる。なお、一般の食堂などでは食器として陶器が使われることはまずない。壊れやすいということが原因の一つではなかろうか。日式食堂(日本料理店)や高級韓式食堂では、陶器の器が使われている。
陶器の食器が高級食器として使われるようになったのは、日本の影響だと考える。韓国では日本製の陶磁器が質が高いととても評判が高い。
さて、銀器だが、韓国の一般家庭ではお客用として用意されている。これも韓国が経済的発展をとげたオリンピック(1988年)以来ではなかろうか。
なお、朝鮮で「銀器」を使うのは、朝鮮では毒殺が多く、銀は毒に反応しやすいから、それを使うと考える者がいるが、これは「俗説」であろう。
北朝鮮では、食器としては陶器のものが使われている。金属器はあまり目にすることはない。観光客にも陶器のものが提供されている。それは金属器が高価であることによろう。北朝鮮へ家族訪問に行かれる在日朝鮮人に聞いても、金属器(アルミ、真鍮)は法事などに使うもので、普段の食事には使うことはないそうである。
「金属器」が良いかと言えば、日本人としての感覚で言えば、そうとも言い切れない。まず、熱いから持ち上げるのが大変だ。箸も細いからなかなか物をつかみ難い。それゆえ、朝鮮では食器を持ち上げて食べない。いわゆる日本人が蔑む「犬食い」だが、習慣だから何とも言えない。
この器を持ち上げないで食べる習慣がいつからあったかは明らかではないが、先に楽浪古墳からは、子供が年老いた父親に匙でものを食べさせる図(孝子図)があると紹介したが、この図では息子が手に食器(椀)を持っていることから、この時代は手に飯器を持っていたとも考えられる。息子が父親に冷たいものを食べさせるはずはないだろうから、この器は「金属器」でなかったであろう。
器を持ち上げないで食べる習慣は「金属器」が用いられるようになってからだと思える。熱くて持てなかったことからきたのではなかろうか。そして、これは「三国時代」に始まったと考えられよう。
朝鮮で、飯類は「箸」で、汁物は「匙」でという習慣が昔からあり、日本のようにいずれも「箸」でという習慣はない。したがって、「スプ-ン」の発達が著しい。スプ-ンは優れものだ。先に形状を示したが、先が尖ったり、細くなく、丸いのが特徴である。銀でできたものはとても綺麗・優雅でしかも使いやすい。これは韓国に行ったら買い求めたら良いと思う。ただし、銀器に限る。値段は「箸」と一緒で6~8000円くらいか。「箸」を省いて売ってくれるか交渉してみたらよい。「箸」が珍しいといって買っても日本では使わないだろう。わが家でも食器棚の引出の中に眠っている。日本では、大阪なら「鶴橋」、東京なら「大久保」で買い求めることができると思う。
世界で、朝鮮の他に「金属器」を使う国・民族がいるかどうかはわからないが、あってもとても少ないのではなかろうか。(終わり)
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