検証 福島原発事故・記者会見--東電・政府は何を隠したのか | |
クリエーター情報なし | |
岩波書店 |
(理論編からの続き)
【郵送】
先程同僚2人に顛末書&提出までの経過ツイートのコピーを郵送。同じ職場の同僚なのに回りくどい事。これも皆会社側の言論弾圧のせいだが、逆にこれで誰憚る事なく情報発信できる様になった。彼らの様に、それはあくまで会社の都合であって自分にはまた別の都合があると考えられる労働者の、何と少なくなった事か。
【そもそも立場が違う】
この間他のバイトと話して痛感するのは、労働者と資本家は根本的に立場が違うにも関わらず、労働者でありながら会社側の土俵でしか思考できない人が増えた事。会社批判したら信用なくすと。信用なくす様な事をしているのは、飲料ケースとシュークリームを一緒くたに流し破損の責任をバイトに擦り付ける会社の方なのに。
【同化政策】
労働者と資本家は根本的に立場が違うからと言って、何も赤旗振れと言う訳じゃなし。会社や仕事も大事だが、それはあくまで自分の為。自分の人生を犠牲にしてまで会社に従う必要なし。最初はそのつもりで従っていたのが、気が付けば精神的にも洗脳され奴隷状態に。その行き着く先が原発事故にTPP、消費増税。
コメント(ウルフの子)
会社のあの労務管理の拘束性、あれは従業員の疲れや世間知らずにすることによる従順さ養成なんでしょうね。休日を削ったり、残業で終電・終バスにも乗れるかどうか分からない。あんなのじゃ消費者として、趣味や社交できず、ろくに洗濯や掃除さえできず、給与の割に精神的・文化的に貧しくなっていく。
コメント(プレカリアート)
>会社のあの労務管理の拘束性~従順さ養成なんでしょうね。/これの一番酷かったのが大阪の某生協勤務時代でした。今は何だかんだ言っても所詮バイトなので精神的拘束はまだ強くないが、モダンタイムスの様な働き方なので肉体的拘束は極限。たかだか1時間かそこらの急な残業延長で以前揉めたのもそれがあるから。
【奴隷に成り下がる位なら】
私が要望書や顛末書をコピー配布したバイト2人は遅かれ早かれ退職するだろう。それを匂わす発言も既に聞いている。勿論ベストなのは共に闘う事だが、それが無理なら退職で奴隷化拒否も当然あり。私が生協辞めた様に。私は彼ら程若くはないので当分まだいるが、ゆくゆくは私もライターへの転身目指し模索開始。
【アンチ・スネ夫】
今の会社のスネ夫体質にはほとほと嫌気がさしたが、他も似たりよったりだろう。いつまでもバイトでいる気はないが、橋下徹のように搾取する側に回りたいとも思わない。ならライターや市民記者が一番向いてるかもと思い、先程某サイトに登録。ストレートに市民記者を目指すか、まずは軽めの記事で技量をつけていくか。
【新たな一歩】
ついでにライター募集や市民記者をキーワードに色々検索してみたが、まだまだ暗中模索。理想はあくまで独立系市民メディアの編集・参画を目指すも、いきなり素人には無理。まずは副業として軽めの記事からと考えるも、どこまで割り切るべきか。下手すれば三流風俗ライターや怪しげな健康食品の営業マンに成り下がる恐れも。
http://mixi.jp/list_voice.pl
上記アフェリエイト本著者の日隅一雄、木野龍逸両氏の様な独立系ジャーナリストの理想は素晴らしいと思うが、日本のJANJANも韓国のオーマイニュースも結局は長続きせず。今ある中では、完全ボランティアのNPJやBLOGSを除けば、PJニュースやIWJ、ガジェット通信が私の理想に近い。でも、これらは今の私にとっては、余りにもレベルが高すぎてなかなか足が踏み出せない。そこで、当面は安売り記者に成り下がるのも覚悟の上で、当該募集サイトにライターとして新規登録。
<平和記念式典>福島から広島へ 避難の小6が願い込め(毎日新聞)
「平和とは、世界中すべての人が幸せになること」。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に避難した小学6年、三浦友菜(ゆうな)さん(11)が、戦争と放射能汚染のない世界を願って書いた作文が、「平和の歌声・意見発表会」(広島市教委主催)で優秀作に選ばれた。6日の広島・平和記念式典で読み上げられる「平和への誓い」に作品のエッセンスが盛り込まれ、全世界に発信される。(中略)
友菜さんの作文「幸せな世界」の全文は次の通り
◇
私は、平和とは、世界にいるすべての人間が幸せになる事だと思います。
私には、家族がいます。私の事を支えてくれる家族がいます。私の友達にも家族がいます。三人の家族もいれば、五人の家族もいます。私の家族は五人います。でも今、広島にいるのは、四人だけです。お母さん、お姉ちゃん、妹と私はお母さんのふるさとの広島でくらしていますが、お父さんは今までみんなでくらしていた福島県いわき市にいます。なぜ、はなれてくらしているかというと、2011年3月11日の東日本大震災が起きてしまったからです。
3月11日、地震がきました。とっても大きな地震で、建物がくずれたり、津波が来たりして、たくさんの死者が出ました。地震や津波だけなら福島にいられたのですが、その数日後、福島第1原発が爆発して大変な事になりました。
「放射能をあびると体に悪いえいきょうがあるから福島にはいられない」。とお父さんは言いました。そして、私の家族は広島に住むことになりました。しかし、お父さんは会社の仕事をしなくてはならないので、広島に住むことができません。一人残って文ぼう具店の仕事を一しょうけん命しています。時々、私たちに会うために広島に来てくれますが、数日するとまた福島にもどります。お母さんも私たちの世話をしながら1ケ月に一度、家のことをしたり、福島の人に安全な野菜をとどける仕事をしたりしています。
私はあの大震災が起きるまで家族はいつもいっしょにいるのがあたりまえの事だと思っていました。でも今はお父さんと、はなれてくらしていて、少しさみしい時があります。いわきの友達にも会ってみたいし、いっしょに遊びたいなと思う事もあります。
世界には、戦争などで家族を失っている人がたくさんいて、一人ぼっちになってしまった子もいると思います。私は家族とははなれてくらしていますが、家族を失ってはいません。家族がいない人は私よりさみしい思いをしていると思うのです。
去年の平和学習で平和記念資料館に行きました。そこにはひふがはがれている人のもけいや写真、ぼろぼろになったふくやおべんとう箱の実物などがあって、それを見た時、原爆ってほんとうにおそろしいな、目に見えない放射能ってすごい力をもっているんだなと思いました。そして、広島と福島とはなれてくらすことを決めた、お父さん、お母さんの気持ちがあらためて分かりました。
私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います。
今、福島には、自分の家でくらしたくてもくらせない人がたくさんいるし、反対に福島第1原発からはなれたくても仕事でそこに入らなければならない人もいます。
私は、世界から戦争が消えて、放射能の心配も消えて、いろいろな国と仲良くできたら良いと思います。早く世界のみんなも幸せになってほしいと願っています。そして、私も一日でも早く、福島で家族5人が安心して、楽しくくらせるあたり前の日が来てほしいと思っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120806-00000009-mai-soci
「平和とは、世界中すべての人が幸せになること」。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に避難した小学6年、三浦友菜(ゆうな)さん(11)が、戦争と放射能汚染のない世界を願って書いた作文が、「平和の歌声・意見発表会」(広島市教委主催)で優秀作に選ばれた。6日の広島・平和記念式典で読み上げられる「平和への誓い」に作品のエッセンスが盛り込まれ、全世界に発信される。(中略)
友菜さんの作文「幸せな世界」の全文は次の通り
◇
私は、平和とは、世界にいるすべての人間が幸せになる事だと思います。
私には、家族がいます。私の事を支えてくれる家族がいます。私の友達にも家族がいます。三人の家族もいれば、五人の家族もいます。私の家族は五人います。でも今、広島にいるのは、四人だけです。お母さん、お姉ちゃん、妹と私はお母さんのふるさとの広島でくらしていますが、お父さんは今までみんなでくらしていた福島県いわき市にいます。なぜ、はなれてくらしているかというと、2011年3月11日の東日本大震災が起きてしまったからです。
3月11日、地震がきました。とっても大きな地震で、建物がくずれたり、津波が来たりして、たくさんの死者が出ました。地震や津波だけなら福島にいられたのですが、その数日後、福島第1原発が爆発して大変な事になりました。
「放射能をあびると体に悪いえいきょうがあるから福島にはいられない」。とお父さんは言いました。そして、私の家族は広島に住むことになりました。しかし、お父さんは会社の仕事をしなくてはならないので、広島に住むことができません。一人残って文ぼう具店の仕事を一しょうけん命しています。時々、私たちに会うために広島に来てくれますが、数日するとまた福島にもどります。お母さんも私たちの世話をしながら1ケ月に一度、家のことをしたり、福島の人に安全な野菜をとどける仕事をしたりしています。
私はあの大震災が起きるまで家族はいつもいっしょにいるのがあたりまえの事だと思っていました。でも今はお父さんと、はなれてくらしていて、少しさみしい時があります。いわきの友達にも会ってみたいし、いっしょに遊びたいなと思う事もあります。
世界には、戦争などで家族を失っている人がたくさんいて、一人ぼっちになってしまった子もいると思います。私は家族とははなれてくらしていますが、家族を失ってはいません。家族がいない人は私よりさみしい思いをしていると思うのです。
去年の平和学習で平和記念資料館に行きました。そこにはひふがはがれている人のもけいや写真、ぼろぼろになったふくやおべんとう箱の実物などがあって、それを見た時、原爆ってほんとうにおそろしいな、目に見えない放射能ってすごい力をもっているんだなと思いました。そして、広島と福島とはなれてくらすことを決めた、お父さん、お母さんの気持ちがあらためて分かりました。
私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います。
今、福島には、自分の家でくらしたくてもくらせない人がたくさんいるし、反対に福島第1原発からはなれたくても仕事でそこに入らなければならない人もいます。
私は、世界から戦争が消えて、放射能の心配も消えて、いろいろな国と仲良くできたら良いと思います。早く世界のみんなも幸せになってほしいと願っています。そして、私も一日でも早く、福島で家族5人が安心して、楽しくくらせるあたり前の日が来てほしいと思っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120806-00000009-mai-soci