反原連(首都圏反原発連合)が毎週金曜日に首相官邸前で行ってきた反原発デモ。大飯原発再稼働反対に的を絞った素人同然のデモが、当初の数百人から今や十数万人を集めるまでに成長し、とうとう野田首相と会見を行うまでになった。その一方で、日の丸を黙認しながら労働組合の旗は下せと言ったり、デモ参加者から逮捕者が出ても選り好みしてまともに救援に取り組まなかったりなど、反原連幹部の恣意的な発言や行動も目につくようになった。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d
そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。
小見出し:「政権打倒が目的じゃない」
上:「再稼働反対」のシングルイシューに限定したことが大きい。原発推進の学者さんや東電の中にだって、今回の再稼働に反対という人はいるし、大飯が止まればゴールだから、運動そのものが自己目的化してしまうこともない。
M:参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。
「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか。
(私の感想)
全く以て意味不明。原発推進の御用学者や東電幹部の中に、再稼働に反対の人が一体どれだけいるのか?大飯が止まればそれで良いのか?そんな理屈で行けば、菅前首相が浜岡を停止した時点で、反原発運動は使命を終えた事になってしまう。福島の惨状も放射能の垂れ流しも核のゴミも下請け作業員の被曝もそのままにして。そんな事が果たして人間として許されるのか。
代替案が無ければ何も言えないのか。そんなモノがあろうがなかろうが、ダメなものはダメという所から声を上げるのが普通じゃないか。そんな理屈なら、水俣病の告発すらチッソの公害防止体制(つまり代替案)が整うまでは出来ない事になってしまう。まず今の現状を何とかしろという被害者の叫びから出発した後で、代替案もあれば浮かんでくるだろうし、そもそも、それは加害者(この場合はチッソ)の責任で考え出すものであって、被害者に求められる筋合いのものではない。
内閣が代われば同じというが、それは浜岡や大飯が止まってもそれだけでは何も変わらないのと同じではないか。
これだけでも、反原連のこれらの言い分は、全て「為にするもの」「ただの言いがかり」でしかない事が分かる。運動に酔っているのは寧ろ反原連自身じゃないのか。
小見出し:運動を「乗っ取ろうとする人々」
上:自由報道協会の会見(7月27日)でも、セクト(新左翼)を名指しで批判してましたよね。
M:(中略)いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い。
(私の感想)
セクト(党派)や労組の旗がないから参加しやすいという人もおれば、逆にあるから奮い立つ人もいるだろう。そんなものは人それぞれであって、要はデモの邪魔にさえならなければ良いのだ。デモの主題もそっちのけに自派の宣伝や勧誘だけやられたら確かに迷惑だし、そんなセクトや労組もあるのは確かだが、ならその当該セクトや労組に個別に注意して、言う事を聞かなければお引き取り願えばそれで済む話。それを「セクトや労組は全てダメ」と、ミソもクソも一緒くたにして否定・排除するのは、主催者側の横暴でしかない。
そもそも、自民党支持者も共産党支持者も包摂した大衆団体の労組を、政党やセクトと同一視してしまっている時点で、反原連の主張が如何に浅はかなものかが分かる。そんな事を言い出せば、反原連自身も一つのセクトであるのに、自分だけは良くて他は全てダメというのは、反原連による独裁以外の何物でもない。デモの真の主人公は参加者であって主催者ではない。
小見出し:デモの”協賛”は警察!?
上:これまでのデモは、「権力側は敵だ」という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている。
M:デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによって、ようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と。
(私の感想)
この物言いは、「デモや抗議では政治は変えられない、最後に頼りになるのはやはり国会議員や政治家などの”偉い人”だ、デモはその政治家の後押しに徹すれば良い」と言っているに等しい。何とまあ封建的な価値観か。これでは「お任せ民主主義」そのものではないか。やれツイッターやネットで人を集めたの、斬新で新しいデモのスタイルだのと言われながら、実際にそれを主導しているのは、昔の議員後援会のオジサン・オバサンみたいな旧態依然たる人たちであった。
実際は全く逆で、デモや大衆運動が政治家や政治そのものを変えてきた事は、フランス革命などの歴史や今のジャスミン革命の経緯を見れば明らか。この日本でも公害反対の住民運動や革新自治体の運動が実際に政治を変えてきた歴史がある。その運動が潰された後のたかだか数十年の歴史だけを見て、「デモだけでは政治は変わらない」と訳知り顔に言う人たちは、己の奴隷根性や怠慢を誤魔化す為にそれを言っているだけ。
小見出し:私たちは”人生の押し引き”が分かる
上:日本には60年、70年安保闘争にノスタルジーを覚える世代がいる一方、その下の世代はデモが日本を悪くしたというマイナスイメージを持っている。それを払拭しようとしているのは大きいことです。
M:私は安保のときのこととか、一般レベルの知識しかないんですけど、当時はリーダー的な学生も一緒に突入したんでしょう?でも私たちは主に30~40代以上の”大人の”コアメンバーで運営しているので、人生の押し引きとかもわかる。私たちはリーダーでもなくてただの呼びかけ人ですけど、その呼びかけをした私たちが若すぎないから、粘りもあるんじゃないかな。
(私の感想)
はあ?「デモが日本を悪くした」?日本を悪くしたのは自民党などの政治家や、労働者をどんどんクビにして格差を拡大してきた経営者だろう。なのに、政治の事は良く分からない「一般レベルの知識しかない」封建的なオジサン・オバサン、奴隷根性に囚われた「30~40代以上の”大人”」が、自民党や経営者、橋下・石原などの尻馬に乗って、末端の労組員や公務員、生活保護受給者などを叩きまくり、強きにへつらい弱きを挫く・・・それに対する「ネトウヨの言い訳」にしか聞こえない。この週刊ポストのインタビュー記事のタイトルに「脱原発デモの内なる敵はサヨクとネトウヨだ」とあり、しかもネトウヨ(在特会)批判は申し訳程度で大半がサヨク批判なのだが、これでは自分たちこそが「ネトウヨ」そのものじゃないか。
いや実際にあるよ。この記事で取り上げられているような「既得権益の上に胡坐をかき一般市民とは縁遠い労組」や「デモや集会を単なる自派の草刈り場としか見做さないサヨク党派」の姿とかも。官公労や民間大企業の正社員労組がそうだ。会社べったりで会社と一緒になって原発推進している御用組合(電力総連)なんてその典型でしょう。でも、そうではない労組や党派も一杯ある。
ちなみに私も労組員だが、私が個人で加盟している地域労組のどこにそんな「既得権益」があるのか。色んな会社・職種・地域の非正規労働者の寄せ集めで、勤務時間も休日もバラバラの弱小組合で、社内ではビラ一枚自由にまけないのに。職場での業務改善や労働条件改善の取り組みは、全て私が勝手に行い、労組には必要な時に報告して助言を仰ぐのみ。それでも「腐っても鯛」、いざという時には、そんな労組でも当てにするしかないから加盟しているのだ。そんな労組まで含めて、ミソもクソも一緒くたにされて「脱原発デモの敵」扱いされたのでは堪らない。それもこれも、所詮は「世間知らずのブルジョア・セレブの有閑市民」主導のデモだからか。
正直言って、この「週刊ポスト」の記事を読んで、反原連に対する見方が大きく変わった。今後もずっと反原発・脱原発の取り組みには参加していくつもりだが、こんないい加減な、逮捕されても知らんふりされるようなデモには参加しないだろう。
人気ブログランキングへ
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d
そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。
小見出し:「政権打倒が目的じゃない」
上:「再稼働反対」のシングルイシューに限定したことが大きい。原発推進の学者さんや東電の中にだって、今回の再稼働に反対という人はいるし、大飯が止まればゴールだから、運動そのものが自己目的化してしまうこともない。
M:参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。
「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか。
(私の感想)
全く以て意味不明。原発推進の御用学者や東電幹部の中に、再稼働に反対の人が一体どれだけいるのか?大飯が止まればそれで良いのか?そんな理屈で行けば、菅前首相が浜岡を停止した時点で、反原発運動は使命を終えた事になってしまう。福島の惨状も放射能の垂れ流しも核のゴミも下請け作業員の被曝もそのままにして。そんな事が果たして人間として許されるのか。
代替案が無ければ何も言えないのか。そんなモノがあろうがなかろうが、ダメなものはダメという所から声を上げるのが普通じゃないか。そんな理屈なら、水俣病の告発すらチッソの公害防止体制(つまり代替案)が整うまでは出来ない事になってしまう。まず今の現状を何とかしろという被害者の叫びから出発した後で、代替案もあれば浮かんでくるだろうし、そもそも、それは加害者(この場合はチッソ)の責任で考え出すものであって、被害者に求められる筋合いのものではない。
内閣が代われば同じというが、それは浜岡や大飯が止まってもそれだけでは何も変わらないのと同じではないか。
これだけでも、反原連のこれらの言い分は、全て「為にするもの」「ただの言いがかり」でしかない事が分かる。運動に酔っているのは寧ろ反原連自身じゃないのか。
小見出し:運動を「乗っ取ろうとする人々」
上:自由報道協会の会見(7月27日)でも、セクト(新左翼)を名指しで批判してましたよね。
M:(中略)いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い。
(私の感想)
セクト(党派)や労組の旗がないから参加しやすいという人もおれば、逆にあるから奮い立つ人もいるだろう。そんなものは人それぞれであって、要はデモの邪魔にさえならなければ良いのだ。デモの主題もそっちのけに自派の宣伝や勧誘だけやられたら確かに迷惑だし、そんなセクトや労組もあるのは確かだが、ならその当該セクトや労組に個別に注意して、言う事を聞かなければお引き取り願えばそれで済む話。それを「セクトや労組は全てダメ」と、ミソもクソも一緒くたにして否定・排除するのは、主催者側の横暴でしかない。
そもそも、自民党支持者も共産党支持者も包摂した大衆団体の労組を、政党やセクトと同一視してしまっている時点で、反原連の主張が如何に浅はかなものかが分かる。そんな事を言い出せば、反原連自身も一つのセクトであるのに、自分だけは良くて他は全てダメというのは、反原連による独裁以外の何物でもない。デモの真の主人公は参加者であって主催者ではない。
小見出し:デモの”協賛”は警察!?
上:これまでのデモは、「権力側は敵だ」という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている。
M:デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによって、ようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と。
(私の感想)
この物言いは、「デモや抗議では政治は変えられない、最後に頼りになるのはやはり国会議員や政治家などの”偉い人”だ、デモはその政治家の後押しに徹すれば良い」と言っているに等しい。何とまあ封建的な価値観か。これでは「お任せ民主主義」そのものではないか。やれツイッターやネットで人を集めたの、斬新で新しいデモのスタイルだのと言われながら、実際にそれを主導しているのは、昔の議員後援会のオジサン・オバサンみたいな旧態依然たる人たちであった。
実際は全く逆で、デモや大衆運動が政治家や政治そのものを変えてきた事は、フランス革命などの歴史や今のジャスミン革命の経緯を見れば明らか。この日本でも公害反対の住民運動や革新自治体の運動が実際に政治を変えてきた歴史がある。その運動が潰された後のたかだか数十年の歴史だけを見て、「デモだけでは政治は変わらない」と訳知り顔に言う人たちは、己の奴隷根性や怠慢を誤魔化す為にそれを言っているだけ。
小見出し:私たちは”人生の押し引き”が分かる
上:日本には60年、70年安保闘争にノスタルジーを覚える世代がいる一方、その下の世代はデモが日本を悪くしたというマイナスイメージを持っている。それを払拭しようとしているのは大きいことです。
M:私は安保のときのこととか、一般レベルの知識しかないんですけど、当時はリーダー的な学生も一緒に突入したんでしょう?でも私たちは主に30~40代以上の”大人の”コアメンバーで運営しているので、人生の押し引きとかもわかる。私たちはリーダーでもなくてただの呼びかけ人ですけど、その呼びかけをした私たちが若すぎないから、粘りもあるんじゃないかな。
(私の感想)
はあ?「デモが日本を悪くした」?日本を悪くしたのは自民党などの政治家や、労働者をどんどんクビにして格差を拡大してきた経営者だろう。なのに、政治の事は良く分からない「一般レベルの知識しかない」封建的なオジサン・オバサン、奴隷根性に囚われた「30~40代以上の”大人”」が、自民党や経営者、橋下・石原などの尻馬に乗って、末端の労組員や公務員、生活保護受給者などを叩きまくり、強きにへつらい弱きを挫く・・・それに対する「ネトウヨの言い訳」にしか聞こえない。この週刊ポストのインタビュー記事のタイトルに「脱原発デモの内なる敵はサヨクとネトウヨだ」とあり、しかもネトウヨ(在特会)批判は申し訳程度で大半がサヨク批判なのだが、これでは自分たちこそが「ネトウヨ」そのものじゃないか。
いや実際にあるよ。この記事で取り上げられているような「既得権益の上に胡坐をかき一般市民とは縁遠い労組」や「デモや集会を単なる自派の草刈り場としか見做さないサヨク党派」の姿とかも。官公労や民間大企業の正社員労組がそうだ。会社べったりで会社と一緒になって原発推進している御用組合(電力総連)なんてその典型でしょう。でも、そうではない労組や党派も一杯ある。
ちなみに私も労組員だが、私が個人で加盟している地域労組のどこにそんな「既得権益」があるのか。色んな会社・職種・地域の非正規労働者の寄せ集めで、勤務時間も休日もバラバラの弱小組合で、社内ではビラ一枚自由にまけないのに。職場での業務改善や労働条件改善の取り組みは、全て私が勝手に行い、労組には必要な時に報告して助言を仰ぐのみ。それでも「腐っても鯛」、いざという時には、そんな労組でも当てにするしかないから加盟しているのだ。そんな労組まで含めて、ミソもクソも一緒くたにされて「脱原発デモの敵」扱いされたのでは堪らない。それもこれも、所詮は「世間知らずのブルジョア・セレブの有閑市民」主導のデモだからか。
正直言って、この「週刊ポスト」の記事を読んで、反原連に対する見方が大きく変わった。今後もずっと反原発・脱原発の取り組みには参加していくつもりだが、こんないい加減な、逮捕されても知らんふりされるようなデモには参加しないだろう。
人気ブログランキングへ