アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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嘘つきは泥棒の始まり

2013年09月18日 08時53分08秒 | 映画・文化批評
永遠の0 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


 前回記事で小説「永遠の0」の書評を書いたが、今思えばあの書評も過大評価に過ぎたようだ。小説の中であれほど特攻作戦の無謀さ・悲惨さや軍部の横暴・腐敗を暴いた作者の百田尚樹自身が、自分のツイッターでは「笑顔で死んでいった」と特攻を美化し、他のツイッター投稿者から叩かれているのだから。以下、百田尚樹のツイッターより引用する。

百田尚樹‏@hyakutanaoki
特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!

森田広記 ‏@morita0 8月15日
笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを

きむら ゆい ‏@yuiyuiyui11 8月16日
特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“@morita0: 笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、……笑顔で死んでいった男たちを”

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
「笑顔で」とかバカ言ってんじゃねーよ。どんだけ死者冒涜すりゃ気が済むんだ?RT @hyakutanaoki @guriko_ 逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
@yuiyuiyui11 @guriko_ @morita0 発案者自身が終戦時に自決未遂で「我、外道の戦法を考案せり」と後悔したとか、こいつ→ @hyakutanaoki 知らないんですかね?「こんなことやるんだから日本は負けるんだ」が特攻隊員の本音ですよ。

yasubow202 ‏@yasubow202 8月16日
百田さん、笑顔(恐らく、ひきつった)で死ぬなんてことが、美化できるわけ無いですぜ。 RT @toshi_fujiwara 「笑顔で」とかバカ言ってんじゃねーよ。どんだけ死者冒涜すりゃ気が済むんだ?RT @hyakutanaoki 笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
こういう倒錯を、普通の精神医学および心理学用語を当てはめれば「自虐史観」というわけですよ。RT @hyakutanaoki 逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
…っていうか、諦めの境地ですよ。この人、作家のクセに特攻隊の生存者とか話を聞こうとか思わないんだろうか?RT @yasubow202 @hyakutanaoki 百田さん、笑顔(恐らく、ひきつった)で死ぬなんてことが、美化できるわけ無いで

森田広記 ‏@morita0 8月16日
私の父もです。 RT @yuiyuiyui11: 特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“morita0: 笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を...”

ひでやん ‏@hide_twitt 8月16日
@toshi_fujiwara @hyakutanaoki 「笑顔で」とか、あんた見て来た様なウソをよくも平気でつけますね。だれも死にたくなんて無かった筈、特攻隊員は軍国主義によって殺された犠牲者ですよ。

Yuji ‏@pocopenpokopen 8月16日
@toshi_fujiwara @yasubow202 @hyakutanaoki 笑顔で、なんて……講釈師見てきたような嘘を言いです、百田さん。

きむら ゆい ‏@yuiyuiyui11 8月16日
そうですか。私の父は8月15日出撃予定でした。“@morita0: 私の父もです。 RT @yuiyuiyui11: 特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“morita0: 笑顔で死んでいったんではない。@hyakutanaoki

https://twitter.com/hyakutanaoki/status/368212660493361152

 百田が「笑顔で死んでいった」とほざく特攻隊員の心の内がどのようなものであったかは、当の小説「永遠の0」自身が雄弁に物語っている。
 例えば、前回記事でも少し触れた、特攻隊員の生き残りの井崎が、病身を押して健太郎たちのインタビューに応え、亡き宮部小隊長との会話を回想する場面がそうだ。宮部が、彰義隊員の生き残りだった祖父から幕末・明治維新の戦いを何度も聞かされた事を回想し、「今度は孫の俺がアメリカと戦っていると知ったら祖父は驚くだろうな」「俺もいつか自分の孫に、縁側で日向ぼっこでもしながら、おじいちゃんは昔ゼロ戦に乗ってアメリカと戦っていたんだぞって」と語る場面だ。
 そこで井崎が、「その時は日本はどんな国になっているのでしょうか」「平和な国になっていたらいいですね」と思わず漏らしてしまったのに対し、上官の宮部も、それを「非国民」と咎めるどころか、寧ろ一緒になって頷く。そして翌朝、別の空母に配属となりラバウルから飛び立った井崎を、滑走路で見送る宮部が「絶対に死ぬな、どんな事があっても生き抜け」と身振り手振りで語る。その宮部も特攻で亡くなった事を後に知った井崎が、「こんな素晴らしい人まで特攻で殺してしまうような国なぞ滅んでしまえ」と、インタビューで語った。

 それまで井崎の回想をしぶしぶ横で聞いていた、暴走族くずれの井崎の孫が、感極まって突然泣き出した場面だ(講談社文庫版「永遠の0」第5章「ガダルカナル」、248~251ページ)。この場面では、思わず私ももらい泣きする所だった。
 これこそが、大多数の特攻隊員のウソ偽らざる本音だろうが。そして、そう思うなら尚更、今も戦争・軍拡や憲法改正には反対・留保するのが筋だろうが。別に井崎のように「こんな国なぞ滅んでしまえ」とまで思う必要はないが、少なくとも最初の百田のツイッターのような、「笑顔で死んでいった男たちを賛美する」という事には決してならない筈だ。

 私が、前回記事の最後で、「同じように反戦・厭戦の描写を散りばめてはいても、この小説は漫画の「はだしのゲン」とは全然違う」と書いたのも、そういう意味だ。原爆では一瞬にして何十万もの市民が、木の葉の様に焼かれて亡くなった。そして辛うじて生き残った者も、今も原爆の後遺症や恐怖に苛(さいな)まされ続けている。だから、原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい、過ちはもう二度と繰り返しませぬから」と書かれているのだ。
 勿論、最も責められるべきは原爆を投下した米国だ。何も原爆を投下せずとも、日本が早晩降伏するのは分かっていたのに、戦後に対抗する事になるソ連に自国の威力を見せ付ける為に、わざわざ意味もない原爆を投下して、戦闘員でもない多くの市民を殺傷したのだから。しかし、そもそもその原因を作ったのは、「欧米からアジアを解放する」と偽りながら、欧米と同じ様に台湾・朝鮮・中国や東南アジアを侵略していった日本だ。
 だから、戦後、多くの国民が原水禁運動の中で、核廃絶を訴え、過去の戦争にも現代の戦争にも反対しているのではないか。その中で、当初は「アメリカの核は悪い核だが、ソ連や中国の核は良い核だ」とする誤った傾向も一部にはあり、その為に原水禁運動が分裂してしまった時期もあったが、今はもうそんな事を言う人間なぞ誰もいない。米国やフランスだけでなく中国・北朝鮮・インドの核軍拡や、核兵器を生み出し地球を放射能で汚染する原発にも反対し、単に「戦争さえなければ良い」「自分たちの国さえ平和であれば良い」とする狭い了見ではなく、地球上から一切の戦争や差別・抑圧をなくしていこうとしているのではないか。

はだしのゲン 2
クリエーター情報なし
中央公論新社


 上記の特攻隊員の無念を思えばこそ、普通ならこの原爆慰霊碑のように「過ちはもう二度と繰り返しませぬから」となる筈だ。少なくとも百田の様な、「特攻隊員をバカにするな、笑顔で死んでいった特攻隊員の事をもっと敬え」なんて論理なぞ出てくる筈がない。これが戦争反対なぞ言えなかった戦前・戦中ならまだしも、まだそれ位の自由は残されている現代においても、こんな貧相な論理しか出てこないようでは、「では一体何の為にこの小説を書いたのか」と思いたくなる。
 誰も特攻隊員をバカだと罵ったりなぞしていない。寧ろ百田の方こそが、「原水禁運動をやったり憲法改正に反対する人たちは特攻隊員を罵っている」と勝手に思い込んで、宮部や井崎のような特攻隊員を初め、太平洋戦争の犠牲者や、核実験のモルモットにされた兵士(アトミックソルジャー)や、今も放射能に苦しめられる核実験場やウラン鉱山付近の先住民、故郷を奪われた数十万人もの福島原発事故の被災者、原発で被曝データを改ざんされ使い捨てにされている下請け作業員や、第二次大戦で日本軍の皆殺し戦術(三光作戦)やナチスのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の犠牲になった人々や、今も大国による戦争の犠牲になっているイラクやシリアの人々に対して、「従軍慰安婦なぞいなかった」「日本は良い事もした」とか言って唾を吐きかけているのだろうが。まるで「世界の国々や日本の国民なぞどうなろうとも、日本の国家や軍隊の面子さえ保てればそれで良い」とか、或いは「今は昔とは違い寧ろ右翼の方が持て囃される、小説もそっちの受けを狙って書いた方が売れる」とでも思っているかのように。

 くだんの小説「永遠の0」には、前述の反戦・厭戦描写とは別に、また別の仕掛けがある。それが、健太郎たちに特攻取材の話を持ちかけてきた新聞記者・高山の描き方だ。「特攻隊員なんて軍国主義に洗脳されたテロリストだ」とする高山に、「お前らマスコミは、戦争中はあれだけ戦争熱を国民に煽っておきながら、戦後になった途端に手のひらを返したように民主主義や平和を称賛して、自分だけ良い子になるな」と怒る元特攻隊員が一杯登場する。
 なら、今の百田は一体どうなのか。幾ら小説の中で戦争の悲惨や軍部の横暴について書いても、作者の百田自身がテレビやインターネットで「自衛隊員は国の守り、国の誇りだ、中国や北朝鮮に舐められるな」と、小説とは全く正反対の事を言っているのだからお話にならない。「(昔)言っている(た)事と(今)やっている事が全然違う」という高山に対する非難は、そのまま今の百田にも跳ね返って来るのに、その事にも気付かないとは、もはや裸の王様だろう。ひょっとしたら、この高山に対する憎しみを煽る事で、特攻隊員を美化したい事こそが百田の本音で、小説の中の反戦描写はそれを隠す煙幕にしか過ぎないのだろうか。 
コメント (1)
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