広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。「絶対悪の核兵器は廃絶を」「威嚇だけで国を守れるのか」と幾ら言ってもコイツには馬耳東風だ。聞く気がないなら帰れ! pic.twitter.com/0kZdAOEVRY
— プレカリアート (@afghan_iraq_nk1) 2014, 8月 7
8月6日は私は公休日でした。それでいつもより遅めに起きて朝のNHKニュースを見ていたら、広島原爆慰霊式の様子を流していました。ちょうど1分間の黙とうに入る前後の、広島市長が「平和宣言」を読み上げた後で、安倍首相がそれに応えて挨拶(あいさつ)している所でした。その時の安倍の態度や挨拶の内容があんまりだった、少なくとも私にはそう感じられたので、上記の呟(つぶやき)きをツイッターに流したら、下記の様な糞コメントが一杯湧いてきましたw。
(引用開始)
フェイス @FaceBackCapital · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 あんた葬式でテンション高い奴をみたことあるのか?
村田新八 @muratashinpati · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 目を閉じてじっと聞き入っているようにも見えるけど
佐々 伸也(出師準備完了) @geshtamjump · 8月7日
慰霊式典で生き生きとした表情を見せるような奴ってサイコパスだろ
RT“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。「絶対悪の核兵器は廃絶を」「威嚇だけで国を守れるのか」と
EXcircle @EXcircle39025 · 8月7日
@afghan_iraq_nk1
批判するのに必死ですね^^
甘納豆 @E1ina · 8月7日
@afghan_iraq_nk1 揚げ足取りおつかれ
1コマ抜き出して楽しい?ねえ楽しい?
甘納豆 @E1ina · 8月7日
葬式でテンションあげる日本人がどこにいる
“@afghan_iraq_nk1: 広島平和式典での安倍の退屈そうな顔。自衛隊閲兵式での生き生きとした表情や、靖国参拝時の緊張感に包まれた表情とは大違い。(中略)聞く気がないなら帰れ! pic.twitter.com/rNdsakgr7R
(引用終了)
私、それを見て呆れましたわ。誰が葬式の時に騒げと言いましたか。葬式の時には誰でも静かにしなければならないのは当たり前です。しかし、安倍のこの時の態度は何ですか。まるで緊張感がないじゃないですか。まるで居眠りしているかの様です。参列者で他にこんな態度の奴なぞいましたか?同じ「葬儀」でも、終戦記念日の戦没者慰霊式や靖国参拝の時の態度と全然違うじゃないですか。「テンションが高い低い」とか「静かか騒がしいか」以前に、真剣さ自体が全然感じられませんでした。
だから批判したのです。それを「揚げ足取り」とか「1コマ抜き出して」とか。バカじゃないかと思いましたね。私がこの1シーンだけで判断したと思っていたら大間違いです。この時の安倍の挨拶や、それまでの安倍の行状も全部考慮した上で、「そのやる気の無さが態度にモロに出た」と批判しているのですから。
確かに、この時の広島市長の「平和宣言」も、私の目から見たら物足らない物でした。「戦争ではなく平和を」とか「日本国憲法の平和主義を尊重せよ」とか言いながら、今最も問題になっている集団的自衛権やイスラエルによるガザ虐殺には全然触れていないから。安倍の様な奴にも受け入れられるギリギリの線で妥協したとも受け取れる内容でした。でも、やっぱりそこは「平和宣言」。一番大事な点についてはきちんと抜かさず書かれていました。それは「核兵器は絶対悪であり、その絶対悪を無くすために努力しなければならない」と、核保有国や日本政府に要求している点です。(資料1参照)
それに対して、安倍や自民党政府の立場は「核兵器は必要悪」という物です。「出来れば無いに越した事はないが、今すぐ全部無くすのは難しい」「現実には、日本は米国の核の傘に守られている」というのが安倍や日本政府の立場です。こんな言葉が出てくるのも、本音では「核兵器を必要悪」と認めているからです。
しかし、核戦争になれば、もはや勝者も敗者もなく、地球滅亡・人類滅亡しかありません。一発の核爆発で何十万という人間が瞬時にして消え、かろうじて生き残った人も長い間放射能に蝕まれ、その後何十年と環境が汚染され続けます。放射能が半分減るのにも(半減期)何十年、何百年、何万年とかかります。
それを考えれば、核兵器は即時全廃するしかないでしょう。実際に、国連加盟国の圧倒的多数を占める非核保有国も、ずっとその方向で動いてきました。その中で、米国・ロシア・フランス・英国・中国・インドなど一握りの核保有国と、それに何も言えない操り人形の日本政府だけが、それに抵抗し続けて来たのです。
だから、安倍は挨拶の中でも言い訳ばかりに終始し、「平和宣言」の問いかけに答える物には全然なっていません。
確かに安倍が挨拶で言っている様に、日本政府は国連で「核廃絶の決意表明」を行い、「核廃絶決議」も1994年以降毎年提出して来ました。しかし、それらの決意表明や決議も、いずれも核廃絶を「いつか実現できれば良いな」といった程度の「究極目標」に遠ざけ、「出来る事しかやらない、核保有国でも受け入れられる」程度の「現実的措置」しか取り組まない代物です。「2025年までに核兵器2000発以下の世界をめざす」といった、単なる「数合わせ」の「アリバイ工作」でしかないのです。
そして、アジア・アフリカなどの非同盟諸国が提出する期限を区切った(単なる核削減ではなく)核廃絶を求める決議や、2012年にスイスや北欧諸国など34ヶ国とローマ法王庁が国連に提出した「核兵器は絶対悪の非人道兵器」と謳った共同声明には、「時期尚早」とか言って、棄権や署名拒否の態度で背を向けてきました。
しかも、表向きは「非核三原則を堅持する」とか言いながら、裏では沖縄米軍基地への核兵器持ち込み「密約」を隠し続け、石原慎太郎などと一緒になって核武装論議も始めているではないですか。
この安倍の姿勢は原爆症認定の場でも貫かれています。自民党政府は長年に渡り、爆心地から半径2キロ以内で直接被爆した人しか原爆症には認定して来ませんでした。原爆投下後に捜索や救援にかけつけた入市被爆者は認定して来なかった。その余りにも厳しすぎる認定基準が世論の批判を浴び、近年ようやく少し緩め始めた所です。
そうして渋々認めた物を、さも昔から率先してやって来たかのように言い繕っているだけなのです。この姿勢は原爆症認定だけでなく原発事故の被曝認定でも同じです。それが証拠に、福島原発事故の後も、逆に放射能規制値を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに緩和し、汚染水を垂れ流しながら原発再稼働とか原発の海外輸出とか、相も変わらず血迷った事を言っているではないですか。(資料2参照)
実際、安倍は許しがたい事に、原爆慰霊式の後、広島のホテルで被爆者代表と会談した際に、その中の一人から出された「集団的自衛権についても再考を」という意見に対しても、その懸念には何ら答える事無く、「平和を守る為だ、戦争をする国にはならない」の一語で一方的に切り捨てました。相手から目をそむけ「テーブルに両ひじをつき」ながら。(資料3参照)
そういう事も全部含めて、安倍の態度を批判したのです。表向き言っている事と実際やっている事が全然違うから。それを「揚げ足取り」とか「1コマ抜き」とか言う輩には、同じ言葉をそっくりそのままお返してやりましょう。「揚げ足取りなのは一体どちらか」と。
(資料1)広島「平和宣言」全文(広島市HPより)
被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。
建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6,000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。
「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。
あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。
また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。
子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。
ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。
人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。
私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。
今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。
唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。
今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
平成26年(2014年)8月6日 広島市長 松井 一實
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/
(資料2)広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ全文(首相官邸HPより)
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
69年前の朝、一発の原爆が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
平成二十六年八月六日 内閣総理大臣・安倍晋三
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html
(資料3)被爆者に背を向けた首相 集団的自衛権「閣議決定撤回を」の声に「抑止力」と繰り返す(8月7日付しんぶん赤旗より)
「69年間、1人の外国人も殺さず、1人の戦死者も出さなかったのに、殺し、殺される国にするものだ」。6日午前、広島市内のホテルで安倍晋三首相と面談した被爆者が、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」撤回を求めました。しかし、安倍晋三首相はこれを一顧だにせず、「抑止力」の名で解釈改憲を正当化しました。広島では首相に対する怒りと失望が広がりました。
被爆者団体の7氏と向きあった首相は、相手の目を見て要望を聞くことはありませんでした。2人目の話の途中から手元の資料に目を落とし、さらにはテーブルに両ひじをつきました。
ところが、最後に、16歳で被爆した吉岡幸雄さんから「閣議決定」の撤回を直訴されると、にらむような視線を向けました。そして手元の原稿を読まず、こう言い放ちました。「国民の命と平和な暮らしを守るためだ。戦争をする国になるという考えは毛頭ない」
会談後の記者会見では、地元記者から「被爆地では抑止力に頼る安全保障の限界を指摘する声もある」「集団的自衛権ではなく、核兵器のない世界に向けて、核の傘からの脱却も含めて、武力に頼らない安全保障の新たな仕組み作りの考えはないのか」と問われました。
これに対して首相は「抑止力によって、日本が戦争に巻き込まれる恐れはいっそうなくなる」と強弁。さらに、「抑止力が機能していることは多くの国民が理解している」とも述べました。たった今、地元記者から「抑止力」への疑問が出されたのを聞いていたのかと疑わざるを得ない受け答えでした。
戦後、日本政府は究極の「抑止力」である米国の「核の傘」=「核抑止力」に頼り、国連での核兵器廃絶決議にも後ろ向きな姿勢を取りつづけてきました。「抑止力」にこだわることで、被爆地の願いに真っ向から背いていることを、首相はまるで理解していないようです。(後略)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-08-07/2014080702_03_1.html