アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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長年住み慣れた実家を出る事にしました。

2015年03月25日 19時05分26秒 | 当ブログと私の生い立ち
 この話をする為には、それまでの私の家族関係にも触れなければならないので、その点も含めてかいつまんで説明します。
 私は現在50歳代の未婚男性です。なぜ結婚しなかったかと言われても、「成るようにしか成らなかったから」としか言いようがありません。
 大学卒業後20年間働いた生協では長時間労働で異性とつきあう機会なぞほとんどなかったし、生協退職後も食うのに精一杯で、気がつけばもうこの歳になっていました。もちろん、その間には結婚情報サービス会社に入って見合いなどもした事がありましたが、成婚にたどりつく所まではいきませんでした。

 そんな私に対して、親父は何とか息子を結婚させようと、今まで何度か相手を紹介してくれました。でも、相手も私も、もうそれなりの年齢になっています。40歳代や50歳代で未婚・独身という事は、お互い、結婚にそんなに執着していないという事です。これは決して「絶対に結婚しない」という訳ではありません。でも、「自分には今他にやりたい事があるし、それを犠牲にしてまで結婚に固執したくもない。人間、成るようにしか成らないのだから、無理に焦って結婚する必要もないじゃん」と、そういう感じです。見合いを何度か繰り返すうちに、そういう事も肌で感じるようになりました。

 ただ、それが親父にとっては我慢ならなかったようです。昔気質の親父は、「男たるもの結婚して一家を構えてこそ一人前」という考え方からどうしても抜け出す事ができなかったようです。兄貴や妹も結婚して独立し、母にも死なれてからは、余計にその想いにとらわれるようになっていきました。その為、私ももう好い歳の大人だというのに、見合い相手に渡す釣書の文面にまで、いちいち干渉してくるようになりました。

 そして数日前に、ついにその矛盾が爆発してしまいました。亡き母の彼岸の墓参りから帰ってきて、実家で夕食を食べている時に、親父の方から「近所の独身の人と見合いしてみたらどうか」と聞いてきたので、私は、今まで一度も付き合った事もない相手で気乗りもしなかったので、「いいわ(結構です)」と断りました。そうしたら途端に不機嫌になって、「いつまでも居候されても、ワシはお前を養っていけない。もう結婚しないなら明日にでも実家を出て行ってくれ」と言ってきたのです。

 これは私にとっても意外でした。むしろ、私が出て行こうとするのを無理にでも引き止めるものだと思っていましたから。はっきり言って、昔気質で保守的・封建的な親父とは、私は今までもソリが合いませんでした。親父は、母が亡くなる前こそ母に優しくしていましたが、若い頃は母にしょっちゅう暴力を振るっていました。私に対しても、ちょっとした行き違いや政治的な立場の違いから、喧嘩になる事もたびたびでした。自分の意見や生き方だけを絶対視し、他人の意見や生き方も「それはそれ」として許容する事ができないのです。そして、性格的にも短気で、年上や目上の人には何も言えないくせに、年下や目下の人にはやたら偉そうに当たり散らすような所がありました。それも、普段は結構人当たりが良いのに、何が都合が悪くなると途端に不機嫌になるのです。
 そういう親父なので、むしろ私の方から独立する機会をうかがっていたくらいです。でも、今は元気な親父ですが、将来の介護の事も考えると、高齢の親父を一人にさせておく訳にもいかないので、今まで実家で一緒に住んでいたのです。

 もちろん、結婚に固執する親父の気持ちも分からなくはないです。「いつまでも、そんな不安定雇用でプータローみたいな気持ちでいたら、最後には誰も面倒見てくれなくなるぞ」と言いたいのでしょう。そりゃあ、「独身よりも結婚」「実家住まいのパラサイトよりも所帯持ち」「不安定な非正規雇用よりも正社員で出世して」の方が良いに決まっています。でも、その為に過労死やストレスと隣り合わせで、ブラック企業で安月給で長時間こき使われて、それでも家庭を守る為には何も言えず、人生を無駄に消耗するくらいなら、たとえ不安定な独身であっても、とりあえず食って行けて、自分で物を考え行動できるだけの時間も持てる今の方がはるかに良いです。

 それに、今日び、これだけ格差社会が広がり、一人当たり所得が中間値の半分以下の「相対的貧困率」が全世帯の2割弱、「貯蓄ゼロ」の世帯も全体の2割強にもなろうという時代に、自分だけ這い上がろうとあくせくした所で、どうなるものでもないでしょう。それならそれで、もう割り切って、貧困でも「貯蓄ゼロ」でも生きていける術を身に着け、その中で時間を稼ぎながら、自分だけでなく他の人も幸福になれるような、本当に自由・平等・平和で、一人一人の人権が尊重される社会を目指した方が、自分にとっても、はるかに精神衛生上好ましいです。これは「捨て鉢」や「成り行きまかせ」とは違う、むしろ「良い意味での楽天性」とも言うべきものだと思います。
 元はと言えば、日本がこんな今のような格差社会になってしまったのも、親父が自分の出世ばかり考え、選挙のたびに自民党や「維新の会」に投票してきたからではないですか。その自分の責任を棚に上げて、息子の生き方にいちいちケチつけないで欲しいです。

 まあ、親父も可哀想な人間だとは思います。子ども時代は戦時中の軍国主義、それが終戦で大人になった途端に戦後の民主主義へと、日本社会がガラッと変わったのですから。本当はその時点で「男たるもの」といった封建的な考え方から脱却すべきだったのでしょうが、時代の変化についていくだけで精一杯だったのかも。それで取りあえずは「寄らば大樹の陰」と、政権与党の自民党をずっと支持してきたのでしょうが、根本的な部分は戦前とちっとも変っていなかったので、部下から「セクハラだ、パワハラだ」となじられるたびに、余計に意固地になって行ったのかも。今の安倍政権を支持している右翼的な人たちも、案外こんな高齢者やそんな親似の子どもたちなのかも知れません。

 その後も、私は「本当に実家を出て行って構わないのか?」と親父に聞きましたが、「構わない」という事でした。親父いわく、「もうお互いに好い歳になった親父と息子が、いつまでも実家で同居している事自体が不自然だ。結婚する、しないに関わらず、もういい加減お互いに独立した方が良い。ワシの事は気にしないで良いから」という事でした。私にとっては正に「願ったりかなったり」です。親父の気が変わらないうちに、独立の準備を進める事にしました。

 しかし、そうは言っても、私はしがない非正規雇用の契約社員。額面でも月収16~17万円しかない給与では、余り家賃の高い物件に転居する事はできません。でも、まさか月1万円前後のタコ部屋みたいな所には住めないので、月3万円台ぐらいの所を中心に、物件を探す事にしました。
 その他に、立地条件も考慮に入れる必要があります。今、実家のある所は完全な住宅地で、周囲には銭湯やコインランドリーはありません。スーパーはありますが夜8時には閉まってしまいます。ようやく最近コンビニが出店するようになった地域です。これでは単身者が一人で住むには余りにも不便です。そして、今の仕事は朝が早いので、できれば住所ももう少し職場に近い所の方が良い。

 その為に、まずは家賃の安い公営住宅に入居を申し込む事にしました。一番近い所では、4月に大阪府営住宅の入居募集が始まるので、それに応募しようと思っています。それと同時に、民間の賃貸でも手頃な所がないか探していたら、運よく見つかりましたので、明日さっそく、仕事帰りに大家さんと物件の下見に行く事にしています。その辺の事は、まだ次回のブログ記事にでも書いていこうと思っています。家賃相場から言えば、「ゼロゼロ物件」の可能性も無きにしも非ずの物件ですが、今までの蓄えもある事ですし、いきなり家賃滞納になるようなブザマな事にはならないでしょう。こぎれいで、キッチン・トイレ・浴室もちゃんと付いていて、安眠できる程度に静かな環境でさえあれば、別に1Rや1Kの間取りでも構いません。
 なお、独立に向けて動き出している事については、まだ親父には何も言っていません。余り急に話を持ち出して、パニックになられても困りますから。具体的な転居先や転居の日取りが決まった時点で、親父に報告しようと思っています。転居の際の身元保証については、とりあえず親父に頼もうと思っていますが、もし親父に拒絶されても保証代行会社に頼むつもりです。


「いい部屋ネット」で検索した大阪市内某所の物件から。最寄り駅から徒歩4分、築36年・鉄筋コンクリート造りのマンションで、専有面積22m2の1K。家賃3万円、共益費5千円。明日下見に行く所とは別物件ですが、大体こんな感じの所を考えています。
コメント (8)
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