アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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やっぱり実家を出るのは止めにしました。

2015年03月29日 21時31分57秒 | 当ブログと私の生い立ち

 本題に入る前に、前回記事で触れた物件の下見写真を公開します。鉄筋4階建てワンルームマンションの1階102号室(洋室7帖、左上間取り図の赤枠の部屋)がその物件です。一応、バス・トイレもユニットバスの形で付いています。水道はありますが、ガスは元栓だけでコンロは自分で用意しなければなりません(右上写真)。


 そして上記がそのマンションの外観です。バルコニーがあるのは玄関正面の部屋だけで、102号室も含め側面の部屋には全然ありません。これでは洗濯物も干せません。前回記事で「近隣に銭湯やコインランドリーがあれば良い」と書いたのも、万一給湯器や洗濯機がぶっ壊れた時の為であって、毎日そんな物にばかり頼っていては、お金がいくらあっても足りません。その他にも色々あります。例えば、駐輪場もなく住民の自転車・バイクは全て雨ざらしです。防音性もイマイチで、業者さんとの会話が室内に響き渡っていました。ゴミ捨て場もちゃんとしたものはなく、玄関先のポリバケツで代用していました。
 これで家賃3万円、共益費6千円。世間相場からすればそんな物なのかも知れませんが、それでもやはり、ずっと住み続けるとなるとねえ。かと言って、これ以上の家賃負担ともなると、貯金をどんどん取り崩さなければならなくなる。早晩、生活が破たんするのは目に見えています。残念ながら、この物件については見送る事にしました。

 それで、この間ずっと仕事の合間をぬって引越し先の賃貸物件を探していたのですが、なかなか良い物件に巡り合う事ができません。それで今日、二人の知人に、前回のブログ記事のコピーも見せて、物件探しについて相談したのですが、二人からは「実家を出ない方が良い」と言われました。

 相談相手の一人目は行きつけの鍼灸医さんです。私は腰痛の治療に、隔週日曜日ごとに完全予約制のその鍼灸医さんの元に通っているのですが、そのお医者さんは、心療内科的な観点から、患者の生活相談にも乗っています。まあ私の場合は、ただブログの話題で盛り上がっているだけですが(例のダメ社員・井下の話を筆頭にw)。
 それで、今後の治療の予定もあるので、実家を出るつもりで物件探しをしている事を言ったら、「絶対に出るのは止めた方が良い」と言われてしまいました。いわく、せっかく実家があり、私以外の兄弟の部屋も余っている中で、わざわざ家賃に無駄金をつぎ込む必要はない。家賃だけでなく水光熱費や日々の生活費まで考えたら、膨大な無駄使いになる。親の封建的な性格は、もう変えようがないのだから、そんな事にいちいち目くじら立てていてもキリがない。年寄りは子どもと同じだ。目上の人物には何も言えず目下にばかり偉そうにするのも、親父の封建的な差別意識の現れでしかない。いつまでも保護者気取りで「お前を養ってやっているんだ」という横柄な態度が余りにも目につくなら、もうこちらも「ただの同居人」として割り切って、自分の食費や水光熱費相当分を、家賃代わりに親に支払えば良い。それでも実家を出るよりは、はるかに経済的負担は少ない。どのみち親の方が早く死ぬのだから。もう少し実利的に割り切って考えた方が良い・・・という事でした。

 そして、もう一人の相談相手が、もう大分以前に、私がパソコン教室に通っていた時に仲の良かった受講生です。そのパソコン教室に通っていたのは、私が生協を退職してすぐの時期ですから、もうかれこれ15年近く前になります。私より10歳ぐらい年上の人で、今もマンションの管理人をやっています。受講期間が終了してからも、私がその人の所にパソコンを教えに行ったり、その人からマンション清掃の仕事を紹介してもらったりしていました。最近は年賀状を交換するだけの仲になってしまっていましたが、あわよくば物件を紹介してもらえればと、その人とも久しぶりに会って相談に乗ってもらう事にしたのです。

 その人も、私が実家を出る事には反対でした。いわく、親はいつまで経っても息子を子ども扱いしたがるものだ。たとえ息子が50歳になっても、80歳の親からすれば子どもなのだ。確かに、いくら親の言う事であっても、現代の生活からすれば合わない事も多々ある。「男たるもの」云々という封建的・差別的な物言いもその一つだ。でも、たとえそうであっても、それが親の精一杯の愛情であるなら、息子はその愛を受け入れてやるべきだ。それが「人間の優しさ」だ。ところが××さん(プレカリアートの本名)の場合は、かつての親の家庭内暴力の影響や、少年時代に虐められっ子だった経験からか、相手に対して過度に厳しすぎる(優しくない)所がある。もっと相手に優しくした方が良い。そうする事で自分ももっと一回り大きくなれる・・・と、やんわりと諭されました。正に図星です。例えば、私のブログでの井下に対する辛辣(しんらつ)な物言いなぞ、正にその通りですから。

 そして、私の前回記事「長年住み慣れた実家を出る事にしました」のコピーを読ませてもらった中で、最初の方に出てくる「結婚しなかったのも成るようにしか成らなかったからだ」というくだりも気になる。いわく、人間、努力してもうまく行かない事も多いのに、最初からこんな調子で人生を投げていたのでは、うまく行くものも行かなくなる。これこそが「捨て鉢」な態度であり、××さんが忌み嫌う「奴隷根性」そのものではないか。これはブログに掲げている人権尊重や差別反対の立場とも矛盾するのではないか。
 逆に、相手に優しくなり、捨て鉢な態度を改める事で、福を呼び込む事もできるかも知れない。私がかつて雇った社員の中に、トイチの闇金に手を出して150万円の借金を抱えた女性がいた。トイチなので月々の利息だけでも40万円以上にもなる。こんなもの返済できる訳がないので、自分が闇金と交渉して百万円に減額の上、借金を立て替えてやり、その女性も会社に雇ってあげた。もう返済なんてハナから期待していなかったし、金をドブに捨てたようなものだが、そのお蔭で女性は立ち直り、私に借金を返済してくれるようになった。疫病神が福の神に変わったのだ。
 人生にはそういう「ひょうたんから駒」みたいな事もある。だから、××さんも、確かに親父から釣書の文面にまであれこれ指図されて鬱陶(うっとう)しいかも知れないが、親の勧める見合いにも応じてみてはどうか。
 但し、ただ「相手に優しい」だけでは情に流される。日本人が得てして権威に従順でマスコミの洗脳を受けやすいのも、論理的思考が苦手だからだ。それを補う為には、哲学の本を読む必要がある・・・と。
 そして最後に、「日本の人口1億2千万、世界の人口45億人の中で、一番××さんの事を心配してくれるのは自分の親やで」と、アドバイスしてくれました。

 う~ん。この二人からのアドバイス、取り分け二番目のマンション管理人の知人からのアドバイスには、非常に考えさせられるものがありました。このアドバイスも、道徳の教科書に載っているような単なるキレイ事と捉える事もできるでしょう。でも、少なくとも、この知人の場合はそうじゃないと思う。なぜなら、この知人が1階の喫茶店で話をしている時に、2階では知人仲間が麻雀に興じていたのですが、知人が仲間の一人に千円貸してくれと電話した時も、嫌な顔せず下の店に持ってきました。そして、喫茶店を出る時も、店のママが知人と私に、「今日もよく来てくれました」と笑顔で接してくれました。昨今、色んな接遇やマナーのハウツー本が出回っていますが、そんな小手先のハウツー本にはない本当の愛情を、ママの笑顔に感じる事ができました。
 その喫茶店は、あいりん地区にもほど近い場末の、決してキレイとは言えない古ぼけた店でしたが、ママが常連さんと楽しそうに話しているのを聞いているうちに、私も「また来ようか」という気になりました。ああ、これが「福を呼ぶ」「人に優しくできる」と言う事なんだなと思いました。安倍晋三や橋下徹の顔をいくら観ても、そんな感情なぞ絶対に湧き起こらないのに。
 そういう事で、それぞれ理由は全く異なるものの、このお二人からの「実家を出るのは止めた方が良い」という忠告を受け入れる事にしました。
コメント (4)
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