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驕る平家は久しからず(その1)―安倍の大うそ・手抜き作文

2015年06月28日 19時52分15秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな


 「驕(おご)る平家は久しからず」という有名な格言があります。平安時代末期に、後白河天皇(後に法皇となる)の後ろ盾で権力を握った平清盛が、しだいに傲慢な態度で政治を行うようになった為に、やがて民心の離反を招き、最期には壇ノ浦の合戦で源頼朝に滅ぼされてしまう故事にちなんだものですが、まるで、今の安倍政権の行く末をそのまま暗示しているかのようです。
 その安倍政権の傲慢さを象徴するような事件が、この数日の間に立て続けに起こりました。まずは、6月23日の沖縄戦没者慰霊式で、参列者から罵声を浴びせられる醜態を晒した安倍晋三の事から取り上げます。

 現職総理の安倍晋三が、本来なら厳粛であらねばならないはずの戦没者慰霊式典の場で、参列者の一部から「帰れ!」などの言葉を浴びせられました。その事で、参列者の非礼をなじる意見がネットに流れたりしました。しかし、私はむしろ、なじられるような事をした安倍晋三の方こそ、よっぽど無礼ではないかと思います。
 何故そう思うのか。それは、安倍が心にもない大嘘を突いて、今も戦没者・遺族や我々国民を侮辱し続けているからです。

 安倍は、二言目には「戦争で亡くなられた戦没者の霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます」とか言って、いかにも「戦争の反省」「平和国家の確立」に努力しているかのようなポーズを取っています。しかし、それが大嘘である事は、集団的自衛権行使(海外派兵)や憲法改悪(戦前の軍国主義体制の復活)を目指す実際の行いによって、とっくに明らかになっています。
 その証拠に、沖縄戦没者慰霊式で行った安倍晋三の挨拶を、今年の分と昨年の分を二つ並べて比べて見るだけでも、いかに心にもない事を言って、世間の目を欺こうとしているか、非常に良く分かります。

●戦後70年沖縄全戦没者追悼式における内閣総理大臣挨拶(首相官邸HP)

 戦後70年、沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます。
(中略)
 私はいま、沖縄戦から七十年を迎えた本日、全国民とともに、瞼を閉じて、沖縄が忍んだ、あまりにも夥しい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や、涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭を垂れたいと思います。
 その上で、この七十年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも、国際平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。
 美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウェイとしての沖縄。イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。沖縄の発展は、日本の発展を牽引するものであり、私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めてまいります。
 沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいています。この三月末に西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。
 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。
 平成二十七年六月二十三日 内閣総理大臣 安倍晋三
 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0623aisatsu.html

●平成二十六年沖縄全戦没者追悼式における内閣総理大臣挨拶(同上)

 平成二十六年・沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、家族を案じつつ、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます。
(中略)
 私はいま、沖縄戦から六十九年を迎えた本日、全国民とともに、瞼を閉じて、沖縄が忍んだ、あまりに夥しい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や、涙が、自分たちを今日あらしめていることを、胸に深く刻んで、静かに頭を垂れたいと思います。
 その上で、これまで沖縄の人々がしてきたように、私たちの祖父母、父母たちがしてきたように、戦争を憎み、平和を築く努力を惜しまぬ国民として、私たちの住む世界をよりよい場とする歩みを、倦まず、たゆまず、進めていかなくてはならないのだと思います。
 アジアの玄関口に位置する沖縄は、大いなる優位性と、限りない潜在力をもつ土地として、飛躍的な発展を遂げようとしています。沖縄の発展こそが、日本の未来を創ると言っても過言ではありません。私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めて参ります。
 申すまでもなく、米軍基地の集中が、今なお県民の皆様の大きな負担となっています。基地の負担を能うる限り軽くするため、沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、「できることは全て行う」との姿勢で全力を尽くしてまいります。
 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、ご遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。
 平成ニ十六年六月二十三日 内閣総理大臣 安倍晋三
 http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0623okinawa.html

 上段が今年2015年(平成27年)の、戦後70年を記念しての挨拶です。そして下段が、昨年2014年(平成26年)に、安倍晋三が同じ慰霊式典で行った挨拶です。それぞれ、一部を抜粋した上で、全く同じ表現の箇所に下線を施しました。
 これを見ても分かるように、今年の挨拶も、ほとんど昨年の挨拶を、そのまま使い回しているだけです。一部抜粋だけでは不十分だと思われる方は、是非リンク先で全文もご覧になって下さい。全文もほとんど同じです。
 文章表現だけでなく論理展開もほとんど同じです。かつての戦争に対し、上辺だけの反省の言葉を述べた後、「今は平和確立や沖縄の発展の為に頑張っている」「米軍基地による地元負担も軽減するように努力する」と、言い訳に終始しているだけです。
 しかも、沖縄の今の最大関心事である普天間基地の撤去や辺野古への移設(実際には普天間に代わる新基地建設)問題について、一切言及がありません。首相挨拶の前に、同じ戦没者慰霊式の場で、翁長雄志(おなが・たけし)沖縄県知事が、普天間基地の県外撤去、県内の辺野古への基地移設絶対反対を、挨拶の中で訴えたにも関わらず。
 これでは、「過去の戦争や基地の話なんて止めて、それよりも、今後のリゾート開発で幾ら儲かるか話そう」と言っているようなものです。かつて沖縄戦で県民の四人に一人が亡くなり、今も米軍基地問題でその後遺症に苦しめられていると言うのに。沖縄県民を、あたかも本土企業の「金づる」であるかのように見なして。沖縄の人たちを余りにもバカにしています。

●今年の戦没者慰霊式典での翁長知事の挨拶(平和宣言)(琉球新報)

(前略)
 しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
 沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選拳で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、『その危険性除去のため辺野古に移設する』『嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、到底県民には許容できるものではありません。国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。
(後略)
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244694-storytopic-1.html

 そのくせ、その戦争が「侵略や植民地支配によって引き起こされた」事や、その過ちを二度と繰り返さないために、「もう二度と侵略や植民地支配を繰り返してはならない」という、一番大事な事は、絶対に口が裂けても言おうとはしません。
 だから、昨年も今年も同じような文面、同じような内容で、「御霊」とか「哀悼の誠を捧げ」とか、やたら仰々しいだけで全然中身の伴わない空虚な表現しか出来ないのです。
 本当に「戦争を憎み、平和を築く努力を惜しま」ない(今年の式典挨拶より)と、安倍が本気で思っていたら、戦争への反省の出発点となった戦後の「ポツダム宣言」についても、「つまびやかに(詳しく)読んでいないからコメントできない」なんて言葉で誤魔化したり、逃げたりはしないはずです。別に一字一句詳しく知っていなくても、少なくとも何が書いてあるかぐらいは、政治家なら当然知っておくべきだし、その範囲の中で、幾らでも具体的に戦争への反省を言う事はできるはずです。「核兵器禁止」とか、「戦争の原因となる民族対立や貧困を無くす」とか、「再び軍国主義への道を歩まないようにする」とか、辺野古移設についても見直すとか、たとえ今の政府の立場からしても、幾らでも、もっと具体的に言う事が出来るはずです。

 その一番肝心な事は何も言わずに、中身の伴わない空虚な表現ばかりで、昨年の挨拶の言い回しで適当にお茶を濁し、実際には全然正反対の事ばかりやっているから、戦没者慰霊式典で罵声を浴びせられたりするのです。
 こういうのを、世間では「自業自得」と言います。その皮肉の矛先は、単に安倍政権や自民党だけに止まるものではありません。安倍政権や自民党の悪政を黙認し、政権にとって当たり障りのないニュースしか報道しようとしない、今のマスコミも、やがて民衆から罵声を浴びせられるようになるでしょう。
 

●安倍首相の「ポツダム宣言読んでない」 党首討論 国内外に衝撃 “世界との関係ご破算”の深刻さ(しんぶん赤旗)

(前略)
 「安倍首相がポツダム宣言を“読んでいない”というのは深刻な問題です。なぜならポツダム宣言は、日本の平和の礎だからです。しかし、それ以上の問題は、安倍首相が第2次世界大戦を『間違った戦争』だといっている部分を受け入れていないことにあります」と語るのは、英エコノミスト誌の特派員デービッド・マクニールさん。
(中略)
 マクニールさんは「安倍首相の過去20年来の政治上の信念として一貫していることです」と指摘。「もし安倍首相が、日本が“過ち”と“間違った戦争”をおこしたことを受け入れられないのならば、なぜ、(4月の)米議会でのスピーチでそういわなかったのか。もちろん、そうするならば、アメリカ、中国、その他のアジアの国々との関係を完全にご破算にしてしまうことになるでしょう」と指摘します。
 元法政大教授の五十嵐仁さんは自身の21日付ブログで、「安倍首相にとっては、馬鹿にされることよりも、『間違った戦争』だと答えることの方が、ずっと辛(つら)かったということなのでしょう。そのような回答を避けるためには『ポツダム宣言も読んでいないのか』という嘲(あざけ)りさえも、安倍首相にとっては甘受すべきものだったということになります」と解説し、強調します。
 「それほどに、安倍首相は『間違った戦争』だったと認めたくないということなのです。この点にこそ、党首討論でのやり取りが示している本質があり、安倍首相の歴史認識が持っている問題点が集約されているということになります」
(中略)
 過去の日本の戦争を「間違った戦争」と認めない安倍政権。ジャーナリストの青木理さんは、「安倍首相は『戦後レジーム(体制)からの脱却』を掲げ、日米安全保障体制の強化や集団的自衛権にかんして手をつけ、『戦争法案』をすすめようとしている。それにもかかわらず、ポツダム宣言を読んでいないというのは、首相としての資格が問われる問題です。読んでいなくても、自民党の政治家になれるとは思いますが、そういった人物が首相に就いて、日本の進路を決めようとする状況は、非常に危険です」と指摘。
(後略)
 「ポツダム宣言を知らない、日本国憲法も知らない。それから矛盾した命題を自分の頭で同居できる。非常に異質なタイプの政治家であるということが、20日の党首討論で明らかになりました。こういう首相が先導する戦争容認の集団的自衛権行使、そしてアメリカに対して忠犬ポチ的にお金を貢ぎ、自衛隊の方々の貴重な命を貢ぐような政権は、日本にあってはならない」
 志位氏は党首討論で「戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう総理が、日本を『海外で戦争する国』につくり変える戦争法案を出す資格はありません」と厳しく批判しました。
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-23/2015052301_01_1.html

※次の「その2」では、百田尚樹の暴言について取り上げます。沖縄戦没者慰霊式での安倍の上辺だけの反省なぞ、ホンの建前にしか過ぎず、次に取り上げる百田の暴言こそが、安倍の本音を明け透けに語ったものである事を、次回の記事で取り上げます。
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