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給食費滞納問題で「目くそ鼻くそを哂う」の愚

2007年01月25日 16時03分53秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
・給食費:滞納者9万人超、額は22億円 文科省調査(毎日新聞)
>給食を提供している全国の小中学校で05年度、給食費の滞納額が計22億2963万円に上ることが24日、文部科学省の初めての実態調査で分かった。滞納者総数は全体の1%にあたる9万8993人で、回答した学校の6割が「保護者の責任感や規範意識」の欠如が主な原因と認識。また、「保護者の経済的な問題」を原因に挙げた学校も33.1%あった。<
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070125k0000m040106000c.html

 この給食費滞納問題がネットを賑わしています。それで私も幾つかのブログを見てみましたが、殆どが「車乗り回して携帯バンバン使っている親が、僅か月数千円の給食費が払えない訳ないだろう」「これじゃあ無銭飲食と同じじゃないか」「まともに払っている奴がバカを見る」「そういう不届き者は晒し者にして財産身包み差押えてしまえ」という様な書き込みばかりで、もういささかウンザリしています。
 確かに給食費を踏み倒す方も踏み倒す方ですが、それに対して、揃いも揃って「みんなお上の言う事を聞いているのに、自分だけ好き勝手しやがって!」みたいな、「つべこべ言わずに他の皆と同じ様に長いものには巻かれておけ」みたいな批判ばっかりなのも、どうもいただけません。こんな批判など、私から見たら「どっちもどっち、目くそ鼻くそを哂う」でしかありません。

 仮に、滞納家庭の大部分が、経済的困窮によってではなく、単に自分たちのワガママで給食費を踏み倒していたとしましょう(経済的困窮による滞納については、また性格を異にする問題なので、ここではとりあえず横に置いておきます)。そのワガママな人たちの論理というのは、大半が「小中学校は義務教育なのだから、給食費を徴収されるイワレなどない」というものでしょう。確かにその論理は一知半解の手前勝手なものではありますが、それでも少なくとも、論理も何もなくただ単に「みんな長いものに巻かれているのに自分たちだけ好き勝手しやがって、そのトバッチリを何故こっちが被らなければならないのか」という様な、低次元の「妬み差別」の論理よりは、「納得できない事には従えない」という積極性があるだけ、まだよっぽどマシです。
 給食費踏み倒しの論理を批判する以上は、「妬み差別」の低次元な批判ではなく、その一知半解さそのものを批判しなければ、本当の批判にはなりません。

 一口に「義務教育」と言いますが、「誰に対して、誰が義務を負っているのか」を、批判する方も批判される方も、本当に分かって言っているのでしょうか? おそらく大半の人々が分かっていないのではないでしょうか。
 誰が?―『国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。』(憲法26条)―子女に九年の普通教育を受けさせる義務を負っているのは、実は国民一人一人なのです。そしてその為に、国民の税金で学校を作り教育条件を整えるのが、国の義務なのです。
 誰の、何の為に?―「子供の学習権、教育を受ける権利、一人の人間・主権者として成長する権利」を保障する為に、です。『民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献』(改悪前の教育基本法前文)する為に。兵士や企業戦士を育成する為などではありません。その為に、『個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育』(同)を行うという決意の下で、戦後教育がスタートした筈ではなかったのですか。まかり間違えても「車のガソリン代や携帯電話料金を浮かす親のエゴの為」などではないのです。

 だから、そういう権利と義務の関係を履き違えた親に対しては、「妬み差別」の論理などではなくて、『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。』(憲法第12条)という点に照らしてどうなのか?―という立場から批判しなくてはいけない筈です。給食費滞納者が「義務教育が無償であるなら教科書代だけでなく給食費や修学旅行費も無償にしろ」と本心から思うのであれば、「他にしわ寄せが行っても自分だけズル出来れば良い」というエゴではなく、給食費や修学旅行費も無償にする運動を自ら立ち上げて世論に訴えていくべきなのです。現行の教科書無償制度も、決して最初から与えられていたものではなく、「国民の不断の努力」によって勝ち取ってきたものなのですから。そうして、その他の30人学級や義務教育国庫負担や就学援助・教育扶助・奨学金制度の改悪反対・拡充要求などの諸要求の中にきちんと位置づけられてこそ、初めて正当性や整合性のある要求になるのだと思います。

・憲法第12条、26条
 http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s3

・(ヤラセでない今までのマトモな方の)教育基本法第4条
 『国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。』―それを授業料だけの狭い範囲に止めず、国民の学習権・教育権を確立する運動があったからこそはじめて、教科書無償制度も実現した。
 http://list.room.ne.jp/~lawtext/1947L025.html
 http://www.bll.gr.jp/siryositu/s-gyo-kyokasyo.html

・学校給食法第2条(学校給食の目標)
 『学校給食については、義務教育諸学校における教育の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。(1)日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。(2)学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。(3)食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。(4)食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。』―給食は単なるサービス・給付ではない。食育・家庭科教育・社会科教育の一環として行われるものだ。
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO160.html
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給食廃止・弁当持参にすれば解決する問題か? (社会主義者)
2007-01-27 00:14:45
 今日私の職場でもこの給食費滞納のニュースが少し話題になりました。お昼に私が休憩室で弁当を食べていた時に、テレビでこの給食費滞納のニュースを流していて、それを見ていた親父のアルバイト2人がこんな事を言っていました。
 親父A「給食費を払わん奴はみんな弁当持って来させたらええのや!」、同B「そうやそうや!」、A「ワシら子どもの頃はみんな弁当持って来とったでえ!」「それで、中には親が弁当作ってくれへん子もおってなあ、その子なんかは弁当の時間になると運動場で遊んどったわ」云々と。

 私はそれを横で聞いていて、はっきり言って「アホか、こいつらは」と思いました。まずその「親が弁当作ってくれへん」欠食児童の事を何とも思わず、それまでも自分たちの過去のノスタルジーにしてしまって、それで済ませてしまう感性に対して。そして、当時と今とでは、子どもや親が置かれている家庭環境も社会情勢も全然違うのに、その違いを全然考慮に入れていない思慮の無さに対して。

 戦前や昭和30年代の「三丁目の夕日」じゃあるまいし、今の親や家庭にそんなものを求めても、今やそんな物は「無いものねだり」でしか無い。夕日が赤く染まると「××ちゃ~ん、ご飯よ」という母の声に誘われて夕餉の席につき、貧しいながらも一家揃って飯をつつく。そんな風景は70年代の「寅さん」や「寺内貫太郎一家」で終わったのです。今は子どもも親もレトルト食品やコンビニ弁当で食事を済ましているのです。そんな中で給食廃止・弁当持参を強行した所で、せいぜい、教室中がコンビニ弁当やジャンクフードの食べカスだらけになるのが関の山でしょう。

 これは「良い悪い」の問題ではなく(私も勿論そんな現実は肯定しない)、これが「世の中の現実」なのです。今の家庭には昔の様な団欒など何処にも無いのです。それを、安直な靖国・天皇・愛国心賛美や上意下達の精神論だけで復活出来ると妄想しているのが、「ボンボン・バカ殿」の安倍マルコスなのですが。

 しかし、共働きと24時間ジャストインタイムとアウトソーシング・細切れ雇用とホワイトカラー・エグゼンプションで、そんなものは当に終わってしまっているのです。それに代わるものがなかなか見えてこないので、国民の間に色々フラストレーションが溜まって、それで訳の分らないバラバラ殺人事件なども起きるのです。

 それに対して、前述の親父たちはと言うと、「三丁目の夕日」を破壊した大本の政治の元凶には目を向けずに、小泉劇場や安倍の空虚な精神論なんかにコロッとなびいて、弱者同士が対立させられているにも気が付かずに、「妬み差別」宜しく「弱者バッシング」に興じて、それで自分を慰めているだけじゃないか。
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毎月数千円の出費も貧乏人にとっては決して端金なんかでは無い (社会主義者)
2007-01-26 23:11:22
 本エントリー記事の中で、給食費滞納者に対して「車乗り回して携帯バンバン使っている親が、僅か月数千円の給食費が払えない訳ないだろう」という批判がある事を紹介したくだりがあります。この批判については、私も記事執筆時点ではそう深く考えないでそのまま紹介したのですが、よくよく考えて見ると、この言葉にはかなり険があると思います。

 「僅か月数千円」と簡単に言いますが、月収10数万円からせいぜい多くても20数万円台の収入しかないワーキング・プアにとっては、月数千円と言えば、月収に占める割合は数%になります。
 そうは言っても、確かに知人と飲みに行ったり休日に遊びに行ってもそれ位の金額は使いますが、この場合は最初からそのつもりで、本人も納得しての出費なので、そう痛みには感じないだけなのです。これが、実は毎日毎日15分ずつ自分の給与からピンハネされていると考えたら(1ヶ月換算で約5千円になる)、受け取り方はまた全然違ってくるでしょう。
 独身でもそうなのですから、例えばこれがパート収入とあと僅かの母子家庭手当てや就学援助だけで何とか食いつないでいるシングルマザーともなれば、たとえ月数千円の出費でも「僅か数千円」「たかが数千円」と、いとも簡単に済ませる事などは出来ない筈です。

 念のために断っておきますが、私は「だから給食費を踏み倒しても良い」という事を言いたいのではありません。給食費は、子どもの「教育を受ける権利」を支える為の、親・一人の大人・国民としての当然の出費です。しかしそれは、「義務教育は子どもに対する国民一人一人の義務」という自明の事が理解できて、初めて納得出来る出費なのです。
 それが、当の親も理解出来ていない中で(そもそも理解出来ていたらガソリン代や携帯電話料金を浮かすために給食費を踏み倒すなんて発想は出て来ない)、同じ様に理解出来ていない側が、単に「妬み差別」の感情だけで滞納者を叩いても(滞納者バッシングの仕方を見ると、そう取られてもやむを得ないだろう)、それは単なる「弱い者虐め」でしか無い。
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