今年も地元の「母親大会」を取材してきました。
「母親大会」というのは、核兵器禁止や高校・保育所増設の署名集めに取り組んで来られた地域のお母さん方の団体が、毎年1年に1回集まって、活動の進め方などを話し合う場です。戦後のビキニ水爆実験に反対する原水禁運動の中から生まれた取り組みで、今までも全国各地で開催されてきました。私の地元の大阪・高石でも、1988年から毎年開かれるようになりました。
「母親大会」では、活動の話し合いだけでなく、講演会や映画の上映なども行われます。ちなみに昨年は原発問題の講演会でした。参加資格も、団体に加入している母親だけでなく、他の女性・男性や子どもも誰でも参加出来ます。近所でタダで講演が聞け映画も見れるので、私も昨年からブログの取材がてら参加させてもらうようになりました。その「母親大会」の主催で、今年もこの9月28日の午後1時から地元の公民館で、「標的の村」という映画が上映されました。
映画上映に先立って、地元のお母さん方によるコーラスが披露されました。その後、阪口新六・高石市長からお祝いの挨拶がありました。市長は、女性解放の先駆者「平塚らいてう」の人となりやテレビドラマ「花子とアン」、長崎原爆慰霊式に参加した時の感想などを述べられ、「市内の公立小中学校でも戦争の悲惨さをもっと語り継がなければならない」と熱心に語ってくれました。無味乾燥な安倍首相のコピペ演説とは大違いです。
最近は、このような原発や憲法の問題を取り上げた企画に対し、一部右翼勢力から「政治的に偏っている」との攻撃が行われ、市の施設を貸さない等の動きが広まっていますが、幸い高石については、まだそこまで酷くは無いようです。
もし、そんな事になれば、政治的な意見は一切言えなくなってしまいます。そもそも、「憲法守れ」という事の一体どこが政治的に偏っているのか。「今の憲法なぞ守らなくても良い」という政治家に、国民に「法律を守れ」と説教する資格なぞあるのか。むしろ、そっちの方が、よっぽど「政治的に偏っている」どころか、もはや「言っている事が支離滅裂じゃないか」と私は思います。
そして、いよいよ「標的の村」の上映です。この映画は、沖縄本島北部東海岸の山原(やんばる)という原生林と海に囲まれた高江という集落が舞台です。高江は人口160人ほどの小さな村です。その高江の村を取り囲むようにして、米軍の北部訓練場が広がっています。訓練場の広さは東京ドーム約1668個分もあります。そこで米軍はゲリラ戦の訓練を行っています。
その高江の周囲に、米軍はヘリパッド(ヘリコプター発着場)を6つも作る工事を始めました。住民には何の説明もないままに。そこには今、墜落の危険性が高い垂直離着陸機オスプレイも配備されます。怒った住民は2007年以降ずっと、工事ゲートの前にテントを張り、24時間体制で座り込みを続けています・・・・。
そこまでは私もおぼろげながら知っていました。「標的の村」の映画タイトルも、座り込みで工事を妨害された国が、住民に脅しをかける為に、座り込み住民を妨害罪で訴えている所から来ているのかなあと、あくまで比喩(ひゆ=物のたとえ)のつもりで理解していました。
標的の村 国に訴えられた沖縄の住民たち
ところが、実際はそれだけではありませんでした。何と、米軍は実際に住民をゲリラ戦の標的に見立てて訓練を行っていたのです。
ちょうどベトナム戦争の時期です。当時、沖縄に存在した「人民党」という地域政党の機関紙「人民」の1964年9月6日付新聞記事によると、米軍は、北部訓練場の中に、ベトナムの村そっくりの施設(ベトナム村)を作り、そこで高江の住民にベトナム人の村人役をさせていたのです。そして、村人に紛れ込んだベトコン(解放戦線のゲリラ)兵2名を捕獲する訓練を連日行っていたのです。
表向きは住民の自主的な協力を装いつつ、実際は作戦に協力しなければ、今後一切、訓練場の敷地内に薪を取りに入る事は認めないと、住民に圧力をかけていたのです。その訓練では枯葉剤も撒かれ、住民の中には気分が悪くなる人もいたそうです。
高江の住民がヘリパッドの建設に村ぐるみで反対しているのも、その様な「ベトナム村」の苦い教訓があるからです。今回のヘリパッド建設に際しても、国は住民に何らまともな説明をしていません。オスプレイも最初は配備しないと言っていたのに、なし崩しに配備されようとしています。それに抗議して、ゲート前の公道で座り込みを続けているのです。
「なぜ集落を取り囲むように6つもヘリパッドを作るのか?」「なぜ住宅から最短400メートルしか離れていない所に危険なヘリパッドなんか作るのか?」「かつての『ベトナム村』の時の様に、再び住民を訓練の標的にしようとしているのではないか?」。それらの住民の疑問にも、国は何らまともに答える事すらせずに、工事を強行しています。その上、やむなく座り込みで抗議する住民を通行妨害で提訴し、小学生の子どもにまで損害賠償を請求しているのです。これは口封じだけが目的の典型的なスラップ(恫喝(どうかつ)・嫌がらせ)訴訟です。
この辺りの経過については、「やんばる東村 高江の現状」や「ゆんたく高江」のブログに、より詳しい説明が載っていますので、関心のある方はそちらも参照して下さい。
この高江だけでなく辺野古(へのこ)の座り込みに対してもそうですが、本土では「一握りの外人部隊による扇動」との見方がまだまだ一般的です。産経新聞なぞは露骨にその様に報道しています。しかし、よく考えてみて下さい。本土から沖縄まで、格安航空便でも片道1万円以上かかります。その上、沖縄には鉄道なぞありませんから、空港のある那覇から高江まで行くとなると、1日数便しかないバスに片道3時間も乗らなければなりません。本土の「外人部隊」がたまの休みに思い付きで来れるような所ではないのです。
それは沖縄の人にとっても同じです。高江の住民にとっては那覇の高等裁判所に出てくるだけでも大変なのです。高江なぞ「ベトナム村」の時代は船でしか行けなかった。その為に、同じ沖縄の中でも高江の事はなかなか伝わりませんでした。
そんな状況の中でも、高江でも辺野古でも、住民は365日体制で座り込みを続け、沖縄県民も各所からマイクロバスを仕立て、あるいは自費で、抗議の県民集会に参加しているのです。同じ数千人規模の集会でも、本土の大都市圏とは重みがまるで違うのです。
映画の中でも、住民の女性が、沖縄・八重山民謡の安里屋ユンタを半泣きで謳いながら、自分の車の運転席に立てこもって座り込みに参加されていました。この女性の一体どこが「本土サヨクの外人部隊」なのか。
映画の後は、芳沢あきこさんという方による、沖縄の基地問題についての解説です。左上写真のジュゴンの帽子をかぶっている女性が芳沢さんです。「基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会・大阪」という団体の共同代表を務めておられます。肩書こそイカツイですが、実際は気さくなオバちゃんで、話もタペストリーで編んだ地図を使って、非常に分かりやすく説明してくれました。(同じく真ん中と右上の写真参照。但し、高江などの地名だけは私が後でブログ公開時に入れました)
それによると、今、沖縄にある米軍基地は、その全てが、沖縄戦のドサクサに紛れて、米軍が住民を強制収容所に囲い込んでいるすきに、それまであった村や農地を潰して、鉄条網で囲い込んで作ったものです。戦争が終わり収容所から出てきた住民は、鉄条網で囲まれ変わり果てた姿になった自分の故郷を、黙って指をくわえて見ている他ありませんでした。(前述右上写真の沖縄タペストリー地図の黒色部分がその主要な基地です)
その様な、他人の土地を勝手に盗んで作った基地の返還を求めるのに、何故こちらが遠慮しなければならないのでしょうか。本来は、基地問題の解決とは、無条件全面返還しかあり得ないはずです。
沖縄から奪われたのは土地だけではありません。大勢の人の命も失われました。今、私がざっと調べただけでも、米兵による幼女暴行(1955年の由美子ちゃん事件など)、青信号で歩行中の中学生をひき逃げ(1963年の国場君事件)など、数多くの事件が起こっています。いずれも、治外法権で日本側に裁判権が無かった為に、犯人の米兵はほとんど無罪放免の形で本国に逃げ帰っています。1959年には、授業中の宮森小学校(旧・石川市、現・うるま市)に訓練機が墜落して死者17名、重軽傷者121名を出す悲惨な事故も起こっています。今、御岳山噴火による犠牲者の数の多さがマスコミを賑わしていますが、この宮森小学校事件も、それと同等以上の犠牲が出ているのに、この事件について知っている人はどれくらいいるでしょうか。
しかし、やがて転機が訪れます。1995年の米兵による少女暴行事件の後、全県ぐるみの抗議運動が盛り上がる中で、米軍基地の中でも最も住宅地に近接し危険な普天間(ふてんま)基地の返還要求が取り上げられる事になります。今までの米軍基地化の経緯から考えても、本来なら普天間基地の無条件全面返還しか回答はあり得ないはずです。ところが、日米両政府は、普天間返還の交換条件として、辺野古への基地移設を持ち出してきたのです。
本当は米軍にとっても、住宅地に囲まれ老朽化した普天間基地よりは、水深のある大浦湾に面した辺野古に最新鋭の基地を作ってもらう方が助かるのです。辺野古移設は、米軍にとっては正に「渡りに船」、本土のゼネコン業者によっても格好の金儲けになります。その移設費用を負担させられる住民だけがバカを見る事になります。
実は高江のヘリバッドも、その辺野古移設と連動して、北部訓練場の半分返還の口実として、浮上してきた話なのです。米軍にとっては、手放しても痛くもかゆくもない不要不急のジャングル訓練地の返還と引き換えに、最新鋭のヘリパッドをただ同然で手に入れる事が出来るのです。
映画と講演の後は、休憩をはさんで、沖縄民謡の紹介とその歌詞の意味についての簡単なレクチャーを受けました。沖縄民謡の調べは確かに美しいですが、今までは方言が理解できず歌詞の意味が分からない為にチンプンカンプンでした。でも、それも標準語の母音のeをiに、oをuに置き換えて唄えば良い事を知りました。例えば天国(Tengoku)は「Tinguku」という様に。
私の職場にも沖縄出身者が結構いますが、人によってはなまりがきつく、なかなか発音が聞き取れませんでした。このレクチャーを聞いた後は、多少とも聞き取れるようになれば良いのですが・・・。
会場では高江の写真集も販売していました。「沖縄・高江 やんばるで生きる」2160円。残念ながら給料日前で持ち合わせが無く買えず。
その後は「母親大会」参加諸団体からの活動報告やアピール。この高石でも公立保育園の民営化がどんどん進められ、それを阻止する為の裁判も市民団体によって取り組まれています。平和の問題では「母親大会」に理解を示してくれた市長も、実際の市政運営では企業中心の営利主義に絡み取られてしまっているのが分かります。
地元の教職員組合からは、教育の右傾化が競争・選別とセットで進められている学校現場の様子が報告されました。「日の丸・君が代強制には反対の動きもある」という客観的事実すら教科書に書き込めなくなりました。これではもはや政府見解以外は何も教えられなくなり、戦前の「国定教科書」に逆戻りです。それが公立高校の統廃合や学力テストの成績公表とセットで推し進められています。勉強の出来る子には金をかけて戦争指導者に育て上げ、勉強の出来ない子には余り金もかけず、何でも国や企業の言いなりになる安上がりな奴隷に育てるつもりなのでしょう。
最後に今日の感想を述べ合う場で、沖縄出身者と思しき一人の方から、「本土の人は本当に沖縄の痛みが分かっているのか!」と、胸に突き刺さる問題提起がありました。その方いわく、日本が戦後独立を回復した(1952年)4月28日の「主権回復の日」は、沖縄にとっては、日本から切り捨てられ1972年の本土復帰まで引き続き米軍の統治下に置かれた「屈辱の日」でしかない。その裏には天皇とマッカーサーの密約があったとも言われている。それに対する反発から、1975年に昭和天皇が沖縄を初めて訪問した際には、「ひめゆりの塔」の前で火炎瓶を投げつけられる騒ぎも起こっている。「それだけの痛みを沖縄が抱えている事を、本土の人間はどれだけ分かっているのか!」と。
この言葉には私も何も言えなくなりました。そんな私に出来る事は、ただ自分たちの為だけでなく、この沖縄の方の為にも、安倍政権を一刻も早く倒すしかないと、改めて思い知らされました。