・「くそ教育委員会が」 橋下知事、FM公開生放送で発言(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080907/lcl0809071737003-n1.htm
大阪府の橋下知事が、市町村教育委員会を「くそ教委が」と罵倒したという、上記のニュースですが。何でも「流石は知事、よくぞ言った」という意見も少なくないのだとか。私としては、もう呆れてモノも言えないのですが。
まず第1に、件の発言は、全国学力テストの結果公表に踏み切らない一部市町村教委の態度に業を煮やして、知事がヒステリーを起こしたものですが、何をか況やです。
あの学力テストについては、今までも各方面から問題点が指摘されています。曰く「あんなテストでは、単に丸暗記や受験テクニックを叩き込む事にしか為らず、人として生きていくのに必要な真の学力などは一切身につかない」「単に結果公表だけがまず先に在りきで、その後の生徒個人へのフォローが何も無い。それでは、序列化と選別だけを意図したものだと思われても仕方が無い」等々。
だから、愛知県犬山市教委の様に、学力テストに不参加を表明する所も出てくるのです。しかし、それも一つの見識であって、それを以って一方的に「ケシカラン」と決め付けるのは、如何なものかと思いますね。
次いで第2に、府下市町村教委を、まるで自分の手駒の様に捉えている非民主的感覚について。
何故、戦後の教育行政が、戦前の様な文部省や大阪府の直轄ではなく、教育委員会という独立行政委員会を通して行われるようになったのかが、知事は全く分かっていません。偏に、時の政権によって教育内容が左右される事が無いようにという事で、この制度が戦後導入されたのでしょうが。それが、やがて教育委員会の公選制が廃止され、教科書検定が強まり、とうとう教育基本法まで改悪されてしまいましたが、それでも独立行政委員会の制度は残っています。
それをこの知事は、教育行政を恰も自分の手駒の様に捉えて、思い通りにならないからといって、ヒステリーを起こしている。これでは、戦前の明治憲法下の内務官僚の発想と瓜二つと言わざるを得ません。道理で、装いだけは何やらチャラチャラしているものの、口を付いて出てくる発言が悉く、「自衛隊入隊の勧め」や「岩国市民は国に逆らうな」などの、「B層封建親父の居酒屋談義」然としたものばかりなのも、頷けます。
また第3に、その「くそ」発言が、結局は自分自身にはね返って来るものであり、自分自身を「くそ」呼ばわりしているのと同じである事に、全く気付いていないお粗末さについて。
今回の全国学力テストの成績分布が、地域の経済格差や文化格差とも一定の相関関係にある事は、教育毒本さんのブログでも言及されています。それによると、成績上位の秋田県は少人数学級導入に積極的ですし、反対に成績下位の沖縄県や大阪府は失業率も高い。実際はそれに加えて、大阪府などは生活保護・就学援助受給率や公立高校授業料も全国的に見ても高く、校舎がボロボロの学校も少なくないのです。
ところが橋下府政のしている事と言ったら、少人数学級編成の先延ばしや就学援助・私学助成の削減など、教育条件の拡充に反する事ばかりしているではないですか。府知事選時の「子供が笑う大阪を」公約は、どうやら、小泉時代の「自民党をぶっ壊す」と同様のペテンでしか無かった様です。それを、自分の無策を棚に上げて他人を散々「くそ」呼ばわりとは、もう能天気という他ありません。
そして第4に、「くそ」発言に見られる、知事の一見傍若無人な物言いに隠されたダブルスタンダードの狡賢さについて。
「くそ」だとか「バカ」だとか言うだけで、世間の注目を浴びて英雄になれるのなら、これほど楽な事は無い。「このくそ上司が、くそ自民が、くそ天皇が」とね。しかし、普通の人が公の場でこんな事を言えば、普通は間違いなく白眼視されます。とりわけ北朝鮮の金正日辺りが同じ事を言おうものなら、それだけで嫌韓厨の格好のネタになるでしょう。
それが、橋下知事に限っては大目に見られるのは、一体何故か。それは、これらの橋下知事の物言いが、いずれも自分よりも格下・目下の、自分にとっては組し易い対象のみを攻撃して、それで世間の溜飲を下げさせているだけだという事にあります。それが証拠に、ヒラにばかり「煙草を吸うな」とか「早く出てきてサービス残業で仕事をこなせ」とか言うものの、上には三割自治や三位一体改革の問題点は何も指摘せず、「国策には逆らうな」のヒラメぶりは覆うべくも無く。
要するに、大衆の誰もが多少は持ち合わせている劣等感や、その裏返しとしての差別意識に媚びて、それを踏み台にして個人的栄達を図っているだけなのです。しかし、こんなモノは、所詮は「下見て暮らせ」何とやらの、一種のポピュリズム(大衆迎合)でしかありません。
最後に第5として、その「くそ」発言のファシスト的性格について。この発言というのは要するに、理屈では適わない相手を、「くそ」だとか何だとかいう暴力的な物言いで、威嚇して黙らせているだけではないですか。その本質に於いては、似非弱者・森の差別暴力や、ヒットラー・石原慎太郎・サルコジ・ルペンなどのヘイト発言と、全く同じなのです。
以前の府職員朝礼での「早く出てきてサービス残業で仕事をこなせ」発言なぞ、その典型ではないですか。ネットウヨクは当時盛んに、その知事発言にかみついた女性職員の人格攻撃に話をすり替えようとしましたが、何をか況やです。仮にその女性職員の働きぶりや活動歴に何がしかの問題があったとしても、「サービス残業が不当労働行為に当たる違法行為であり、況してや知事がそれを強要出来るものではない事」ぐらい、弁護士出身の知事なら分かりそうなものを。恐らく、サラ金の顧問弁護士・労務屋として、今まで散々人権に反する事ばかりやって来たから、もうその辺の感覚が麻痺してしまっているのでしょうが。
「ブーメラン効果」の言葉通り、全て自分に跳ね返ってきているのに、当人にはその自覚もないのでしょう。見ようによっては可哀想な裸の王様とも取れなくはないですが、それを口にする知事も知事なら、それを煽るマスコミもマスコミで、煽られる一部有権者も有権者です。みんな寄って集って思いっきり天下に恥を晒している事に、何故気が付かないのでしょう。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080907/lcl0809071737003-n1.htm
大阪府の橋下知事が、市町村教育委員会を「くそ教委が」と罵倒したという、上記のニュースですが。何でも「流石は知事、よくぞ言った」という意見も少なくないのだとか。私としては、もう呆れてモノも言えないのですが。
まず第1に、件の発言は、全国学力テストの結果公表に踏み切らない一部市町村教委の態度に業を煮やして、知事がヒステリーを起こしたものですが、何をか況やです。
あの学力テストについては、今までも各方面から問題点が指摘されています。曰く「あんなテストでは、単に丸暗記や受験テクニックを叩き込む事にしか為らず、人として生きていくのに必要な真の学力などは一切身につかない」「単に結果公表だけがまず先に在りきで、その後の生徒個人へのフォローが何も無い。それでは、序列化と選別だけを意図したものだと思われても仕方が無い」等々。
だから、愛知県犬山市教委の様に、学力テストに不参加を表明する所も出てくるのです。しかし、それも一つの見識であって、それを以って一方的に「ケシカラン」と決め付けるのは、如何なものかと思いますね。
次いで第2に、府下市町村教委を、まるで自分の手駒の様に捉えている非民主的感覚について。
何故、戦後の教育行政が、戦前の様な文部省や大阪府の直轄ではなく、教育委員会という独立行政委員会を通して行われるようになったのかが、知事は全く分かっていません。偏に、時の政権によって教育内容が左右される事が無いようにという事で、この制度が戦後導入されたのでしょうが。それが、やがて教育委員会の公選制が廃止され、教科書検定が強まり、とうとう教育基本法まで改悪されてしまいましたが、それでも独立行政委員会の制度は残っています。
それをこの知事は、教育行政を恰も自分の手駒の様に捉えて、思い通りにならないからといって、ヒステリーを起こしている。これでは、戦前の明治憲法下の内務官僚の発想と瓜二つと言わざるを得ません。道理で、装いだけは何やらチャラチャラしているものの、口を付いて出てくる発言が悉く、「自衛隊入隊の勧め」や「岩国市民は国に逆らうな」などの、「B層封建親父の居酒屋談義」然としたものばかりなのも、頷けます。
また第3に、その「くそ」発言が、結局は自分自身にはね返って来るものであり、自分自身を「くそ」呼ばわりしているのと同じである事に、全く気付いていないお粗末さについて。
今回の全国学力テストの成績分布が、地域の経済格差や文化格差とも一定の相関関係にある事は、教育毒本さんのブログでも言及されています。それによると、成績上位の秋田県は少人数学級導入に積極的ですし、反対に成績下位の沖縄県や大阪府は失業率も高い。実際はそれに加えて、大阪府などは生活保護・就学援助受給率や公立高校授業料も全国的に見ても高く、校舎がボロボロの学校も少なくないのです。
ところが橋下府政のしている事と言ったら、少人数学級編成の先延ばしや就学援助・私学助成の削減など、教育条件の拡充に反する事ばかりしているではないですか。府知事選時の「子供が笑う大阪を」公約は、どうやら、小泉時代の「自民党をぶっ壊す」と同様のペテンでしか無かった様です。それを、自分の無策を棚に上げて他人を散々「くそ」呼ばわりとは、もう能天気という他ありません。
そして第4に、「くそ」発言に見られる、知事の一見傍若無人な物言いに隠されたダブルスタンダードの狡賢さについて。
「くそ」だとか「バカ」だとか言うだけで、世間の注目を浴びて英雄になれるのなら、これほど楽な事は無い。「このくそ上司が、くそ自民が、くそ天皇が」とね。しかし、普通の人が公の場でこんな事を言えば、普通は間違いなく白眼視されます。とりわけ北朝鮮の金正日辺りが同じ事を言おうものなら、それだけで嫌韓厨の格好のネタになるでしょう。
それが、橋下知事に限っては大目に見られるのは、一体何故か。それは、これらの橋下知事の物言いが、いずれも自分よりも格下・目下の、自分にとっては組し易い対象のみを攻撃して、それで世間の溜飲を下げさせているだけだという事にあります。それが証拠に、ヒラにばかり「煙草を吸うな」とか「早く出てきてサービス残業で仕事をこなせ」とか言うものの、上には三割自治や三位一体改革の問題点は何も指摘せず、「国策には逆らうな」のヒラメぶりは覆うべくも無く。
要するに、大衆の誰もが多少は持ち合わせている劣等感や、その裏返しとしての差別意識に媚びて、それを踏み台にして個人的栄達を図っているだけなのです。しかし、こんなモノは、所詮は「下見て暮らせ」何とやらの、一種のポピュリズム(大衆迎合)でしかありません。
最後に第5として、その「くそ」発言のファシスト的性格について。この発言というのは要するに、理屈では適わない相手を、「くそ」だとか何だとかいう暴力的な物言いで、威嚇して黙らせているだけではないですか。その本質に於いては、似非弱者・森の差別暴力や、ヒットラー・石原慎太郎・サルコジ・ルペンなどのヘイト発言と、全く同じなのです。
以前の府職員朝礼での「早く出てきてサービス残業で仕事をこなせ」発言なぞ、その典型ではないですか。ネットウヨクは当時盛んに、その知事発言にかみついた女性職員の人格攻撃に話をすり替えようとしましたが、何をか況やです。仮にその女性職員の働きぶりや活動歴に何がしかの問題があったとしても、「サービス残業が不当労働行為に当たる違法行為であり、況してや知事がそれを強要出来るものではない事」ぐらい、弁護士出身の知事なら分かりそうなものを。恐らく、サラ金の顧問弁護士・労務屋として、今まで散々人権に反する事ばかりやって来たから、もうその辺の感覚が麻痺してしまっているのでしょうが。
「ブーメラン効果」の言葉通り、全て自分に跳ね返ってきているのに、当人にはその自覚もないのでしょう。見ようによっては可哀想な裸の王様とも取れなくはないですが、それを口にする知事も知事なら、それを煽るマスコミもマスコミで、煽られる一部有権者も有権者です。みんな寄って集って思いっきり天下に恥を晒している事に、何故気が付かないのでしょう。
>もっと言えば、あの人の掲げる「大阪府の財政再建」公約も、多分に目晦ましの要素がある。これは「大企業本位の財政再建」云々という事ですら無くて、そもそも彼の狙いは、もっと別の所にある。「財政再建」公約も、その真の狙いを糊塗する為の、単なる目晦ましでしか無いのではないか。
上記内容について少し説明します。
―「このまま財政赤字が増えれば福祉・教育に回す金が無くなる、だから今から福祉・教育予算を削減していく」と言うのが、橋下知事の言い分だ。
しかし、どっちみち福祉・教育予算が削減される事に変わり無いのなら、今更我慢を強いられる筋合いなぞ無いのでは?
何故ならば、「府県制廃止・道州制移行によって、福祉・教育は民間に身売りして、自治体業務を軍事協力や国の土木事業の下請けだけに特化させる」と言うのが、知事の持論なのだから。
だから「大企業本位の府財政再建」という事ですら無い。大阪府そのものを無くしてしまえと言っているのだから。ただ府民を脅かす為の「お為ごかし」の口実として、財政や福祉を人質にとっているだけではないか?―
そういう事が、「橋下知事への対策―笑顔で暮らせる大阪府再建の道」(大阪自治体問題研究所・編、せせらぎ出版・刊)という本の中で述べられていました。大阪自治体問題研究所と言うのは、大阪の自治体関係者が中心になって立ち上げた研究団体で、その様な橋下改革に対抗して、福祉・教育予算を出来るだけ削減せずに、無理の無い財政再建を推し進める事で、大阪の地方自治を蘇らせようという活動をしています。
要するに、知事にとっては財政再建も道州制導入の為の地ならしにしか過ぎなかったのでしょう。福祉・教育なんて元々国がやる事ではない。国がやるのは戦争・軍拡と大企業の為の土木工事だけだ。福祉・教育業務は市町村に丸投げするなり民間に身売りすればそれで良し。
流石にこれを読んだ時には、「実際にそこまでするか」と思いましたが、それは何も日本だけに限った事ではなくて、世界中でもよくある話なのだと。
ナオミ・クラインという人が、それを「ショック・ドクトリン」と揶揄しています。
消費税増税にしろ福祉・教育予算削減にしろ、その様な新自由主義経済政策を実施に移す段になると、庶民には大なり小なり痛みが伴います。民衆の力が強いままでは、それらの政策をそのまま実施するのは難しい。だから、政策の本格展開に先立って、労組叩きや強い政府を望む風潮が作られます。
それが80年代のレーガノミクス・サッチャーリズム・中曽根行革であり、90年代の政治改革、2000年代に入ってからの小泉改革という訳です。
それでも、先進国ではまだしも民主的な装いの下でそれらの政策が強行されましたが、開発途上国ではそれらの政策は文字通り「開発独裁」として行われます。
新自由主義政策が世界で最初に本格展開されたのは、南米チリのピノチェト軍政下に於いてでした。その後、南米諸国で各国の軍事独裁政権が相次いで新自由主義経済政策を取り入れ、民衆は嫌と言うほどその痛みを味わされました。現在の南米に於いて、反・新自由主義を掲げる潮流が躍進しているのは、そういう背景があるからなのです。
やがて新自由主義・グローバル資本主義の波が世界を洗い、民衆がその波に翻弄されるようになります。
ハリケーン・カトリーナに襲われた米国ニューオリンズでは、低所得者の住宅再建よりも都市再開発に主眼が置かれました。スリランカの津波被災に際しては、IMFが同国政府に圧力をかけて、庶民の住宅再建に代えて海岸地帯のリゾート再開発を行わせようとしました。
資本主義の無政府性を揶揄する表現として「我が無き後に洪水は来たれ」という言い回しがありますが、それが実際に行われたのです。
かつて中曽根や小泉によって行われ、現在も橋下によって行われようとしているのが、この「我が無き後に洪水は来たれ」の「ショック・ドクトリン」なのです。
つい最近も、21世紀臨調が音頭を取って、現状では必ずしも上手く機能しているとは言えない保守二大政党制を何とか日本に根付かせようと、「せんたく」という名の擬似市民運動が組織され、東国原・宮崎県知事がその客寄せパンダに担ぎ出されました。
東国原の場合は、まだそれでもどちらかと言うと、国・財界・マスコミによって上手く乗せられた感の方が強いですが、橋下の場合は、労務屋とは言え腐っても弁護士出身ですから、寧ろそういう支配層のやり方に自らの方から迎合して身を委ねたという方が、近いのではないか。私が彼を「策士・曲者」として警戒するのも、そういう理由からです。
(参考)
・「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」 ナオミ・クライン新著を語る(DemocracyNow! Japan)
http://democracynow.jp/submov/20070917-1
聞き捨てならんな。「市場は人々を勤勉で正直にする」は道徳哲学者アダム・スミス。
7年前まで、十年越しの裁判(代金未払い)をやってましたが、そのときの弁護士事務所からは、いまだ、年賀状が来ますよ。(着手金以外全額成功報酬でやって貰った、たしかに結果は完勝、だから成功報酬で結構取られたけど)曰く、「なんかあったら、又お願いします」。(こっちはなんかないことを心から願ってるんだけど)
商人のどこが悪いんですか!
なにか教育が間違ってるんじゃないですか!
こういう輩についてはコメントする気力も失せました
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>税金の一滴は血の一滴! 欲しがりません、借金返すまで! 公務員は敵!(todoさん)
あ~、全く同じだ。小泉・橋下シンパの私の兄貴の言い分と(ため息)。
今も少なくないのですよね。「規制緩和・構造改革・経済自由化・民営化によって、国民の税金をムダ使いする族議員や官僚や公務員をやっつけて貰いたい」「それで自民党をぶっ潰して欲しい」というのを、今でも小泉や橋下に期待している人たちが。
確かに公務員(それも主として労組員)の「お役所仕事」や「親方日の丸」感覚、解同の「利権漁り」は問題です。しかし、その自治労や解同に飴玉をしゃぶらせて体制内化して、選挙の時に実働部隊として使ってきたのは一体誰ですか?当の自公与党プラス民主のオール与党じゃないですか。
それで今まで散々利用してきたくせに、旗色が悪くなると、巧妙に「労組・解同」叩きに話を摩り替えて、ついでに民間労組や共産党系・新左翼系の労働運動も叩いて、罪を全て労組と左翼に擦り付けて、懐柔した方の関西財界・中央官僚・オール与党はいつの間にか無罪放免。そういう「公務員叩き」の手口に、いつもみんな騙されるのですよね。
それはそれで、todoさんにもそろそろレスしなければと思っていたので、こういう「公務員叩き」の是非については、引き続き「あちら」=「棄民医療制度の残酷」エントリーの方で、後日別途レスさせてもらいます。
ただ、ここで私が橋下知事の事で問題にしているのは、「公務員」がどうこうという話ではなくて、学力テスト(学テ)に対する評価、引いては知事の教育観についてなのですが。何故ならば、知事のくだんの「くそ」発言も、学テや教育問題を契機に出てきたものなのですから。
そこで知事の発言ですが、「くそ」という罵倒語で、問答無用・傍若無人な態度を取り続けている事や、それまでの「自衛隊入隊の勧め」「岩国市民は黙って在日米軍や政府の言う事を聞け」発言に見られる非民主性を、このエントリーでは問題にしているのです。
彼の発言の「規制緩和・自由化」の字面だけを捉えれば、如何にも「親方日の丸・護送船団方式・大きな政府」に抵抗する「リバタリアン」(国家からの干渉を嫌う究極の自由主義者)、「民衆の自由の擁護者」みたいな、トレンディーな発言に聞こえるのかも知れませんが。
しかし、その「民衆の自由の擁護者」が、何故「自衛隊」肯定や「お上に逆らうな」みたいな復古的・封建的発言を繰り返すのかが、私としては非常に興味深い点です。とりわけ日本の新自由主義者は、米国のそれと比べても、この傾向がより顕著です。
その理由は、これら新自由主義者の言う「自由化」とか「規制撤廃」とかいうのは、自分たちブルジョアジーの「金儲け・搾取の自由」を保障してくれる限りをいうのであって、決して「民衆が国家統制から自由になる事」ではないからでしょう。寧ろ「搾取の自由」に抵抗する労働運動・市民運動などは、反対にどしどし国家統制で締め上げて欲しいと思っているのに違いない。
「規制緩和」の恩恵に浴するのは、あくまで「勝ち組」のみであって、「負け組」には「規制・統制・弾圧」で臨もうとする。それが、新自由主義の、真の、反動的とも言える役割です。
それが証拠に、小はタスポによる喫煙規制や(タバコ民営化・自由化とは裏腹に庶民には国家統制w)、大はイラク反戦ビラや後援会ニュースの配布規制まで、庶民には逆に規制が強められてきているではありませんか。これのどこが「小さな政府」なのかよ。
これは今までも別の所で幾度となく言ってきた事ですが、「規制緩和・小さな政府」志向の新自由主義(ネオリベラリズム)と、「規制強化・大きな政府」志向の国家主義・新保守主義(ネオコンサバティズム)は、相互補完の関係にあるのです。
確かに現象面だけを見れば、ホリエモンの「天皇制不要」発言や、小泉・福田の「中国・北朝鮮寄り」姿勢など、安倍・麻生・中川・平沼などの新保守主義者とは利害が対立する側面もあります。しかし、それは本質的な問題ではありません。新自由主義者にとっては「資本の利益」こそが第一であって、「国益」などは実は二の次なのです。
要するに「金儲けにならない戦争なぞはしない」という事です。しかし、これは裏返すと「金儲けになるのであれば、戦争をも辞さず」という事でもあります。その時は新自由主義者も「国家・国益」を全面に掲げます。小泉の靖国参拝への固執が、その良い例です。「自分たちの金儲け」という真の狙いは巧妙に隠して。それで人が何百万人死のうが知ったこっちゃない。
そして、国家主義・新保守主義も、新自由主義も、ともに最後には暴力的に民衆を支配しようとする点では、見事に一致しています。橋下の「くそ」発言と、戦前2.26事件を引き起こした青年将校たちの「問答無用」発言の、何と似通っている事か。
新保守主義が「むき出しの帝国主義、政治的ファシズム」を志向するのに対して、新自由主義の方はと言うと、これまた「むき出しの資本主義、経済的ファシズム」を志向しています。新保守主義の標的が憲法9条(戦争放棄)であるとするならば、新自由主義の標的は、さしずめ憲法25条(生存権保障)にあるのでしょう。
「官僚制打破」「自民党をぶっ壊す」などの表面的な言葉に騙されて、新自由主義の「右翼補完者、自民党政治の別働隊」としての性格に気付かないでいると、最後にはとんでもない目に遭います。
>ところでキューバ方式の都市型農業、これはなかなかのものらしい。そこでどうでしょうか。橋下知事の次の一手は府庁の屋上を水田にして田植をする。天皇陛下だって田植えをやるんだから知事がやったってバチは当たらない。米が余ってるのなら転作奨励金を貰ってニラ作りますか。これでメタミドボスの入っていない純大阪産ギョーザを作って未来を担う子供たちの給食に出す。健康にいい。名物にもなりそう。(todoさん)
キューバの有機農法については、識者の評判も上々だそうで、私も結構評価はしているのですが、それをいきなりキューバみたいに上意下達でやっても、うまくいくかどうか。都心のビルの屋上を農地にしても、コスト的に引き合わないのでは?それなら一層の事、環境緑地(農地)みたいなのを都心に整備した方が、ヒートアイランド現象の緩和にも役立つのでは。
ただ、あの人は、人気取りの為に口にする事はあるかも知れないが、本心ではそんな事なぞ全然考えていないよ。府知事選で掲げた「子供が笑顔」「子育て支援」公約が、当選するまでの目晦ましでしかなかった事を見ても、それは一目瞭然では。
もっと言えば、あの人の掲げる「大阪府の財政再建」公約も、多分に目晦ましの要素がある。これは「大企業本位の財政再建」云々という事ですら無くて、そもそも彼の狙いは、もっと別の所にある。「財政再建」公約も、その真の狙いを糊塗する為の、単なる目晦ましでしか無いのではないか。最近はそう思い始めています。
そういう人ですから、この「くそ教委が」発言も、実は、決して成り行き任せの失言なんかではなく、自分の人気取りの一環として、あくまでも確信犯として計算づくで為されたものだと、私は考えています。彼は、私の様な反対意見が出てくる事も充分計算に入れて、それをも人気取りとして利用する算段なのです。
だから本当の事を言うと、このエントリーもアップしようかどうかも、私は一瞬迷いました。ただ、余りにも、彼が仕掛けるパフォーマンスに目を奪われる人が目に付くので、あくまでも一つの立場表明として、このエントリーをアップしたのです。この点については、また別途詳しく書こうと思っていますが。
ただ、これだけは言えるでしょう。彼は、相当の策士である事だけは確かでしょう。少なくとも小泉と同程度の悪知恵は働きます。流石は労務屋稼業で飯食ってきただけの事はあります。
税金の一滴は血の一滴! 欲しがりません、借金返すまで! 公務員は敵!
大阪にふるさと納税しようかって本気で思ってますよ。
ところで農業改革も待ったなしの状態ですが、大規模化ってアメリカ並みに大規模化するんならともかく、なんかうまくいきそうもないですね。畜産なら回転がいいのですが、米となると忙しい時期が限られてる。兼業といたって農閑期は役場で新聞読んでるんじゃこれも困ったもんです。
ところでキューバ方式の都市型農業、これはなかなかのものらしい。そこでどうでしょうか。橋下知事の次の一手は府庁の屋上を水田にして田植をする。天皇陛下だって田植えをやるんだから知事がやったってバチは当たらない。米が余ってるのなら転作奨励金を貰ってニラ作りますか。これでメタミドボスの入っていない純大阪産ギョーザを作って未来を担う子供たちの給食に出す。健康にいい。名物にもなりそう。
一石5丁くらいの経済効果があるんじゃないですかね。
橋下知事だとなんかホントにやりそうなんで怖いものがあります。