この4月から小中学校で道徳を正式な教科として教える事になったそうです。それまでも道徳の授業はありましたが、正式な教科として教えられていた訳ではありませんでした。だから正規の検定教科書もなく、「心のノート」という副読本を教科書代わりに使っていただけでした。その4月から使われる「私たちの道徳」という教科書の内容が文部科学省のHPでも公開されていますので、是非ご覧下さい。どれだけ下らない教科書かよく分かります。
もう建前論のオンパレードです。例えば、小学校低学年の最初の単元で、「早寝早起き、朝ごはん」という事が強調されています。確かに「早起きは三文の得」と言います。夜更かしするよりも朝早く起きる方が、頭もシャキッとするし勉強も仕事もはかどります。朝ごはんも欠かさず食べた方が良いに決まっています。でも、今の格差社会の日本では、そんな事が出来る家庭ばかりではないのです。
両親とも共働き、両親とも非正規雇用で、夫婦合わせても年収2~300万円行くか行かないかというカツカツの生活で、場合によっては母子家庭だったり、親が失業中だったり、生活保護受給者だったりで、学資も満足に払えない、学用品も満足に買えない親の子どもが、そんな生活なぞまともに送れる訳がないでしょうが。ひょっとしたら、両親の勤め先がブラック企業で、朝早くから夜遅くまで働かされていて、休日も出勤させられていたとしたらどうでしょう。下手すれば食事する時間すらなかったりする。「一体いつ寝てるの?」という状態の親子に対して、こんな建前論だけを振りかざされても、何の役にも立たないでしょうが。
本当に本心から「早寝早起き、朝ごはん」が大事だと思うのであれば、ブラック企業で酷使されている親やその子供を、更に追いつめるような、こんな虐めみたいな事なぞせずに、ブラック企業的な働き方をなくす事の方が、はるかに実効性があるのではないですか。それこそが真に道徳的な態度ではないでしょうか。
この教科書、一事が万事こんな調子です。「決まりを守れ」「節約しろ」「責任感を持って行動しろ」「自然環境を守れ」「自分の事ばかり考えるな」といったお説教ばかりが書かれていますが、そんな事幾ら俺らばかりに言われても、全然納得が行きません。
反対意見がうっとうしいからと言って国会で秘密保護法の強行採決をしたり、自分の都合の良いように好き勝手に憲法解釈を変えたり、政治を私物化して気に入る結果が出るまで何度も出直し市長選挙をやったり、必要な病院や保育所は後回しにして無駄なダムや高速道路ばかり作ったり、JR福知山線事故や福島原発事故の責任も満足に取らずに、豪雪被害が出てるのに何も対策を取らずにオリンピック選手に電話して自分の人気取りばかり考えたり・・・そんな首相や大阪市長、JR・東電やブラック企業の経営者には何もおとがめなしで、何で俺らばかりに説教されなあかんねん。
国民にばかり「きまりを守れ」とか偉そうに説教たれるなら、その前にブラック企業労働やサービス残業を止めさせろよ。そう思いません?こんな教科書、幾らアンケート形式の質問を取り入れる等して現代風に装っても、本質的には戦前の修身教科書と何ら変わりません。
そして、偉人の伝記が一杯出て来るけど、その偉人の捉え方も非常に平板で一面的。例えば小学校高学年で習う野口英世。子供の時の大やけどで左手が不自由になったが、それに負けじと努力したお蔭で、立派な細菌学者になり、黄熱病の病原菌も突き止める事が出来ました。皆さんも野口英世博士を見習いましょうと。でも、それは野口英世の一面でしかありません。実際の野口英世は、貧しさや手が不自由だった事への反発から、放蕩癖(ほうとうへき=遊び癖)が身についてしまい、それを借金でまかなうようになってしまった。そういう一面もあるのです。本当に野口英世を理解するには、そういう一面も知った上で、何故彼が貧しさや手の障害に負けてしまったのか、放蕩癖から足を洗う為には何が必要だったのかまで理解しなければ、彼の本当の偉大さも分からないのではないですか。
それを、政府が自分にとって都合の良い一面だけを取り上げて、それを国民支配の道具に利用するだけでは、余りにも野口英世も国民もバカにした態度だと思います。
しかも、一つ一つの事象についての捉え方も、余りにも政府にとって都合の良い、非常に偏ったものでしかない。
例えば自由についても、自由の何たるかも教えずに、いきなり「自由には責任を伴う」なんて言われても、大人の私ですら面食らってしまうのに、子供にその意味なんて理解できる筈がない。(小学校高学年用の単元「1.自分をみがいて―(3)自律的で責任ある行動を」)
みんな今何気なしに当たり前の様に使っている「自由、平等、平和、人権、民主主義」と言った言葉も、ごく普通に使えるようになったのは戦後になってからでしょうが。確かに戦前でも、そういう言葉はあったし、選挙や議会もありました。でも、みんな実際はおっかなびっくり使っていたのではないでしょうか。だって、「神」である天皇を自由に批判する事なんて出来なかったのだから。戦争反対や共産主義なぞ主張しようものなら即ブタ箱行き、下手すれば死刑にされた時代です。
それに、当時は労働基準法も最低賃金制度も生活保護も奨学金制度もありませんでした。婦人参政権なんて認められていなかったし、労働者のストライキ権も認められていなかった。アジア・アフリカ諸国の大半も大国の植民地として搾取されていた。
そんな中から、多くの犠牲を払って、ようやく今の状態まで持ってきたのです。自由も平等も、まだまだ十分ではないけれど。その大切さをまず教える方が先でしょう。それを先にきっちり教えてこそ初めて、「自分の権利を守ると同時に、他人の権利も尊重しなければならない」という事も理解できるのに。
その最も肝心な事をすっ飛ばして、いきなり「自由には責任を伴う」なんて言われても、「はあっ?」としか言いようがないでしょう。これでは教える順序がまるであべこべです。
何故こんな本末転倒がまかり通るのか。政府が、幾ら口先だけ「自由、平和、民主主義を守る」と言っても、本音ではそれを疎ましく思っているからです。だから、一応それらは認めるけれど、いざ国民がそれらの権利を行使しようとすると、「自由には責任が伴う」とか何とか言って脅しに出て、出来るだけそれらを行使させないようにしているのです。「自由や権利を尊重する」と口先では言いながら、実際は国民の事を奴隷か何かのようにしか思っていないからです。
そうでなければ、こんな事は言わないし、そんな事ばかり書いた教科書で道徳の授業なぞしたりしません。偉人の伝記も、こんな当たり障りのない(実はものすごく政府にとって都合の良い一面的な)描き方、取り上げ方なぞはしません。マザーテレサやオリンピック選手や宇宙飛行士だけでなく、田中正造とか、そういう時の権力に歯向かってでも弱い者の人権を守った人物も、もっと分け隔てなく取り上げる筈です。
でも、こんなクソみたいな道徳の教科書で、幾ら「クラスから虐めを無くしましょう」なんて教えた所で、絶対に虐めはなくなりません。逆にますます陰湿化するだけです。
だって、教師自ら先頭に立って、「建前と本音の使い分け」をしているのですから。これだけブラック企業的な働き方が蔓延しているのに、労働基準法の知識もまともに教えず、バイトにも有給休暇の権利がある事すらまともに教えずに、幾ら口先だけ「自由、平和、人権を尊重する」と言われても、誰がまともに信用するか。実際には自由も平和も人権も民主主義も全部「有名無実化」しようと企んでいるくせに。「建前と本音の使い分け」「ウソも方便」「面従腹背」がますます酷くなるだけです。
秋葉原の無差別殺傷事件やアクりフーズの農薬混入事件のような事が全国各地で頻発し、毎年3万人も自殺者が出ているのが、その何よりの証です。こんなクソみたいな道徳教育やっていたら、最後には子供から思いっきり復讐されますよ。この際はっきり言うといたるわ。それが嫌なら、こんなクソみたいな教育なぞ即刻止めて、もっと国民の人権を尊重する、民主的な政治や教育をすべきです。豪雪被害を見捨てながら人間の絆を説いたり、原発を推進しながら自然保護を説くようなエセ道徳教育なぞ即刻中止して。
そもそも道徳教科化以前に、今の安倍政権や自民党に、人の道を説く資格があるのかという問題があるが。福島原発事故の責任も取らず、基地を相変わらず沖縄に押し付けたままで、関東甲信越の大雪被害も尻目に料亭で天ぷら食ってた安倍に、今更人の道を説かれても、面従腹背の反面教師にしかならない。
来年度から施行予定の道徳教科書「私たちの道徳」の内容より。節度・節制を心がけ「もったいない」を世界共通語に(小学校高学年)w。だったら無駄な原発やダムや赤字新幹線をあちこちに作るな。既存のトンネルや橋の補修をなおざりにしたままオリンピックや国体でしか使わない高速道路ばかり作るな。
「私たちの道徳」批判2、先の「節度・節制・もったいない」の続き。そんな事は俺らにではなく、僅か震度3の地震で大破するようなWTCビルを造ったり、意味のない出直し市長選で税金の無駄使いをやろうとする橋下徹や、自分の借金を政党助成金(=俺らの税金)で返そうとする舛添要一に言え。
「私たちの道徳」批判3。ピタゴラス「自制心のない者に自由はない」w。一番肝心なフランス革命などの自由獲得の歴史は教えず、いきなり「自由も自制の範囲内で」と来たのも然る事ながら。それも俺らにではなく、「俺様が憲法だ」の安倍・橋下や、「俺様がNHKだ」の百田・籾井にこそ言うべき。
「私たちの道徳」批判4。夏目漱石「自分に誠実ではないものは決して他人に誠実であり得ない」w。そんな事も俺らにではなく、福島原発事故やJR福知山線事故、過労死裁判について何らまともに責任を取ろうとしない東電・JR・ワタミの経営者や、そいつらを散々かばいだてしてきた政府に対して言え。
「私たちの道徳」批判5。「真理、工夫して生活をより良く」。その例として、大雪や重い雪の降る予測ができるように雪の研究を行った科学者の話を幾ら持ち出されてもw。予測を受け取った側が国民を消耗品としか思っていなかったのだから(怒)。もはや先の豪雪被災者に対する当てつけでしかない。
「私たちの道徳」批判6。「自分の特徴、悪い所を改め良い所を積極的に伸ばす」w。じゃあ、第二次大戦の犠牲と引き換えにようやく手にした、現憲法の主権在民・人権尊重・平和主義をことごとく否定して、戦前に回帰する事しか頭にない今の政府のやっている事や、それを何とも思わない国民は、一体何?
「私たちの道徳」批判7。「礼儀正しく真心をもって」w。では、相手を「ババア」と罵る石原慎太郎や、「チンカス」と罵る橋下徹や、「人間のクズ」と罵る百田尚樹や、そんな奴らを今まで重宝してきた安倍晋三は、さぞかし「道徳的」なんでしょうなあ。そんな輩による道徳の説教なぞ聞きたくもないが。
「私たちの道徳」批判8。「謙虚な心、広い心を持って」w。「ブランコ乗りとピエロ」の逸話。サーカスで一人目立とうとするブランコ乗りサムを諭すピエロの話なんだってw。じゃあ、出直し市長選で一人目立とうとする橋下徹や、豪雪被害を尻目に羽生選手への電話かけで一人目立とうとする安倍晋三はw
「私たちの道徳」批判9。「自然環境を大切に」。自然をこよなく愛した宮沢賢治。方や、原発再稼働まっしぐらで、自然をこよなく破壊する安倍晋三。美しい地球、宿る地球を愛する毛利衛・宇宙飛行士。方や、その地球もプルトニウムや核兵器で滅ぼそうとする安倍晋三・石原慎太郎・田母神俊雄。
「私たちの道徳」批判10。「公徳心」「決まりは何のために」。国会議事堂見学を通して自分たちが破ってしまった学校の決まりについても考えさせるのだとw。深夜の秘密保護法強行採決や、憲法改正のハードルや集団自衛権の憲法解釈も好き勝手に変えようとする首相の醜い姿も、この際じっくりと見学を。
「私たちの道徳」批判11。「公正・公平・正義の実現」。みんな同じかけがえのない一人の人間(マザー・テレサ)、いじめている君へ(千住明)。そんな事言いながら、陰では非正規労働者や障害者、在日外国人労働者を思いっきり差別し、母子家庭や生活保護受給者を怠け者呼ばわりしている癖に。
「私たちの道徳」批判12。「自分の役割を自覚して」w。江戸時代に小石川養生所で貧民も分け隔てなく治療した小川笙船(赤ひげ先生)の逸話を例に。老人差別の後期高齢者医療制度を作り、病気になっても休めない非正規労働者を量産する安倍や舛添から、こんな事説教されても逆に白けるだけだが。
「私たちの道徳」批判13。「家族の幸せ」w。人生最大の幸福は一家の和楽(野口英世)。その「家族の幸せ」を粉々にした原発を今も推進し、大事な娘を過労死させたワタミ会長を自民党国会議員にして、日本中を不幸せにしているのは一体誰か!ここまで来たらもはやブラックジョークですらない。
「私たちの道徳」批判14。「郷土愛、愛国心」が聞いて呆れる。原発で郷土の自然も住民の安全と暮らしも破壊し、TPPで国内産業も医療も教育も破壊しといて。「外国文化を大切にし世界の人々と親善交流」も同様に。「良い韓国人も悪い韓国人も皆殺し」を掲げる差別デモを散々黙認しといて今更何を。
以上、「私たちの道徳」を主に小学校高学年用の構成表(学習指導要領)に沿って見てきたが、要するに(1)現実から遊離した抽象的な建前だけを、(2)上から目線で観念的に押し付けて来ているだけ。子供を単に調教の対象としてしか見ていないから、人権も人間も不在の教育内容にしかならないのだ。
こんな道徳教科書では学校から虐めも絶対に無くならない。こんな教科書では「みんな仲良く」の建前論しか語れず。それでは「相手にも非がある」と言われればもうそれまで。「たとえ相手に非があろうとなかろうと、人権侵害の虐めなぞ絶対に許さない」と、そこまで教えなければ虐めなぞ無くならず。
「私たちの道徳」批判ダメ押し。君が代・愛国心強制の橋下公募区長・校長が揃いも揃ってセクハラ・パワハラ常習者なのもw。安倍も無関係とは言わせない。第1次政権時の取り巻きもこれらの輩と五十歩百歩。女性を慰安婦扱いして批判されても相手は只の売春婦と居直る様な奴等ばかりじゃないか。