JR久留里線乗り鉄レポート(初日、2日目)の記事に続き、周辺観光地を巡った記録も少し書きます。しかし、初日は雨にたたられ、実際に回れたのは2日目だけです。特に初日は雨で靴や靴下がびしょびしょに濡れてしまった為に、乗り鉄レポート以外は、久留里駅前の名水広場と酒ミュージアム(旧・久留里観光交流センター)を見学しただけで終わりました。
久留里は名水の里として知られ、町中の至る所に自噴する井戸が散らばっています。その名水を利用して醸造業が栄えました。駅前の酒ミュージアムも昔の酒蔵を転用したものです。紅葉シーズン限定の久留里線増発便(通常は久留里止まりの便も全て上総亀山行きとなる)のダイヤも、この酒ミュージアムでようやく入手する事が出来ました。
その夜は上総亀山駅から徒歩20分ほどの場所にある亀山温泉ホテルに泊まりました。一泊2万6千円の所、「千葉とく旅キャンペーン」のおかげで5千円割引価格の2万1千円余りで済みました。それでも高額には違いありませんが。たまには骨休めにそんな「贅沢」も必要です。その上、3千円のクーポン券までもらって感謝感激。但し、このクーポン券については後述するように、疑問も感じました。
そして何よりも、雨でびしょびしょになった私の靴や靴下を、ホテル従業員の方がボイラー室で乾かしてくれて助かりました。もし、このご厚意がなければ、2日目の旅行は諦めなければならないところでした。夜は久しぶりにホテルの大浴場でゆっくりくつろぐ事が出来ました。
2日目は亀岩の洞窟(濃溝の滝)を観て来ました。朝6時にホテルの送迎マイクロバスで現地に移動。洞窟の上部の岩が下の水面に映り込んでハート型の形になるのは一年中でも僅かな期間なので、残念ながら私が行った時はただの洞窟内の滝壺でしかなかったです。それでも荘厳な雰囲気が辺り一面に醸し出されていました。
この洞窟は、実は自然に出来た物ではなく、人間の手で作り出された物です。山がちな房総半島内陸部で、少しでも耕地を広げようと、曲がりくねった川を短絡する為に、トンネルで山に穴を開け、そこに川を通しました(「川廻し」)。そして、元の河道を水田にして、新しい川の水を用水路に引き入れたのです。短絡された河道には、トンネルの入口と出口で標高差が出来ますから、そこに急流が生まれ、滝が出来ました。それが「農溝の滝」です。現在、旧河道は自然公園の遊歩道として整備されています。
残念ながら、くだんの洞窟・滝のハート型の写真は撮れませんでしたが、他の場所で、それに類する写真が一杯撮れました。朝早く出掛けたので、ホテルの周りのダム湖(亀山湖)にも朝もやが立ち込め、荘厳な雰囲気を醸し出していました。朝日が雲の切れ目から覗いていて、それがまるで洞窟から差し込む光のように見えたり。朝日がダム湖の水面に反射して、太陽が2つ現れたように見えたり。
亀山湖にも小さな滝が注いでいて(分かりにくいですが上の写真の右側にあります)、その横には綺麗な地層が浮かび上がっていました。そう言えば、ここからさほど遠くない養老渓谷にも、同じ様に地層が浮き出た所があり、「チバニアン」と命名され新たな観光地になっているそうな。亀山湖に浮かぶ鳥居も人工物だそうです。昔はここに出羽三山詣の鳥居(亀山水天宮)がありましたが、ダム建設で水没する事になり、それを憐れんだ地元の方の尽力で、新たに水面に鳥居が建てられるようになりました。こんな素晴らしい所が上総亀山駅から徒歩圏内に広がっているのです!
この周辺にも見所が多数あります。あるどころか多過ぎてとても回り切れません。その一つ一つが結構離れていて、マイカーでしか行けない所ばかりです。最近でこそ、この地域は「奥房総」と呼ばれるようになり、「房総半島に残された最後の秘境」として、脚光を浴びるようになりました。それでも、鉄道も高速道路も、房総半島海沿いの既存のリゾートと東京・横浜を結ぶルートが未だにメインで、「奥房総」の観光地には不便なルートでしか行けません。さらに奥房総から他の奥房総の観光地に向かうには、もうタクシーを使うしかありません。
例えば、亀山湖と養老渓谷は、同じ山一つ越えた向かい側にある観光地ですが、山越えのバス路線はありません。君津市が補助するデマンドタクシーも、君津市内なら予約すれば500円でどこにも行けますが、君津市外の養老渓谷には行けません。片道4〜5千円もする一般のタクシーを手配しなければ行けないのです。
その中で、もしJR久留里線が、今の上総亀山止まりではなく、山を越えて上総中野にまで到達していたら、どれだけ便利になっていたでしょうか?上総中野からは小湊鉄道で養老渓谷や千葉市・市原市方面にも出る事が出来ます。同時に、いすみ鉄道で大多喜・大原方面にも出る事が出来るのです。
今までは亀山湖から上総中野に行く人は余りいませんでした。奥房総の観光地がほとんど知られていなかったからです。でも今は違います。亀山湖も笹川湖も、七里川渓谷も養老渓谷も、週末ともなれば大混雑です。当初の予定通り、久留里線と木原線(現・いすみ鉄道)が繋がっていたら、どれだけ便利になっていたか。
高速道路は大都市間や、大都市と観光地を結ぶだけなので、繁栄するのは末端の大都市と観光地、後は途中の「道の駅」だけです。既存の鉄道沿いの市町村は、逆に観光客を奪われ寂れる一方です。その寂れ方たるや凄まじいものがあります。昔は賑わっていたであろう地方都市の駅前が、今やどこも軒並みシャッター街と化してしまっています。日中でも営業しているのはコンビニとパチンコ屋だけ。今やそんな駅前商店街がどんどん増えています。
その中で、東京アクアラインに高速道路だけでなく鉄道も通し、瀬戸大橋のようにしていたら、一体どれだけ駅前商店街が潤うでしょうか?東京・横浜・川崎から鉄道一本で、木更津や久留里の城下町、亀山湖や大多喜町、養老渓谷にも行けるようになるのです。こうしてこそ、初めて末端の大都市や観光地だけでなく、中間の市町村や観光地も潤い、過疎化や高齢化に歯止めをかける事が出来るようになるのではないでしょうか。
ところが、いざ現地に来るまでは、そんな事は全然分かりませんでした。書店で売っているガイドブックにも、詳しい事はほとんど載っていませんでした。紅葉シーズンには久留里線の末端区間も、ほぼ1時間に1本ぐらいまでダイヤ増発となる事も、現地に来て初めて知る事が出来ました。くだんの御用学者はこの末端区間を「お荷物扱い」しましたが、私に言わせると、まさに「宝の山」そのものでした。
何故、政府はJR久留里線のサービス向上に金をかけなかったのか?金持ちの事しか眼中になかったからです。ゼネコンや自動車メーカー、大手の旅行会社やビジネスマン、外国の大金持ちの観光客の事しか眼中になかったからです。だから、彼らさえ儲かれば良いので、新幹線や高速道路ばかり作って、既存の在来線や生活道路の整備は全て後回しにして来たのです。水道管など生活インフラの整備も全て後回しにして来たのです。
「JR久留里線の末端区間は、100円稼ぐのに1万5千円以上も経費がかかる。無駄だから廃止してしまえ」と、くだんの御用学者は言いました。本体のJR東日本は、新幹線で膨大な利益を上げながら。その新幹線建設の陰で、並行在来線は新幹線経営の邪魔だと、まだ利用客が大勢いるのに一部区間の廃止まで強行して(信越本線の碓氷峠区間)、更なる地方の過疎化や高齢化を招いた責任は不問にしながら。
JR久留里線も、その御用学者の意向で、どんどん末端区間のダイヤを削減し、今や9時台の列車に乗れなければ、次の14時台の列車まで5時間も待たなくてはならなくなってしまいました(紅葉シーズンだけ増発)。だから、亀山湖や濃溝の滝に向かう観光客も、東京や横浜から東京湾アクアライン・房総スカイライン経由で乗り換えなしに行ける高速バスに流れ、JR久留里線には乗らなくなったのです。これでは木更津駅前や久留里の城下町は寂れる一方です。
しかし、そんなに「無駄」がお嫌いなら、何故、皇族しか利用しないJR原宿駅のお召し列車専用ホームを廃止しないのか?皇族しか利用しないお召列車や、都心の一等地を占領してビタ一文の利益も生まない皇居には手を付けないのか?強い者や権力者には何も言えないのです。だから、その鬱憤を弱い者虐めで晴らすしか能がないのです。
それが証拠に、この手の御用学者が槍玉に上げるのは、常に福祉予算や地方の赤字路線ばかりです。米軍の思いやり予算や、事故ばかり起こす「未亡人製造機」オスプレイ、新たに790億も追加負担額が増えた大阪万博予定地の埋立、大企業優遇税制、政党助成金などの壮大な無駄には一切手を付けようとはしません。そちらの方が、JR久留里線の赤字額なんかよりも、はるかに膨大な「無駄」をまき散らしているのに。
JR富山港線も昔は無駄な赤字路線の筆頭に上げられていました。でも、富山駅の高架化を機に、在来の路線をLRT化し、既存の市電網と繋げ、ダイヤも1〜2時間に1本の不便な物から、15分に1本の使い勝手の良い物に変えた途端に、赤字から黒字に豹変しました。今や、富山港線は、JRから路線を引き継いだ富山地方鉄道のドル箱路線に生まれ変わっています。
JR久留里線の末端区間も、盲腸線のまま不便なダイヤに捨て置かれたから、今でも赤字を垂れ流し続けているのです。これがもし、東京湾アクアラインに鉄道を通して、東京圏と房総半島を結びつけ、奥房総の観光地にも気軽に行けるようになれば、この路線も黒字路線に豹変する可能性は大きいと、私は思います。
最後に、「千葉とく旅キャンペーン」のクーポン券について。あれで本当に地域の商店や企業が潤うのか?私は疑問に感じました。クーポン券は旅先の買い物にしか使えません。マイカーで旅行するならそれでも良いでしょう。でも、私のように電車・バスでしか旅行できない人にとっては、荷物は出来るだけ少ない方が良いのです。かさばる土産物は最終日に旅の最終地点で買うしかありません。帰りの高速バスや新幹線の時間を気にしながら、最後の「道の駅」やコンビニで、適当に買い物を済ますしかありません。そんな「ただ慌ただしいだけの、適当な買い物」で、本当に地域の商店や企業を応援できるでしょうか?
そんな取って付けたような販促キャンペーンに税金を投入するぐらいなら、亀山湖のレンタサイクルやデマンドタクシーも「千葉とく旅キャンペーン」で安く乗れるようにして欲しかったです。JR久留里線の増発ダイヤも、大阪にいる間に確認出来るように、もっと宣伝に力を入れて欲しかったです。久留里線内の謎解きゲーム(キーワード探し)も、終日フリー切符とセットで勧めて欲しかったです。増発しても1時間に1本しかないダイヤの合間を縫って、下車するたびに運賃払い、乗車するたびにまた運賃を払わなければならないようでは、時間と金に余裕のある人しかゲームに参加できません。もっと一般庶民の立場に立ったキャンペーンを推進して下さい。
今回の記事も読ませてもらいました。
(引用はじめ)
しかし、そんなに「無駄」がお嫌いなら、何故、皇族しか利用しないJR原宿駅のお召し列車専用ホームを廃止しないのか?皇族しか利用しないお召列車や、都心の一等地を占領してビタ一文の利益も生まない皇居には手を付けないのか?強い者や権力者には何も言えないのです。だから、その鬱憤を弱い者虐めで晴らすしか能がないのです。
それが証拠に、この手の御用学者が槍玉に上げるのは、常に福祉予算や地方の赤字路線ばかりです。米軍の思いやり予算や、事故ばかり起こす「未亡人製造機」オスプレイ、新たに790億も追加負担額が増えた大阪万博予定地の埋立、大企業優遇税制、政党助成金などの壮大な無駄には一切手を付けようとはしません。そちらの方が、JR久留里線の赤字額なんかよりも、はるかに膨大な「無駄」をまき散らしているのに。
(引用終わり)
この引用部分でわかるのは、
「たたかれるのはいつも社会の『下』ばかり」
だということです。
「下」ばかりが倹約を求められる
「下」ばかりが品行方正にしなければならない
そして「下」は「上(上級国民)」に逆らってはならない…
こんな社会に憤りを覚えるとともに、こんな社会を変えようとするとこれまたたたかれる日本の社会構造に「学習性無力感」を覚えてしまいます。
ところで、ぶた猫さんはじめ、いつも訪れてくれる読者さんに、今回はちょっと残念なエピソードを披露します。
久留里駅で、停車時間の合間に、駅員の方に、応援のつもりで「私も久留里線廃止には反対です!」と声をかけたのですが…。肝心の駅員の方の反応が「はあ?それがどうかしましたか?」みたいな感じだったので、肩透かしを食らったようで、正直落胆しました。
これが他のローカル私鉄なら、どの会社も程度の差はあれ、「応援有難うございます!」とか「昔は結構賑わっていたのですがねえ…」など、その方の思い入れみたいなものがこちらにも伝わって来たのに。ここでは「我関せず」みたいな反応しか返って来ませんでした。
やはり民間(第三セクターも含む)とは違い、JR社員は当該線区が廃止になっても他の線区に異動になるだけなので、廃止に対する危機感が薄いのでしょうか?
勿論、ローカル線の赤字は社員個人の責任ではありません。それまでの新幹線や高速道路優先、在来線軽視の交通政策を進めて来た国や、それに迎合して来た国鉄・JR当局の責任です。
でも、その点も踏まえた上で、それでも自分の生活もかかっているのですから、社員自身も、もっと当事者として、「廃線になって残念だ」とか、「こうしたらもっと乗客が増えるのではないか?」という発言が返って来ると思っていたのですが…。
現にこれまで訪れたローカル私鉄では、大なり小なり、そんな感想が返って来ていたので。でも、JR久留里線では、そんな雰囲気は余り感じられませんでした。
勿論、駅には「乗って残そう」みたいな宣伝パンフレットも多く置かれていましたが。幾ら行政サイドが鉄道存続に力を入れても、肝心の社員が「笛吹けども踊らず」では…。「折角、キーワード探しの各駅訪問ラリー企画を利用客に呼びかけておきながら、肝心の1日フリー切符は用意せず」みたいな、他の第三セクターでは考えられないような対応に出くわしたのも、親方日の丸(親方JR)みたいな感覚が、今もJR社員の間に残っているからではないでしょうか?