アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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もう1つの9/11

2013年09月11日 19時24分58秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか
クリエーター情報なし
八木啓代


 そう言えば今日9月11日は、12年前の2001年にニューヨーク・テロが起こった日だ。あのテロは、このブログが出来る最初のきっかけともなった大事件だった。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/ccd4fd5039a5023fc98f80dc53d55b2a
 同時に、今から40年前の1973年に、南米チリでピノチェトによる反革命クーデターが起こった日でもある。911と言えば、中南米では寧ろこのクーデターの事を指す。この日を境に、中南米では更なる軍事独裁と弱肉強食の政治が猛威を振るう事になった。それから数々の紆余曲折を経て、今や中南米の人民は、過去の独裁と弱肉強食の政治から決別し、新たな道を歩み始めている。
 勿論、今後も紆余曲折はあるだろう。チリでは再び右派政権が返り咲き、米国の尻馬に乗ってTPPを主導している。そういう意味では、表面上は自民党の政権帰り咲きを許した日本ともよく似ている。

 しかし日本では、今のチリとは比べ物にならないほど、政治も社会も衰退してしまった。1973年当時とは比べ物にならない程、政治の右傾化や腐敗が進み、昔では考えられなかったほどの格差社会に変貌してしまった。そして、福島原発事故からも何も学ばず、誰も事故の責任を取ろうともしないで、原発を推進しようとしている。かつてチリでは歌が弾圧されたが、今の日本では漫画が弾圧されようとしている
 これでは一体どちらが「発展途上国」か分からない。それどころか、日本はもはや「発展」ではなく「衰退」に向かっているのではないだろうか。このままでは、世界の進化から取り残された「ガラパゴス」「極東のコソボ・イスラエル」「核とネトウヨ・新自由主義のゴミ捨て場」と化してしまうのではないか。以下、「Democracy Now!」のサイトから転載する。


もう1つの9/11:1973年9月11日 米支援のピノチェトがチリの実権を握った日

チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。今ではそれが全世界に拡大していますが、今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。

この放送では、この40年前のクーデターの生き残りが、この事件を歴史に風化させることなく司法の前に引きずり出そうとしたことに視点を当てます。アジェンデ大統領の側近だったフアン・ガルセスは故郷のスペインにもどり、20年後にピノチェト将軍を人道に対する罪でスペインの裁判所に提訴しました。スペイン当局は、医療措置のために英国に滞在していたピノチェトの身柄引き渡しを英国政府に要求し、その後一年近くもピノチェトの送還をめぐって外交的な綱引きがありました。

ガルセスの訴えを取り上げたのが有名なスペインの判事バルタサール・ガルソンです。人道に対する犯罪を犯しても、米国政府がバックについていれば犯罪人が大手をふるって歩き回る状況に待ったをかけ、国際的に大喝采を浴びました。しかし、国内には敵も多く、特にスペインのフランコ独裁時代に2万人もの市民が行方不明になったという、タブー視されていた国家による犯罪の問題を取り上げたために大きな反発を受け、スペインで判事の資格を停止されていまいました。現在はジュリアン・
アサンジの弁護団の中心人物として大活躍していますが、一貫しているのは国家によるテロを許さないという姿勢です。放置すれば、また同じことが繰り返されるからです。

これは今の日本でもとても大事なことです。国家による司法の捻じ曲げや弾圧をうやむやにしておいては、後日の暴走を許し、さらに大きな犯罪や民主主義そのものを脅かす事態になりかねません。1970年代前半のチリはスペイン語圏の中では最も民主的な国であり、クーデターは予想もしない事件だったとガルセスは証言しています、「裁判所というものは、ときに法律の適用をしぶることがある。民主主義とは毎日の闘いです。闘わなければ法律は紙切れだ」というのは、なかなか重い言葉に響きます。

さて、チリのクーデターと言えば、歌手のビクトル・ハラが虐殺されたこともよく知られています。日本の検察の暴走をめぐってジャンヌ・ダルクのような活躍をしているラテン歌手の八木啓代さんが、このほど『禁じられた歌 ビクトルハラはなぜ死んだか』という作家デビューの本をアマゾンのKindle版で再刊されました。http://ow.ly/hHPkq 現在の日本と1973年のチリをつなぐものを明らかにした、おすすめの本です。デモクラシー・ナウ!の「かわら版6号」のコラムにも、八木さんの活動の原点ともいえるこの本に対する思いを寄稿していただきました。(中野真紀子)
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1 コメント

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余り悲観主義になるのも良くないかも (プレカリアート)
2013-09-12 22:05:55
昨日911に南米チリのピノチェト反革命クーデターへの抵抗の歴史に想いを馳せる記事をブログに書いた。南米では過去の遺物と化した新自由主義が日本では依然としてのさばっていると。しかしその日本でも、維新凋落という形で、確実に歴史は進歩している。堺市長戦や安倍リストラとの闘いが我々にとってのボリビア水戦争だ。
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