※画像解説:
1月3日にイスラエル国内で行われた反戦デモ。
上はテルアビブ、下は北部のサクーニンでの様子。
(出典:週刊「前進」)
前号エントリー「転載:メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち」の最後で言及した、以下の内容について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
>90年代の湾岸戦争以降、ともすれば、米軍やイスラエルの側からの従軍報道ばかりが、メディアの中でやたら幅を利かせる様になりました。そんな中にあって、ややもすれば私たちも、知らず知らずのうちに、加害者も加害者も十把一絡げに「どっちもどっち」と捉えてしまう愚を冒しているのではないか、という想いがあります。
>パレスチナとイスラエルの戦いが、前者に対する後者の一方的簒奪にしか他ならないのに、それを恰も両者が対等な戦いであるかの様に、看做してこなかったか。まずは、それに対する自戒の意味も込めて、こちらに転載しました。
>しかし、だからといって、イスラエル全体を「悪魔の国」と決めつける立場には、賛成致しかねます。それでは、ブッシュによる「悪の枢軸」論の、裏返しでしかありません。
>ハマスも、反侵略・レジスタンスを言うのなら、シオニストに包囲されながらも、しぶとく反戦運動を展開している、イスラエル国内の左派・アラブ系市民との連帯を、何故模索しないのか? 国際連帯の視点を欠いたレジスタンスでは、ただの排外主義にしか為らないのでは。その言う事も含めて、考える上での素材として、上記論評の転載に踏み切った、というのもあります。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/2566e657f4f49d39dc56af266cb8d618
何故、上記の様な事を書くに至ったのかというと、「ガザ戦争で逆転する善悪」(田中宇の国際ニュース解説)の中で、田中氏が、今のハマスを、第二次大戦中のワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)蜂起の指導者モルデハイに準えて、「今のモルデハイはガザにいる」と述べているのを、目にしたからです。
曰く、ガザの近くに、モルデハイの名を記したキブツ(イスラエルの農業共同体村落)があるが、そのモルデハイの子孫が、かつてナチスがユダヤ人に対して行ったのと同じ事を、今度はパレスチナ人に対して行っている。今や、善悪の役どころは、完全に逆転してしまっている。モルデハイの抵抗精神を真に継承するのは、キブツのユダヤ人ではなく、イスラエルの占領と闘っているハマスである、と。
確かに、「かつての被抑圧者が、今や抑圧者として君臨している」というのは、全く以ってその通りなのだけれど、ではその現代の抑圧者と戦っているレジスタンス勢力(ハマス)も、イスラエル全体を「悪魔の国」と決めつけている限り、米国ブッシュの「悪の枢軸」論と、同じ立場でしかないのでは。それを克服しない限り、次にはハマスが、イスラエルと同じ役どころを演じる事にしかならないのではないか、と。
そういう思いもあって、先のML「メディアとイスラエルの共犯―」の内容を、ブログで取り上げました。
勿論、それが言うほど容易い事ではない事は、私にも充分わかります。それは、イスラエルの現代政治史を少し調べるだけでも、容易に想像がつきます。
イスラエルでは、1948年の建国以後、60年代までは、労働党を中心とするシオニスト左派が、政権を担ってきました。しかし、67年の第三次中東戦争を機に、リクードを中心とするシオニスト右派が、次第に勢力を拡大し、今やシオニスト左派との間で、政権交代を繰り返すまでに至っています。近年は、リクード分派で、一応中道派と目されているカディマが、それに加わり、今やイスラエルは、これら三大政党を軸に、それに国家宗教党などの右翼宗教政党が加わる形で、少数与党による連立政権が続いてきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB
この様に、表面上は「中東における民主主義のショーウィンドウ」として、「左右」拮抗・小党分立の議会政治が続いているかに見えるイスラエルですが、実権を握っているのは、あくまでもシオニストに限られ、しかもその中では、「絶えず右派が左派をせっついている」という構図が、垣間見えます。それ以外の、非シオニストの共産党系やアラブ系の政党も、独自の政治勢力を保持して、国会にも議席を有してはいますが、その影響力は未だ限られたものに留まっています。
現に、今回のガザ侵攻を行ったのも、シオニスト「左派・中道派」である筈の、オルメルト首相率いる労働党・カディマ連立政権なのですから。しかも、その侵攻の動機たるや、来る2月に予定されている総選挙に向けて、劣勢を伝えられる「左派・中道」政権が、右翼リクードに対する失地回復の為に、ハマスのロケット弾攻撃に託けて行ったものだと言うのですから、もう何をか況やです。
中東メディアが、「イスラエルでは左派もこの戦争を支持している」と抗議の声を上げたのも、当然の成り行きです。この一点で以ってしても、今回のガザ侵攻が、ハマスには何の非もない、完全なイスラエルによる侵略戦争である事は明らかです。
しかし、そんな中においても、イスラエル国民の中には、それまでのユダヤ・アラブの対立を乗り越え、互いに平等・対等な多民族・文化同士の共存による、新しい国造りを志向する動きも、根強く存在します。今回のガザ侵攻に際しても、少なくないイスラエル市民が決起し、人口700万余りの国の中で、10数万人以上が参加する反戦行動が取り組まれました。
最終的には、戦争翼賛の左右のシオニストや、それと「合わせ鏡」のイスラム原理主義者(ハマス)にではなく、先述の新しい国造りを志向する人々の手によってこそ初めて、イスラエル(パレスチナ)の地に、真の平和がもたらされるのではないでしょうか。
現状のままでは、仮に停戦協定が結ばれ、オスロ合意に基づく和平が機能したとしても、「ガラス細工の和平」に終わる可能性が大きいと思います。若し1967年以前の領域が復活したとしても、水資源豊かな平野部は全てユダヤ人が所有し、パレスチナ人は、依然としてヨルダン川西岸とガザに押し込められたままです。これでは、かつての南アのアパルトヘイトと、同じではありませんか。
それなら一層の事、従来のユダヤやアラブ、イスラエルやパレスチナの枠を超えた、今のインドや、アパルトヘイト廃絶後の南アフリカ、チトー時代のユーゴの様な、「万人平等の、イスラエルでもパレスチナでもない、白紙状態からの全く新しい国造り」を、寧ろ志向すべきではないのか。
第一次大戦後の西欧帝国主義の残滓ともいうべき三つの古証文(バルフォア宣言、フセイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定)や、それに基づく1947年の国連パレスチナ分割決議の内容など、この際全てチャラにしてしまえば良い。そして、イスラエルは1967年以前の領域に撤退し、領域外の入植地も全て撤去し、パレスチナ難民の帰還権も承認。他方でパレスチナ人や周辺アラブ諸国も、ユダヤ人の帰還権を承認。真実和解委員会(仮称)を設置し、これまで為されたあらゆる戦争犯罪に対して、真相究明と賠償を進める。
その上で「全く新しい国造り」に着手する。将来的には、もはやその方向でしか、イスラエル・パレスチナ紛争解決の道は無いのではないでしょうか。ハマスも、表向きの強硬姿勢とは裏腹に、イスラエルがガザに対する経済封鎖を解除し、67年以前の領域に撤退さえすれば、同国政府とも交渉を開始すると表明しているのですから、それは必ずしも実現不可能な目標ではないと思います。
【参考資料】
・メディアとガザ報道(DAYSから視る日々)
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html
・[AML 23638] <メディアとイスラエルの共犯―罠にはまっている私たち>
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-January/023097.html
・メディアとイスラエルは共犯か?(アルバイシンの丘)
http://papillon99.exblog.jp/10136791/#10136791
・【日記】きっこさん、これではだめだ、戦争は止められない!!!!(散策)
http://sansaku.at.webry.info/200812/article_13.html
・ハマスの内幕 イスラエルが育てた戦闘的イスラム主義運動(デモクラシー・ナウ・ジャパン)
http://democracynow.jp/submov/20070522-2
・イスラエル建国運動(シオニズム運動)
http://ww1.m78.com/topix-2/israel.html
・イスラエルの「建国」記念日でパレスチナは封鎖状態(パレスチナ情報センター)
http://palestine-heiwa.org/news/200505142234.htm
・イスラエル・パレスチナ双方の複雑なお家事情 パレスチナ、泥沼の意外な背景(All About)
http://allabout.co.jp/contents/secondlife_tag_c/politicsabc/CU20020418/index/
・イスラエル国内・テルアビブで1万人が反戦デモ(レイバーネット)
http://www.labornetjp.org/labornet/news/2009/1231343225954staff01
・MASSIVE DEMONSTRATION AGAINST THE WAR + ongoing protest(Gush Shalom)
上記レイバーネット記事の原文
http://zope.gush-shalom.org/home/en/events/1231029668
エフート・オルメルト様
イスラエル軍によるガザのハマス掃討攻撃によって、罪のないパレスチナの一般市民多数が巻き添えとなっていることは、大変遺憾であり、強く抗議します。イスラエル軍の攻撃規模は、もはや自衛行動の範囲を完全に逸脱し、たとえ防衛としても過剰防衛と言わざるを得ません。同時に、私たちは、ハマスによるイスラエル市民へのロケット攻撃も批難します。私たちは、あらゆる暴力行為に反対です。暴力の応酬は拡大し、たとえハマスを倒しても別の抵抗組織が生れ続けるのは明らかです。これ以上の犠牲者を出さず、真の和解と共生を実現するために即時攻撃を中止するよう要請いたします。
私たちは、世界の恒久平和を切に願い、人類が同じ人類に対して行った暴力行為の極限である「アウシュヴィッツ」の惨禍を通して「いのち」の尊さを学び伝える活動を行っています。アウシュヴィッツは、ナチス・ドイツによる戦争犯罪の極致であり、その犠牲者はポーランド民衆からはじまって、ナチス占領下のヨーロッパ諸民族、最終的には、圧倒的多数のユダヤ系市民の尊い命が奪われました。私たちは、アウシュヴィッツを全人類への警告として心に刻みながら、あらゆる戦争の根元、また、アウシュヴィッツの根元でもある「差別と偏見」を除去し、人種や文化、思想信条を異にする他者を尊重する社会の実現を目指しています。
「戦争の原因は私たちの心の中にある、戦争を防ぐには私たち自身の心の中に平和の砦を築かなければならない」というユネスコ憲章の精神に基づき、私たちはアウシュヴィッツの記憶を学び伝える博物館を通して平和推進活動を行っています。アウシュヴィッツ最大の犠牲者の子孫が、今や圧倒的に優位な武力によって、明らかに弱体である隣人の命を奪い続けていることを、アウシュヴィッツで亡くなった方々はどう思われるでしょうか?ガザへの攻撃を即時停止し、パレスチナ人との和解と共生に努めるよう重ねて要請します。
2009年1月1日
NPO法人アウシュヴィッツ平和博物館
理事長 山田正行
http://www.am-j.or.jp/090113israel.htm
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「ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士たちよ、ナチスに殺された我が祖母の死を隠れ蓑にするな」
ジェラルド・カウフマン卿
私は正統派ユダヤ教徒として、そして、シオニストとして育てられました。我が家の台所の棚には、ユダヤ民族基金のためのブリキの箱があって、そこに私たちは小銭を入れてはパレスチナにユダヤ人の存在感を築いている開拓者たちを支援していました。
私が初めてイスラエルを訪問したのは1961年で、そのあと行った回数は数え切れません。イスラエルには家族がいましたし、今でもイスラエルに友達がいます。その一人は1956年、1967年、そして1973年の戦争に従軍し、そのうち二回では、負傷もしました。私が今身につけているタイピンは、その友人に与えられた従軍勲章から作ったもので、彼から贈り物としてもらいました。
私は初代首相ダヴィド・ベン=グリオン以来、イスラエルの首相のほとんどと知り合いです。ゴルダ・メイアは私の友人でしたし、将軍として1948年の独立戦争のときにネゲブでイスラエル勝利を収めた副首相イガル・アロンも友人でした。
私の両親はポーランドから避難民として英国に来ました。両親の親族のほとんどがその後ホロコーストでナチスに殺されました。祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。
祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。
2、3日前のスカイ・ニュース[訳注1]で、イスラエル軍のスポークスパーソンの女性、レイボビッチ曹長が、イスラエル人がその時点で800人ものパレスチナ人を殺していることについて質問を受けていました。ちなみに今の合計数は1000人です。同曹長は即座に「そのうち500人は戦闘員です」と答えました。
それはナチスの兵士の答えそのものでした。ワルシャワ・ゲットーで命をかけて戦っていたユダヤ人たちは、戦闘員だということで無視されたことでしょう。
イスラエル外相ツィピー・リブニは、ハマースはテロリスト組織なので、政府は彼らとは交渉しないと主張しています。リブニ外相の父、エイタン・リブニは、テロリスト組織であるイルグン・ツバイ・レウミの最高運営執行官で、エルサレムのキング・ディビッド・ホテルの爆破を計画した人物です。その事件では4人のユダヤ人を含む91人が殺され犠牲となりました。
イスラエルはユダヤ人のテロリズムから生まれました。ユダヤ人のテロリストたちは二人の英国人軍曹を縛り首にし、その死体に地雷爆弾を仕掛けました。イルグンはテロリスト組織であるシュテルン・ギャングと一緒に、1948年にデイル・ヤーシーンの村で254人のパレスチナ人の大虐殺[訳注2]を行いました。今日、
現在のイスラエル政府は、好ましい状況ならばファタハのパレスチナ大統領アッバースとの交渉に応じるつもりがあることを示唆しています。それは手遅れというものです。彼らはファタハの前の指導者で私の友人でもあったヤーセル・アラファトと交渉することもできたはずです。それなのに、イスラエル政府はラーマッラーの掩蔽壕にアラファトを軟禁しました。私はその掩蔽壕まで彼を訪ねたものでした。
アラファトの死後、ファタハの権威が失墜したため、ハマースが2006年のパレスチナの選挙で勝利を収めました。ハマースは非常に面倒な組織ですが、民主的に選出され、パレスチナで力を持つ唯一の勢力です。ハマースをボイコットすることは、私たちの政府によるボイコットも含めて、間違いとして咎めるべきです。その間違いを端緒にして、恐ろしい結果の数々がひき起こされています。
私はかつてイスラエルの偉大な外相であったアバ・エバンと多くの政策で平和のために共闘したものでした。そのエバンが言っていました。「平和を築くためには、敵と話あうものだ」
ガザでどれだけ多くのパレスチナ人をイスラエルが殺したとしても、この実存的問題を軍事的手段で解決することはできません。いつ、どのような形で戦闘が終わろうとも、ガザには150万人のパレスチナ人がいて、くわえて西岸地域には250万人のパレスチナ人がいます。パレスチナ人は、イスラエル人からゴミのように扱われています。何百ヶ所にものぼる通行止めがあり、身の毛がよだつほど恐ろしいユダヤ人不法入植者から嫌がらせを受けています。そのうち、今から遠くない将来、パレスチナ人人口がイスラエルのユダヤ人口を上回るときが来るでしょう。
イスラエル政府に対し、同政府の行動および政策は許されないということを私たちの政府が明言し、イスラエルに完全な武器使用禁止令を命じるときがきました。平和を実現するときです。しかしそれは征服による解決ではなく、真の平和でなければなりません。イスラエルの本当の目的は征服による解決ですが、その達成は不可能です。彼らは単なる戦争犯罪者であるばかりではありません。愚か者です。
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/845
アミラ・ハス
歴史はカッサムロケットで始まったわけではない
歴史はカッサムロケットで始まったわけではない。だが、われわれイスラエル人にとって、歴史はいつでもパレスチナ人がわれわれを傷つけるときに始まる。そのため苦痛が、完全に状況から切り離されたものになってしまう。われわれはパレスチナ人に、もっともっと大きな苦痛をあたえれば、最後には彼らも教訓を学ぶだろうと考えている。ある用語でこれを「成果」という。
しかしながら、多くのイスラエル人にとっては、その「教訓」が抽象的なままだ。イスラエルのメディアはその消費者に、情報ひかえめ、真実ひかえめの、厳格な食事療法を処方している。軍司令部の人間とその仲間たちのことだけはたっぷり含まれた療法だ。それは慎み深く、自国が達成した成果を自慢することはない──つまり、殺害された子どもたちや、廃墟のなかで腐敗していくその遺体、自国の兵士たちが救急隊員を銃撃したため血を流しながら死んでいった負傷者たち、さまざまな型の武器によってひどい怪我をしたため脚を切断された幼い少女たち、打ちのめされて辛い涙を流す父親たち、跡形もなく消し去られた住宅地区、白燐による激しい火傷、そして小規模移転──自分の家から追い出された何千何万という人たち、そしてこうしているいまも追い出され、命令によって家屋密集地域へ押し込められ、その地域はさらに頻々と狭くなっていき、なおかつ絶え間ない爆撃と砲撃にさらされていること、それが達成した成果だ。
パレスチナ政府が樹立されてからというもの、イスラエルの広報活動装置は、パレスチナ人がわれわれに見せかける軍事的な威嚇の危険性をおおげさに強調してきた。彼らが石から小銃に、火炎瓶から自爆攻撃に、路上の爆弾からカッサムロケットに、カッサムからグラッドに、そしてPLOからハマスに移ったとき、われわれは大声をあげて「だからいったじゃないか。彼らは反ユダヤ主義者だって」といったのだ。かくして、われわれは凶暴な行動にでる権利を得たわけだ。
イスラエル軍の凶行を可能にしたもの──それを表現するための正確なことばが私の辞書には見つからない──それは、着実に進められたガザ地区の隔離だ。隔離はガザ住民を、名前もなく住所もなく、さらに歴史もない──武装した男たちの住所を例外として──抽象的なモノに変えた。シンベトの公安警察によって決定された日付は別として。
ガザ包囲は、ハマスがガザ地区の警備機関を掌握したときに始まったわけではない。それが始まったのはギラド・シャリット(イスラエル軍伍長)が拘束されたときでも、ハマスが民主的選挙によって選ばれたときでもない。包囲は1991年に始まった──自爆攻撃が開始される前のことだ。それ以来、包囲はさらに巧妙に洗練されたものへと変形されただけで、2005年にピークに達した。
イスラエル広報活動装置は手際よく、恥知らずに事実を軽視しながら、(ガザからの入植地)撤退を占領の終了であると発表した。隔離と封鎖は、軍事的必須事項だと発表した。しかし、われわれは成人した男女であり、「軍事的必須事項」と首尾一貫した嘘が、国家の目標に与するものであることを知っている。その目標とは、二国家解決案を巧妙に阻むことである。この解決案は、1990年、冷戦の終了時に世界がその実現を一度は期待したものだった。完全な解決案ではないにしろ、しかしパレスチナ人はそのとき、この解決案を受け入れる用意があったのだ。
ガザは、その隣にある、平和を愛する小国、イスラエルを攻撃する軍事力などではない。ガザは、イスラエルが1976年に、西岸地区ともども占領した一地区なのだ。そこに住む人たちはパレスチナ民族の一部であり、この民族がその土地と故国を失ったのは1948年のことだ。
1993年(オスロ合意)、イスラエルはたった一度、世界に対して、われわれについて語られていることは真実ではないと告げる、またとないチャンスを得た──つまり、イスラエルは生来の植民地国家ではないこと、一民族をその土地から追放し、人々をその家から追放し、ユダヤ人を入植させるためにパレスチナ人の土地を強奪することが、国家としての存在の基本でも本質でもないことを告げるチャンスを、である。
1990年代に、イスラエルは1948年がそのパラダイムではないことを立証するチャンスがあったのだ。ところがイスラエルはその絶好のチャンスを逃してしまった。代わりに、ひたすら、土地を強奪し、人々を住んでいる家から追放し、パレスチナ人を隔離した飛び地へと追い込んでいった。そしていま、この暗くおぞましい日々にイスラエルは、1948年は決して終わらないと立証しているのだ。
【転送・転載 歓迎】
http://esperanzasroom.blogspot.com/2009/01/blog-post_14.html
すみません教えて下さい。イスラエルのどこにそういう新しい国造りへの「動機」があるのでしょうか?
普通に国家の損得を考えれば時間をかけてだんだんとガザからパレスチナ人を追い出し、西岸にも入植地を基盤にして侵食していける、パレスチナをゆっくりとイスラエルで1国支配できる。
これになんの障害もない、アメリカからの資金援助を得て強力な軍隊を保持しつつ経済成長もできるし、国際社会からも大きな批判をあびる事もない。なぜ自らそんな損な新しい国を作らねばならないのか?
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2009/02/post-9ea5.html
mixi 志葉玲(シバレイ)コミュより転載
□■市民社会フォーラム第45回例会■□
ガザ この現実
「たたかうジャーナリスト」志葉玲・緊急報告会
2/20(金)@京都、21(土)@大阪&堺、22(日)@神戸
昨年末から22日間続いたイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃では、
子ども400人以上も含む1300人以上が死亡し、
停戦に至った現在でも、国境封鎖は解かれておらず、
150万の人々は恐怖の日々を過ごし、水や食料、医薬品が不足しています。
国際人道法に反するガザ攻撃の被害について、
現地取材したフリージャーナリスト・志葉玲さんの緊急報告会を、近畿4都で開催いたします。
どなたでも予約なしにご参加いただけます。
★京都会場
日 時 2月20日(金)18:30(18:00開場)~21:00
会 場 伊藤塾京都校
http://www.itojuku.co.jp/19sch_kyoto/map/245.html
地下鉄四条駅・阪急烏丸駅22番出口を北に5分、
地下鉄烏丸御池駅6番出口を南に5分、烏丸通り沿い
京都市中京区烏丸通蛸薬師上る七観音町635 からすまビル3階
TEL:075-211-0601
★大阪会場
日 時 2月21日(土)14:00(開場13:30)~16:30
会 場 浪速人権文化センター小ホール
http://www.ochra.or.jp/jinbun/naniwa/index.html#
JR大阪環状線「芦原橋駅」下車すぐ
大阪市浪速区浪速東1-9-20 TEL:06-6568-0791
★堺会場
日 時 2月21日(土)18:30(開場18:00)~
会 場 創造空間BOX1-6
http://vpress.la.coocan.jp/sakaitizu.html
南海高野線「堺東駅」7分
堺市堺区市之町東6-1-24 tel/fax072-227-6123
※堺会場は定員20人なので、要事前申込制
上記会場かメール civilesocietyforum@gmail.com まで
★神戸会場
日 時 2月22日(日)14:00(開場13:30)~16:30
会 場 葺合文化センター会議室202
http://www.kobe-bunka.jp/facilities/fukiai/
阪急「春日野道駅」下車、徒歩約7分
神戸市営地下鉄「新神戸駅」下車、徒歩約8分
市バス90・92系統「雲中小前」下車、徒歩約3分
タクシー(三宮)から約6分
神戸市中央区旗塚通4丁目4-1 TEL:078-242-0414
■参加協力金(資料代含む) いずれの会場も500円
■志葉玲(しば れい)さんプロフィール
1975年東京生まれ。大学卒業後、番組制作会社を経て、
2002年春から環境、平和、人権をテーマにフリーランスジャーナリストとしての活動を開始。
2003年のイラク戦争で、「人間の盾」として滞在しながら民間人の空爆被害を取材したのをはじめ、
頻発する自爆攻撃や、米軍の「テロ掃討作戦」によるイラク市民の被害、自衛隊の活動などについて取材しつづける。
著書 に『たたかう!ジャーナリスト宣言―ボクの観た本当の戦争』(社会批評社、2007年) 。
志葉玲さん公式サイト http://reishiva.jp/
主催・お問い合わせ先 市民社会フォーラム
メール civilesocietyforum@gmail.com
共催 平和の井戸端会議 http://blogs.yahoo.co.jp/yuubokuminn2003
神戸ラブ&ピース
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zames_makiさんへ
>すみません教えて下さい。イスラエルのどこにそういう新しい国造りへの「動機」があるのでしょうか?
上記のご質問ですが、今ここに現時点での私のお返事を書いても良いのですが、私自身も、この問題については、もう少し掘り下げて考えてみたいと思っていますので、上記「報告会」に参加した後で、報告を兼ねてお返事差し上げたいと思います。そういう事ですので、申し訳ないですが、今暫くお待ち下さい。
※それにしても、イスラエル総選挙での右派躍進のニュースを聞くと、下馬評通りとは言え、やはり暗澹とした気分になります。「ブッシュの嘘」と同様に、たとえ時間がかかっても、真実が明らかになれば良いのですが・・・。