ブログ読者のまことさんが先日コメントで紹介してくれた、日本テレビ系列番組「NNNドキュメント'07」の1月28日放送分「ネットカフェ難民―漂流する貧困者たち」を、我ながら身につまされる思いで見ました。
番組では、失業して家賃滞納で今までの住処も追い出された若者が、深夜のネットカフェでつかの間の仮眠を取りながら、ネットや携帯で日払いの仕事を必死で探す姿を映し出していました。出来るだけ外で時間を潰して、ネットカフェは最低限の睡眠を確保するためだけ利用する。シートの上で海老の様な形で窮屈そうに寝ている20歳代の女性。そんな所で寝てもまともに眠れる訳がありません。普段は1時間100円の格安料金のカフェで仮眠を取り、数日に一度は身体を洗う為にシャワー付きのカフェに入る。後は体臭がきつくなればオーデコロンで誤魔化す。そういう若者の姿を追っていました。「そんな事をしていたら仕舞に死ぬぞ」。一瞬そういう思いが頭の中をよぎりました。
その若者たちも、一見しただけでは普通の若者と何ら変わらず、ホームレスであるとは誰も気が付きません。オマケにインターネットや携帯が命綱の役割を果たしていると言う。
私は実を言うと、いくらインターネット時代の世の中と言えども、ネットを利用出来るのはまだまだ相対的に恵まれた層だと思っていました。そして、そういう「勝ち組」がネットウヨクを構成して、金と暇に物を言わせてネット空間を占有して、ヘイトスピーチを垂れ流していると思っていました。
又その一方で、「今は民衆全体がバラバラにされアトムと化して漂っている」「ネットウヨも大部分は下流階層で、彼らは体制側の情報操作にうまく乗せられてしまっている」「そういう状況を変えていく為には、左派も自己変革を遂げなければならない」という事も自分なりに分ってはいるのですが、それでも「あいつらの好き勝手にさせて堪るか」という想いがどうしても先に立ち、得てして「対抗言論」に傾斜しがちになるという、そういう複雑な気分でいました。
ホームレスと化した若者が、外見上は普通とそんなに変わらない姿で街を歩き(近づいてよくよく見ると普通以上に疲弊しているのが分るのだが)、ネットや携帯を命綱として利用している。
しかしそれで職に就くのは難しく、就けたとしても履歴書の要らない日払い・日雇い労働ばかり。住所不定が足枷となって、まともな定職には就けないのです。そういう現場ではピンハネや中間搾取、各種の違法労働が蔓延しているのですが、文句を言うと即食い扶持に困るので、涙を呑んで従うしかない。それで1日6千円~1万円弱の日当を稼いで、金が尽きるまでネットカフェで次の職を探す。どうにか食っていくのだけで精一杯で、100円貯めるのも至難の業(こちとら月収平均18万円の私でも、貯金するのにはそれ相応の苦労が要るのに)。
一度ネットカフェの住人になってしまったら、なかなか其処からは這い上がれない。その辺は旧来の寄せ場や都会の雑踏、公園のホームレスとも本質的には全く同じです。
ただ今までと大きく異なるのは、そこにまでネットが介入してきているという、従来では見慣れなかった現象がそこにある事です。ネットツールの命綱にギリギリまで頼って、綱が切れたらそれが命の切れ目となる。ホームレスと勤労者の境界がはっきりしなくなっている。ネットとホームレスという両極端なものが隣合せにあって、その間に中間過程やクッションが全然無い。そういう、旧来のホームレス像やネチズン像だけでは捉えきれない現実(これが現代的貧困なのだろうか?)が目の前に広がっている事を知って、我ながら慄然としました。
そう言えば、大阪・難波の或る24時間営業のネットカフェには、ブースのあちこちに次の様な注意書きが掲示してあるのを思い出しました。「当店は宿泊所ではありません、シャワーはありますが宿泊用ではありません、泥酔者・入墨者・体臭のきつい方の利用はご遠慮願っています、所持金不足には厳しい態度で臨みます」と。私は最初それを見て、「都会のカフェは世知辛いなあ」としか思いませんでした。しかし、この番組を見てからは、「それはそれだけでは終わらない」という事に気が付きました。
番組は又、そういう若者をターゲットにする「貧困ビジネス」の事も取り上げていました。今まではサラ金・街金が貧困者を食い物にするそういう商売の代表例でしたが、最近はそれに加えて、身元保証代行会社(入居保証契約を結んで賃借人から保証料を徴収し、家賃滞納時には家主への代位弁済と引き換えに賃借人から取り立てる)や、エム・クルーのレストボックスの様な「現代のタコ部屋」とも言うべきものが、国の経済規制緩和の波に乗って、法規制の隙間をつく形で広がっていると。
ITツールを使いこなしている点では先進国に固有の現象であり、目に見える戦争や政治犯強制収容所の存在こそ無いものの、置かれた精神的状況はもう北朝鮮やイラク、アフガン、ソマリアの難民と同じではないか。これでは現代日本のコッチェビではないか。現代日本のタコ部屋や偽装請負の現場は、北朝鮮からロシアへの過酷な出稼ぎ労働や中国・広東省辺りのスウェット・ショップと、本質的には何ら変わらないではないか。
北朝鮮や中国の人権問題を取り上げるのは良い。しかし、そう言っている当人たちが、こと当の日本国内でやっている政治は一体何なんだ。それを拙ブログでは何度も何度も問題にしてきた。それを等閑にしておいて何が「美しい国」か。
「法人税減税・消費税増税」「WE導入・過労死は自己責任」なんてほざいている安倍や御手洗が、「卒業式は言うに及ばず、入社式にも国旗掲揚・国歌斉唱を」と臆面も無くの給う。石原に至っては「公費を使って料亭・ホテルで会食、しかも1食50ウン万円」とな。余りにも人をバカにした話ではないか。ネットカフェ難民の様に、1食200円の"のり弁当"を夜食と翌日の朝食に分けてやり過ごす生活を、最低3日は続けてみたらどうか。小泉や武部も、1ヶ月の最低賃金(月収約11万8千円に相当)だけの生活を、最低でも丸1年、チルドレンたちに体験実習させてみるべきだ。これらの政治家に対しては、そこまでさせなければ庶民の生活など理解できないのではないか。
・NNNドキュメント'07
http://www.ntv.co.jp/document/
・「格差」ではなく「貧困」の議論を 漫画喫茶などで暮らす生活困窮フリーター(OhmyNews)
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001938
番組では、失業して家賃滞納で今までの住処も追い出された若者が、深夜のネットカフェでつかの間の仮眠を取りながら、ネットや携帯で日払いの仕事を必死で探す姿を映し出していました。出来るだけ外で時間を潰して、ネットカフェは最低限の睡眠を確保するためだけ利用する。シートの上で海老の様な形で窮屈そうに寝ている20歳代の女性。そんな所で寝てもまともに眠れる訳がありません。普段は1時間100円の格安料金のカフェで仮眠を取り、数日に一度は身体を洗う為にシャワー付きのカフェに入る。後は体臭がきつくなればオーデコロンで誤魔化す。そういう若者の姿を追っていました。「そんな事をしていたら仕舞に死ぬぞ」。一瞬そういう思いが頭の中をよぎりました。
その若者たちも、一見しただけでは普通の若者と何ら変わらず、ホームレスであるとは誰も気が付きません。オマケにインターネットや携帯が命綱の役割を果たしていると言う。
私は実を言うと、いくらインターネット時代の世の中と言えども、ネットを利用出来るのはまだまだ相対的に恵まれた層だと思っていました。そして、そういう「勝ち組」がネットウヨクを構成して、金と暇に物を言わせてネット空間を占有して、ヘイトスピーチを垂れ流していると思っていました。
又その一方で、「今は民衆全体がバラバラにされアトムと化して漂っている」「ネットウヨも大部分は下流階層で、彼らは体制側の情報操作にうまく乗せられてしまっている」「そういう状況を変えていく為には、左派も自己変革を遂げなければならない」という事も自分なりに分ってはいるのですが、それでも「あいつらの好き勝手にさせて堪るか」という想いがどうしても先に立ち、得てして「対抗言論」に傾斜しがちになるという、そういう複雑な気分でいました。
ホームレスと化した若者が、外見上は普通とそんなに変わらない姿で街を歩き(近づいてよくよく見ると普通以上に疲弊しているのが分るのだが)、ネットや携帯を命綱として利用している。
しかしそれで職に就くのは難しく、就けたとしても履歴書の要らない日払い・日雇い労働ばかり。住所不定が足枷となって、まともな定職には就けないのです。そういう現場ではピンハネや中間搾取、各種の違法労働が蔓延しているのですが、文句を言うと即食い扶持に困るので、涙を呑んで従うしかない。それで1日6千円~1万円弱の日当を稼いで、金が尽きるまでネットカフェで次の職を探す。どうにか食っていくのだけで精一杯で、100円貯めるのも至難の業(こちとら月収平均18万円の私でも、貯金するのにはそれ相応の苦労が要るのに)。
一度ネットカフェの住人になってしまったら、なかなか其処からは這い上がれない。その辺は旧来の寄せ場や都会の雑踏、公園のホームレスとも本質的には全く同じです。
ただ今までと大きく異なるのは、そこにまでネットが介入してきているという、従来では見慣れなかった現象がそこにある事です。ネットツールの命綱にギリギリまで頼って、綱が切れたらそれが命の切れ目となる。ホームレスと勤労者の境界がはっきりしなくなっている。ネットとホームレスという両極端なものが隣合せにあって、その間に中間過程やクッションが全然無い。そういう、旧来のホームレス像やネチズン像だけでは捉えきれない現実(これが現代的貧困なのだろうか?)が目の前に広がっている事を知って、我ながら慄然としました。
そう言えば、大阪・難波の或る24時間営業のネットカフェには、ブースのあちこちに次の様な注意書きが掲示してあるのを思い出しました。「当店は宿泊所ではありません、シャワーはありますが宿泊用ではありません、泥酔者・入墨者・体臭のきつい方の利用はご遠慮願っています、所持金不足には厳しい態度で臨みます」と。私は最初それを見て、「都会のカフェは世知辛いなあ」としか思いませんでした。しかし、この番組を見てからは、「それはそれだけでは終わらない」という事に気が付きました。
番組は又、そういう若者をターゲットにする「貧困ビジネス」の事も取り上げていました。今まではサラ金・街金が貧困者を食い物にするそういう商売の代表例でしたが、最近はそれに加えて、身元保証代行会社(入居保証契約を結んで賃借人から保証料を徴収し、家賃滞納時には家主への代位弁済と引き換えに賃借人から取り立てる)や、エム・クルーのレストボックスの様な「現代のタコ部屋」とも言うべきものが、国の経済規制緩和の波に乗って、法規制の隙間をつく形で広がっていると。
ITツールを使いこなしている点では先進国に固有の現象であり、目に見える戦争や政治犯強制収容所の存在こそ無いものの、置かれた精神的状況はもう北朝鮮やイラク、アフガン、ソマリアの難民と同じではないか。これでは現代日本のコッチェビではないか。現代日本のタコ部屋や偽装請負の現場は、北朝鮮からロシアへの過酷な出稼ぎ労働や中国・広東省辺りのスウェット・ショップと、本質的には何ら変わらないではないか。
北朝鮮や中国の人権問題を取り上げるのは良い。しかし、そう言っている当人たちが、こと当の日本国内でやっている政治は一体何なんだ。それを拙ブログでは何度も何度も問題にしてきた。それを等閑にしておいて何が「美しい国」か。
「法人税減税・消費税増税」「WE導入・過労死は自己責任」なんてほざいている安倍や御手洗が、「卒業式は言うに及ばず、入社式にも国旗掲揚・国歌斉唱を」と臆面も無くの給う。石原に至っては「公費を使って料亭・ホテルで会食、しかも1食50ウン万円」とな。余りにも人をバカにした話ではないか。ネットカフェ難民の様に、1食200円の"のり弁当"を夜食と翌日の朝食に分けてやり過ごす生活を、最低3日は続けてみたらどうか。小泉や武部も、1ヶ月の最低賃金(月収約11万8千円に相当)だけの生活を、最低でも丸1年、チルドレンたちに体験実習させてみるべきだ。これらの政治家に対しては、そこまでさせなければ庶民の生活など理解できないのではないか。
・NNNドキュメント'07
http://www.ntv.co.jp/document/
・「格差」ではなく「貧困」の議論を 漫画喫茶などで暮らす生活困窮フリーター(OhmyNews)
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001938
私も幾つか日雇い派遣の仕事をした事があります。名前よりも登録番号で管理される事や、出発・集合場所到着・終業・解散の節目ごとに会社に電話連絡を入れなければならない事、給与支払の門限までに帰社しなければ支払は翌日回しにされる事、自分の違法行為(偽装請負)は棚に上げて、登録説明会ではやれ茶髪・遅刻厳禁だのと偉そうに言っていた事などは、私もよく知っています。
ところで、後段で「原因は右翼とか左翼や中道主義とか、イデオロギーの問題ではありません」と書かれていますが、これについては仰る意味がよく分りません。私はイデオロギーでこの問題を言っているのではありません。
以前私は日雇い派遣までやってました。派遣からは名前ではなく番号で徹底管理されます。
そのままやっていたらネットカフェ難民の仲間入りだったかもしれない。本人の選択が間違っていた、努力不足の結果といった人々もいますが、最初から選択肢が限られている多くの人々がネットカフェ難民、ワーキングプアになっているんです。
前政権も現政権も、奴隷階級制度を構築してる。
英国の財団や研究者らの報告書では、奴隷労働を①経済的搾取②人権無視③暴力による強制管理の三つと定義しました。黒人奴隷貿易以後、黒人奴隷貿易が終わり公民権が与えられても、「奴隷労働」が本質的には終わっていませんね。黒人以外の人種や民族に対しても。
①と②と③、いずれかに該当するだけでも実際は奴隷労働です。
この奴隷労働は、同じ人種、同じ民族同士でも続けていますし。日本人同士でさえも。
記憶では今年一月ぐらいから二月ぐらいのア○デ○近畿版の広告に、就職活動で「私を買っていただく」といった言葉を露骨に使い、労働者をモノとして扱う人権無視の広告もありました。世も末ですね。手元に保管しておければ証拠として訴えることもできたでしょうけど。
優生学的長期政策、生物資源、人間資源、生産と消費、管理と監視。愛国カルトと平均主義的全体主義、経済的搾取と人権無視、性差別に人種差別と民族差別、暴力による強制管理、テロと戦争・・。生殺与奪。
資本主義社会でも共産主義社会と同質の政治犯罪。銀行家たちの利権政治は恐ろしいです。素晴らしい二極格差というか・・・。
原因は右翼とか左翼や中道主義とか、イデオロギーの問題ではありません。イデオロギーは道具だから。彼らは過去と現在の史実隠蔽の為にイデオロギー対立を自作自演したり、誘導している。
>社会主義者さん
このエントリーで全共闘について議論しませんが、私の投稿は「全共闘」という語彙を例えば「民青」に置き換えても、そう変わらないのですよね。
本来は「左」の側から貧困化社会を批判してもおかしくない層がなぜ「ネットウヨク」化するのかという問題について、私たちは「リアル」に考える必要があるのではないでしょうか。
>私が思うに、いわゆる「ネットウヨク」と呼ばれる層は、時代が時代ならば「全共闘運動」にでも参加していたと思うんですよね。<(まことさん)
↑これがどうして、即
↓こういう結論になるのでしょうか?
>「全共闘と同じだから敵ではない」<
まあ、修正資本主義者さんの言わんとしている事も分らなくはありません。当時の全共闘運動は体制批判や左翼の形を取っていましたが、その裏では指導部は右翼や中曽根康弘と結びついて、「極左戦術への忌避が保守支持に結びつく」という右翼の思惑に、呈よく利用されただけではなかったのか?―と言いたいのでしょう。
ただ、この場でのテーマの主題は、あくまで「ネットウヨクをどう見るか」という事であって、「全共闘運動をどう見るか」という事ではないと思うのですが。「全共闘運動をどう見るか」という事を議論したいのであれば、また別の場で議論して欲しいのですが。
この指摘には同意
>彼らの多くは本質的に「敵」では無いと思いますね。
結論には同意だが、「全共闘と同じだから敵ではない」というまことさんの特殊な文脈には大きな疑問がある。
社会主義者さんのご指摘のネットにつながっている若者像への新たなRealな認識のアプローチとまことさんの特殊な認識とはかなり隔たりがあるように感じます。
私が思うに、いわゆる「ネットウヨク」と呼ばれる層は、時代が時代ならば「全共闘運動」にでも参加していたと思うんですよね。
私もいわゆる「ネットウヨク」層にはムカつくことはありますし、「対抗言説」に出ることはあるのですが、彼らの多くは本質的に「敵」では無いと思いますね。
一部の「ネットサヨク」の中には「『ネット右翼』は宗教右翼の手先だ、政権に買収されたバイトだ」などと言い回っている人もいるようですが、私はそれはとんでもなく見当違いの「議論」だと思いますね。