前回に続いて再び兵庫県の北条鉄道に乗って来ました。今回は前回の時に回れなかった沿線の加西アルプスのトレッキングコースを歩きました。「加西アルプス」と言うのは、北条鉄道の播磨下里駅近くに広がる山塊です。善坊山(標高251メートル)と笠松山(標高244メートル)の2つの山から成り立っています。どちらも標高250メートル前後の低山ですが、岩山なのでハイキングだけでなくトレッキングやロッククライミングの気分も味わえるという事で、最近訪れる人が増えています(最上段の地図参照)。
加西アルプスの最寄駅は播磨下里駅(左上写真)ですが、駅前には昼飯を食べる店もないので、一つ手前の法華口駅で降り、駅舎内のパン屋「モン・ファボリ」でランチセットを食べました(右上写真)。大阪では既に3月22日に桜の開花予想が出ていたので、お花見も楽しみにしていましたが、ここではまだつぼみの状態でした。
ランチの後、次の列車で最寄り駅の播磨下里駅に移動しました。そこから普通は北西方向に歩いて兵庫みらい農協近くの登山口から入るらしいのですが、私は地理不案内の為に、グーグルマップ片手に北東方向に向かい、最短距離と思われた善坊中学校横の登山口から入りました。実際にこちらの方が最短距離なのですが、傾斜が急なので登る人は余りいないそうです。駅の掲示板に貼っていたのは簡単な案内図だけでした。私が今ここまで書けるのも後で詳しい案内パンフレットを入手できたからです。同じパンフレットを駅にも置いてほしいと思います。
満開の桜こそ見れませんでしたが、登山口に向かう途中の、善坊中学校横の皿池の中の公園では、山桜が可憐な花を咲かせていました(下の写真2枚)。
やがて登山道に入り、古法華(ふるぼっけ)自然公園の駐車場の前にある入口の石碑を通り過ぎると、急な坂道になります。まるで”酷道”308号線(暗峠越奈良街道)と同じくらい急な坂道です。そこを上り詰め、吊り橋の下に来ると、善坊山から下りてきた登山道にぶつかります。普通は善坊山から向こうの大柳ダム湖畔のキャンプ場に向かう人たちが歩く登山道です。私はこの道をたどって、普通の登山者とは逆に善坊山に向かう事にしました。登りながら後ろを振り返ると、長(おさ)石の石切り場がくっきりと姿を現し始めました(上の写真2枚)。
ネットの解説では「ハイキングコース」とあったので、登山用の装備なぞ何もしてきませんでした。ところが実際は、岩場伝いに獣道同然の傾斜が急な「トレッキングコース」が続きました。場所によっては、よじ登る為の鎖が岩に打ち付けられていました。これでよく事故に遭わなかったものだと今でも感心します。その代わり、尾根道から見る景色は素晴らしいものでした。
やがて加西アルプス最高峰の善坊山山頂(標高251メートル)に到着です。頂上からは加西盆地や播磨平野、丹波の山々がくっきり見通せました。善坊山の山頂にはお城の跡があり、お城の構造や由来が書かれた掲示板が建てられていました(下の写真2枚)。それによると、このお城は赤松氏という守護大名の居城で、所領を横取りしようとする室町幕府や細川氏・山名氏などの守護大名を相手に、赤松氏一族がこのお城に立てこもって戦ったそうです。これが「嘉吉(かきつ)の乱」(1441年)で、一時は6代将軍足利義教(よしのり)の首を討ち取る所まで行きましたが、最後には赤松氏の敗北に終わりました。しかし、勝った幕府もこの乱を機に屋台骨が揺らぎ始め、応仁の乱(1467~1478年)を経て、日本は戦国時代に突入して行きます。
この後、善坊山から笠松山に向かいます。もと来た険しい尾根道をたどり、先ほど登ってきた登山道と分かれ(下の道標の写真)、吊り橋(右下の写真)を渡って笠松山の方に入ります。吊り橋のたもとには古法華寺(下2段目左の写真)と石彫アトリエ館(同右の写真)が建っていました。加西アルプスのパンフレットも石彫アトリエ館でもらいました。古法華寺には石仏が保管されているそうですが、予約が無ければ拝観できません。あいにく私は拝観できませんでした。その代わり、壁に掘られた摩崖仏を拝む事ができました。
「笠松山まで500メートル」と道標にあったので、「もう善坊山ほど険しい道のりではないだろう」と思っていましたが、どうしてどうして、善坊山に負けじと劣らないぐらい険しい道が続きました。ここにも鎖でよじ登らなければならない場所がありました。私は、滑り落ちないように慎重に歩き、ようやく笠松山の展望台(標高244メートル)にたどり着く事が出来ました(下の写真3枚、そのうちの一番左が摩崖仏)。
ところが、笠松山の展望台から帰る途中で、斜面で滑って尻もちを突いてしまいました。最初は、尻もちを突いただけで怪我もなかったので、そのまま歩いていましたが、歩いているうちに次第に腰が痛くなって来ました。それでも、どうしても桜が見たかったので、大柳ダム湖畔のキャンプ場入口まで歩いてみましたが、桜並木の桜は全てつぼみの状態でした。咲いているのは、ごくわずかに生えている山桜とこぶしの花だけです。その代わり、野花が一斉に咲き誇っていました。天気予報では、この後一週間は雨の日が続くという事だったので、せっかくこの日に狙いを定めて、コロナ感染を避けて余り人が行かないような所に桜を観に行こうと思っていたのに...(下の写真2枚)。
その後、再び播磨下里駅から北条鉄道に乗って帰りました。播磨下里駅構内の石庭・花壇でも花が咲き誇っていました(左下の写真)。そして向かい側にもホームの跡がありました(右下の写真)。北条鉄道は旧国鉄時代こそ途中駅に行き違い設備がありましたが、赤字で廃止論議が浮上したのを機に、行き違いの線路は全て撤去されてしまいました。第三セクターになった今は、行き違いなしの機(はた)織り運行でやりくりしています。
しかし、「それでは通学ラッシュアワー時のダイヤ増発もままならない」という事で、今、法華口駅で行き違い用の新たなホームを建設中です。しかし、別にわざわざそんな新しいホームを作らなくても、昔のホーム跡がまだ残っているのだから、線路さえ付け替えればそれで済むのに、何故わざわざ真新しいホームを一から作り直そうとするのか?一度、北条鉄道に問い合わせてみようと思います。
最後に、私の腰痛ですが、帰ったら既に整骨院の診療も終了していたので、その日は銭湯で身体を温め冷湿布でしのいで、どうにか歩ける所まで回復しました。お陰で、翌日も仕事を休まずに済みました。ところが、今の私は、整骨院での保険診療が認められていません。今までは慢性腰痛という事で、実費診療を余儀なくされていました。ところが、今回は慢性ではなく急性疾患(打撲)で、腰痛の原因もはっきりしています。そこで、今回については再び保険で診療してもらおうと思っています。実際には一旦、整骨院に治療費全額を払った上で、療養費支給申請書を健保組合に送り、後で差額を返金してもらう形になりますが...。これでは何の為の社会保険か分かりません。誰も好きで腰痛になった訳ではありません。整骨院の治療費ぐらい、いつでも保険で受けられるようにしてもらいたいです。
初めまして。私は大阪で「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」というブログを運営しています。先日の公休日に2度、北条鉄道に乗らせていただき、ブログで記事に取り上げさせてもらいました。
北条鉄道 コロナ予防と平和の旅
https://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/b8ce86aa15ab3297f1b9cbfe5cd9bcd3
北条鉄道 コロナ予防と登山で尻もちの旅
https://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/c6124784fcf9957afa687e1e6f57636f
上段の記事は3月18日に旧鶉野飛行場とその周辺の戦争遺跡を訪ねた時のものです。下段の記事は3月25日に加西アルプスを訪ねた時のものです。どちらも非常に楽しませてもらいました。
その上で、いくつか要望を述べさせてもらいます。
まず第一に、周辺観光地について、もう少し詳しい説明が必要だと感じました。旧鶉野飛行場へは法華口駅、加西アルプスへは播磨下里駅が最寄り駅ですが、どちらの駅にも観光案内のパンフレットが一切置いてありませんでした。その代わりに、駅舎の壁に観光地への案内図が掲示されていました。しかし、実際に訪れる旅行者としては、案内図の掲示だけでなく、詳しい情報が載っていて、実際に手に取って観ながらアクセスできる案内パンフレットも欲しかったです。
第二に、レンタサイクルの窓口が終点の北条町駅にしかないのは不便です。私が3月18日に訪れた時も、せっかく北条町駅でレンタサイクルをお借りして、列車で法華口駅まで乗せていただき、旧鶉野飛行場や紫電改博物館、地下指揮所跡、高射砲陣地跡などを巡る事が出来ても、帰りにまた北条町駅に自転車を返しに行かなければなりませんでした。もし、法華口駅や播磨下里駅でもレンタサイクルを返す事が出来たら、帰りの列車でそのまま神戸や大阪に帰る事ができます。
第三に、せっかく国の有形文化財に指定されるほど古い駅舎があり、当時のホームもそのまま残っているのに、何故そのホームを活用せず、場違いな新しいホームを法華口駅に作ろうとされているのか理解できません。通学ラッシュアワー時のダイヤ増設に対応する為に、行き違い設備の増設が必要なのは分かりますが、それでしたら、わざわざ新しいホームなぞ作らなくても、当時の対抗式ホームをそのまま活用して、線路だけ付け替えれば、工事費用も安く済むし、古い駅舎もそのまま活用できるのではないでしょうか。
第四に、大阪・神戸から北条鉄道に乗りに来るのに鉄道だけでは、やはり不便です。JR加古川線も神戸電鉄粟生線も、1時間に1本しか電車がない上、どちらも各駅停車しか走っていないので、下手すれば片道2時間弱も所要時間がかかってしまいます。だから、一般通勤客の多くは鉄道からマイカー通勤に移ってしまい、鉄道は通学輸送が中心になってしまったと推察されます。それを逆手に取り、観光バス会社とタイアップして中国自動車道経由で加西市に観光客を呼び込む方法も考えられるのではないでしょうか。加西インターから北条町駅までは観光バスで来て、そこから北条鉄道に乗って観光地を回ってもらうのです。そうすれば、北条鉄道沿線だけでなく、西脇市の日本のへそ公園周辺にも、観光客は足を延ばす事が出来ます。このような方法も、一度考えられてはいかがでしょうか。
今後も北条鉄道さんには頑張ってもらいたいと思います。モータリゼーションと少子高齢化に加え、地場産業の衰退、消費税増税、新型コロナウイルス蔓延と、経営環境はますます厳しさを増して来ていますが、それに負けずに、今後も地域住民の足として活躍してくださるよう、今後もブログを通して、陰ながら応援させてもらいます。