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急がば回れ

2018年04月11日 21時25分57秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を

 「週刊東洋経済」4月14日号に前川喜平・湯浅誠両氏の対談が載っていたので思い切って買いました。8万円のアルマーニ制服を買わせる学校がある一方で、教科書の漢字も読めない生徒も大勢いる。そんな生徒に無味乾燥な知識を暗記させても無意味。地域の人々との交流図る中で生きる力となる真の学力を体得させるべしと。大体そんな内容でした。

 その中で前川氏は、高校中退をなくす為に数学の必修廃止を提言していました。九九や分数の計算もできない底辺校の高校生にとって、今の数学の教科書は余りにも難しすぎる。論理的思考力は数学以外の教科でも養える。数学を選択制にするだけでもかなり中退を食い止める事が出来る、と。

 前文科事務次官とは思えない大胆な提言に驚きましたが、確かに私も高校入学後急に数学が難しくなった事を覚えています。中学の方程式ぐらいならまだ実生活にも応用できる問題が多かったので理解しやすかったですが、高校になった途端に抽象的な数式がやたら多くなり、とてもついて行けなくなりました。

 二次関数、指数・対数、三角関数、行列・ベクトル、微分・積分、確率計算…。どれも抽象的な内容で、何故その数式や定理が導き出されるのか、考えれば考えるほど頭の中が混乱して訳が分からなくなりました。そこで、もう考える事は止めて、数式や定理をひたすら丸暗記する事で、ようやく成績低迷から脱する事が出来ました。

 しかし、そんな学習法では論理的思考力なぞ身に付く筈がありません。だから最後まで確率計算が大の苦手でした。順列・組み合わせ、場合の数、期待値…。どれもこれも余りにも抽象的すぎて、具体例に即して考える事が出来ない問題ばかりです。競馬をやるようになって初めて、これらの概念が理解できる様になりました。

 本当は数学も大事な学問です。ギャンブルやマルチ商法は胴元だけが儲かり、サラ金の借金が数年で2倍以上に膨れ上がる仕組みになっている事も、数学的思考力があって初めて理解できるのですから。でも、考える事を放棄して、ひたすら丸暗記に走らなければ良い成績を取れない様では、本末転倒です。

 そう考えると、「数学は中学までで充分、論理的思考力を養いたければ国語の授業でやれ」という氏の提言も、それなりに理解は出来ます。要は「急がば回れ」「名を捨てて身を取れ」という事でしょう。

 この事については私も苦い経験があります。実は私は、大学卒業後1年間、新人の高校講師として、底辺校で政治経済の授業を受け持った事があるのです。今でこそ教育格差の問題がクローズアップされるようになりましたが、総中流社会の当時は、そんな問題はごく一部の高校や生徒だけの問題だと思われていました。

 その高校で、先輩教師から「教科書の漢字が読めるようになったらそれでええやん。別に源頼朝が何者か分からなくても『みなもとのよりとも』と読めるようになったら、もうそれでええやん」とアドバイスされた事がありました。今でこそ、その教師の気持ちも分かる様になりましたが、当時は彼の事を「生徒を小バカにする差別教師」と心の中で蔑むばかりでした。

 そして若気の至りで、教科書の漢字も読めない、「申請」や「登録」の読みはおろか意味も理解できない生徒に、いきなり憲法9条や日米安保条約について教え始めたのですから堪りません。授業について行けない生徒が続出する事態となってしまいました。

 今から思うと、こういう底辺校では、よっぽど教師としての力量が備わっていない限り、憲法9条や安保条約の内容を教えるのは至難の業なのです。先の確率計算の例と同じで、生徒にとっては余りにも抽象的すぎて、生活実感からかけ離れた内容なのですから。

 こういう底辺校では、もう憲法なぞ敢えて教えずに、労基法の授業一本で臨んだ方が良かったと思います。その代わり、労基法の授業では、単に8時間労働制の上辺だけの説明で終わらず、バイトにも有休取得の権利がある事や、労災申請の仕方や、不当解雇への対処法まで、みっちり教えます。

 生徒の中には、バイトで学費を稼がなくてはならない者もいた筈です。バイト先でセクハラ、パワハラに遭った者もいたかも知れません。幾ら教科書の漢字が読めなくても、生き抜く為の術はちゃんと教えなくてはなりません。勿論その子でも理解できる教え方で。それこそが真の社会科教師としての役目ではないでしょうか。

 私が組合に入り過重労働の押しつけや労災もみ消しと闘ってきた事、職場新聞やブログに書き綴って来た事なども、生徒にとっては格好の教材になったでしょう。まだ派遣法も、ブラック企業という言葉もなかった時代に、大学出たばかりの世間知らずの新米教師が、それを果たしてどこまで出来たかという問題はあるにしても。

 もし、そういう授業がちゃんと出来ていたら、今の様なムチャクチャな政治が横行する様な事は無かったのではないでしょうか。たとえ憲法や三権分立の意味を知らず、忖度という漢字が読めなくても、「あった事をなかった事には出来ない」という最低限の事ぐらいは、ちゃんと理解できる卒業生になっていただろうと、悔やまれてなりません。

 そして、虐められても泣き寝入りしてはならない、自分だけでなく他人が虐められてても黙っていてはいけない、不正や不当な扱いには抗議しなくてはいけないという、最も大事な事が分かる人間になっていたでしょう。民主主義とは何だと聞かれた時に、これがそうだと言える人間になっていたでしょう。

 先日、職場の問題をブログに書いた時も、実は前川氏の講演録を書くつもりでした。その為に、わざわざ豊中まで氏の講演を聞きに行って来たのです。でも流して良かったと思っています。それで仲間の退職を食い止める事が出来たのですから。前川氏の講演録なぞいつでも書けます。そう思っていたら、早速その機会に巡り会う事が出来ました。

週刊東洋経済 2018年4月14日号 [雑誌](連鎖する貧困)
クリエーター情報なし
東洋経済新報社
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