新年明けましておめでとうございます。2024年の元旦にコスモタワー展望台で初日の出を堪能して来ました。
住之江公園からニュートラムの始発電車に乗りトレードセンター前で下車。通常使う連絡通路はまだ閉鎖中で、駅からは外の歩道でコスモタワー入口へ。ウェブで予約購入した3千円(高w)チケットのスマホ画面をカウンターで提示して入場。午前7時過ぎの日の出まで展望台で待機。
既に展望台の東側は人で一杯だったので撮影を諦め、北東側の海遊館・USJ方向から撮影開始。海遊館の後ろにある天保山の大観覧車を目印に。まだ暗い中で、観覧車の円弧に沿って点灯する5つの赤い灯火が分かるでしょうか?
やがて陽が上り始め周囲が明るくなって来ましたが、あいにく曇り空で陽の光は認識出来ず。それでも大観覧車が朝日の中で鮮明に姿を現し始めるのが分かると思います。
但し、展望台はガラス越しの撮影となるので、ガラス面に後ろの背景などの余計な物が写り込んでしまい、撮影には苦労しました。
3千円の初日の出観覧チケットには土産代も含まれていると案内されましたが、その土産もしょぼいブランケット1枚のみ。ある程度予想はしていましたが、まさにボッタクリそのものでした。
展望台の喫茶店も元旦特別営業でオープンしていましたが、どこでも売っているケーキやプリンしかなかったので、私は帰りにタワー1階にあるローソン(開店は6時から)で、コーヒーと宇治抹茶バウムを買って、1階ロビーの休憩コーナーでモーニング。
バウムのボリューム感が意外と凄くて、これ2つで充分朝食の代用になります。これでコーヒーと合わせて300円。展望台の喫茶店のケーキよりこちらの方がよっぽどお得w。それでは今年も宜しくお願い申し上げます。
前置きです。最近「新年あけましておめでとうございます」との挨拶文言が国内で増えており、私も韓国で日本語教師として働いていた経験から抜きがたい違和感を持ち気になって仕方がありません。「あけまして」だけですでに新年になったとの意味がありますので、所謂重ね言葉・重言ですが、屋上屋を架すようにその前に「新年」をつける必要は本来ありません。
どうもこの日本語表現の誤りが最近増える一方と感じ、言葉は文化の根底であり、言葉が乱れれば文化も乱れ、ひいては社会全体も増々腐敗する恐れがあります。
プレカリアートさんのようにネットを通じて社会に影響を与える方は、模範を示すためにも率先して正しい日本語を使って下さるようお願いします。
ちなみにプレカリアートさんは正しく使っておられるようですが、元日の朝を本来は表わす「元旦」も、最近ではとみに元日全体を指すように使われているのも同様です。本来日本語に「元旦の夕方・夜」なんて表現はありません。
本題に入ります。すでに時代は後戻りできない段階まで進んでいます。現状一応表面的な平穏を辛うじて保ってるように見える日本社会・そして世界ですが、その表面的平穏ももう間もなく音を立てて崩れ、世界は激変するでしょう。そうなったらもう元の状況には戻りません。
今年2024年は世界の最終的激変と滅びの危機が表面化し、人類は人為ではなす術もなく完全に行き詰まり、その中でグローバリスト勢力が画策する「全体主義新世界秩序」の樹立=即ち我ら人類全体にとって最後で最大の試練・艱難のひと時=が目に見える形で顕わになり始める端緒の年になる可能性が少なからずあります。
19~20世紀初頭の米国のキリスト教著述家エレン・G・ホワイトが「間もなく一大変化がこの世界に起ころうとしており、しかも最後の動きは急速である」と書いている通りです。
ゆえに今はもう「新年おめでとう。今年はよい年になるように」などと我らはのんびりと書いている場合ではないのです。最終の危機を個々人がいかにして乗り越え、世界とともに滅びる運命から逃れるかを真剣に考える時なのです。
以上陽暦新暦(改良ユリウス暦)の新年にあたりコメントしておきます。