統一地方選の前半戦(知事・道府県議・政令市議選)が終わりましたが、マスコミ報道によると、知事選では「自民優位、民主敗北」、道府県議選では「民主躍進、社共退潮」と、盛んに書きたてています。しかし、実際はどうなのでしょうか。まずは東京都知事選の結果から見てみましょう。
●東京都知事選の結果概数 及び今回2007年と前回2003年の比較
但し四捨五入して万単位で表示しているので合計値と総数は一致しません。
(投票総数・率)
今回 556万 54% (増減+112万、+9P)
前回 444万 45%
(候補者系列別の得票数・率)
与党系
今回 石原慎太郎 281万 51% (増減▲28万、▲19P)
前回 石原慎太郎 309万 70%
民主党系
今回 浅野史郎 169万 31% (増減+87万、+12P)
前回 樋口恵子 82万 19%
共産党系
今回 吉田万三 63万 11% (増減+27万、+3P)
前回 若林義春 36万 8%
その他系
今回 計11名で 37万 7% (増減+24万、+4P)
前回 計 2名で 13万 3%
確かに、石原氏は次点の浅野氏との間に100万票以上の大差をつけて当選しているので、その現象面だけで見れば「石原圧勝」なのかもしれません。しかし、私たちは傍観者ではなく、都政を変えるという立場から選挙総括を試みようとしているのですから、そういう立場から前進面と克服すべき弱点の両方について見ていかなければなりません。
そういう意味で今回の都知事選を見ると、投票総数が前回より112万票増え、投票率は9ポイント上がりました。その増加票は殆ど浅野氏と吉田氏に流れ、石原氏は逆に28万票減らしました。減った分は何処に流れたかと言うと、黒川その他の泡沫候補に流れた格好になりました。勿論、各候補者ともそれぞれ票の出入りがあるので、実際はもっと複雑な流れになるのでしょうが、全体を概観すればそういう事になります。今回の選挙では候補者が乱立して反石原票の拡散が懸念されましたが、これを見る限りでは、その候補者乱立のあおりを一番受けたのは、実は石原氏だったのでは。従って、今回の都知事選結果を単に「石原圧勝」とだけ見るのは余りにも表層的な見方であって、実際は寧ろ「反石原勢力の前進」「あの石原をここまで追い込んだ」と見るべきではないでしょうか。
しかしその一方で、克服すべき弱点もリアルに見ておかなければならないでしょう。反石原陣営の統一が出来なかったという不十分さは勿論あります。これは必ず今後の教訓としなければならない事です。ただ、それだけでは充分ではありません。得票を見れば、浅野票と吉田票を合算しても尚且つ石原票とは約50万票の差がついてしまっています。今回の構図では、浅野・吉田の一方が降りる形で候補者の一本化が出来ていたとしても、敗北していた可能性が濃厚です。では何が足りなかったのか。
私は今まで何度も、「浅野氏には人をひきつけるだけの魅力が感じられない」と書きました。これは必ずしも、私が共産党支持者である事や、浅野擁立に至る経緯への反発だけで言っているのではないのです。若し共産党が今回擁立したのが前回と同様の無味乾燥な党人候補なら、私はひょっとしたら浅野擁立の方に回っていたかもしれません。また、浅野陣営がもっとパンチの効いた候補者を擁立していたとしても同様です。私も、兎に角あの石原だけは何があっても落したいですから。しかし出てきたのが元宮城県知事の浅野氏で、如何にも官僚然としていて、言っている事もあやふやで定まらず、候補者としてのインパクトが全然無い。要するに「華が無い」のです。はっきり言って、吉田氏の方がよっぽど華があり、主張も具体的でぶれないので説得力がある。だから、単なる反石原勢力の「前進、善戦」に止まってしまったのです。
それと、戦術的にもどうかと思う所はありました。浅野擁立の主力メンバーというのが、中山千夏や上野千鶴子といった「進歩的文化人」で、「手作り」とか「市民・無党派」という事を全面に押し出していましたが、これでは70年代の「革新自由連合」と何ら変わりません。これでは、あの石原と戦うには余りにも役不足です。
石原の支配が強固なのは、改憲・新自由主義の「勝ち組」政治を全面に押し出しながら、「負け組」の溜飲も適度に下げさせて支持を集める、そういう「二重統治」を上手く使い分けているからでしょう。そうであるならば尚更、反石原勢力の方も、反ネオコン・反ネオリベの「貧乏人大反乱」を強力に組織しつつ、「勝ち組」の顔もこちらに向けさせるような、そういう陣形でなければならない筈です。「七人の侍」の武将たちや郡上一揆・三閉伊一揆の指導者、ホーチミンやゲバラがそうであったように。現代日本で言えば田中康夫がそれに近い。
それが実際には、ひ弱な「進歩的文化人」が中心になって擁立した「官僚」だったので、「負け組」の力も100%引き出す事が出来ませんでした。この戦いは、候補者と陣形如何によっては勝てる可能性がかなりあったのでは、と悔やまれてなりません。
ただ、戦いはこれで終わりではありません。選挙期間中はブレーンの佐々淳行(元内閣安全保障室長)や三浦博史(当選請負人の異名を持つ選挙プランナー)の言うがままに(こういうのをブレーンに据えていたのを見ても、そもそも本気度からして浅野氏とは全然違った)猫をかぶっていた石原慎太郎ですが、当選後さっそくまた老害を曝け出して兵庫県知事をカンカンに怒らせしまったようですが、こんな知事は4年後の任期満了など待たずにさっさとリコールしてしまえばよいのです。石原もさすがに高齢には勝てないのか、今期限りを最後に引退を仄めかしたりしているようです。大方、大型開発やオリンピック招致失敗のツケは後継者に押し付けて、自分は首尾よく花道を飾る算段なのでしょう(あの小泉とソックリ)。そうは問屋が卸すか。都民へのツケ回しは許しません。必ず石原に拭わせてやる。
道府県議・政令市議選については、本当にちゃんと総括するには地域・選挙区別の得票分析が必要なのですが、今そこまではとても手が届きません。とりあえずは雑感という事で。
●道府県議・政令市議選の党派別獲得議席数・前回比
道府県議 政令市議
自民党 1212 ▲ 97 276 + 24
民主党 375 +170 194 + 68
公明党 181 + 3 169 + 23
共産党 100 ▲ 7 124 + 20
社民党 52 ▲ 21 15 + 2
国民新党 1 + 1 0
諸派 40 ▲ 6 39 ▲ 18
無所属 583 ▲104 166 + 38
合計 2544 ▲ 61 983 +157
道府県議(都議選は2年後)も政令市議も議会の総定数が変化していますから、議席数自体よりも、総定数の増減がどの党に流れたのかを見なければなりません。また、前回の統一地方選の時よりも政令指定都市が3つ増えてますから(静岡・堺・新潟)、それに伴う選挙区分割・定数減も考慮に入れなければなりません。
それでざっと見たら、やはり民主党の躍進が目につきます。ただこれを以って、米国や英国の様な二大政党制に日本も近づいたとする見方には、どうかなという気がします。何故ならば、地域には民主党なんて陰も形もありません。日本では本当に組織政党と言えるのは共産党と公明党しかありません。それ以外の自民党や社民党は、議員後援会や労組が形だけ支部を作っているのが実態ですが、それでも地域には一応職域支部があり、少なくない党員も居ます。翻って民主党はどうでしょうか。支部も党員も殆ど影も形も見えず、選挙の時に連合労組や議員後援会が出てきて活動するだけの「蜃気楼」政党というのが実態ではないでしょうか。党の財源も殆どが政党助成金と企業・団体(労組)献金で賄われているだけでは。
民主党躍進なるものの実態も、臨調行革と総評解体で丸裸にされた後に売上税反対闘争で一時的に人気挽回に成功した1980年代末期の社会党と同じようなものではないでしょうか。米国の民主党と比するにしては、余りにも組織実態が無さ過ぎます。こんな「蜃気楼」みたいな政党はさっさと解体してしまって、現代的保革対決にその道を譲るべき。民主党右派のバカウヨなどは、世を欺く為にガラにも無く野党ポーズや弱者の味方を騙ったりなどという姑息な事は止めて、はやく自民党や日本会議や維新政党新風にでも逝けば良いのに。
「社共退潮」に関しては、社民党については概ね当っているでしょう。ただ共産党について言えば、二大政党制キャンペーンやゲリマンダー紛いの選挙区分割の中では、割りとよく踏ん張ったと言えます。大阪府・市議選では府議で1議席増の微増、市議では3議席増の躍進です。地方でも、定数1~3の所での新議席獲得や返り咲きも少なくありません(長野・高知・大阪・奈良など)。しかし全体的に見た場合、この党の停滞もやはり否めません。特に今まで金城湯地だった京都で地盤後退が著しいのが目立ちます。保守二大政党制の廃棄を展望しつつも、尚且つ当該現行制度の中でも地歩を確保して、一共産党のみならず革新陣営全体の拡大にも貢献出来るような戦略を編み出していけるかどうかが、この党には問われていると思います。
●東京都知事選の結果概数 及び今回2007年と前回2003年の比較
但し四捨五入して万単位で表示しているので合計値と総数は一致しません。
(投票総数・率)
今回 556万 54% (増減+112万、+9P)
前回 444万 45%
(候補者系列別の得票数・率)
与党系
今回 石原慎太郎 281万 51% (増減▲28万、▲19P)
前回 石原慎太郎 309万 70%
民主党系
今回 浅野史郎 169万 31% (増減+87万、+12P)
前回 樋口恵子 82万 19%
共産党系
今回 吉田万三 63万 11% (増減+27万、+3P)
前回 若林義春 36万 8%
その他系
今回 計11名で 37万 7% (増減+24万、+4P)
前回 計 2名で 13万 3%
確かに、石原氏は次点の浅野氏との間に100万票以上の大差をつけて当選しているので、その現象面だけで見れば「石原圧勝」なのかもしれません。しかし、私たちは傍観者ではなく、都政を変えるという立場から選挙総括を試みようとしているのですから、そういう立場から前進面と克服すべき弱点の両方について見ていかなければなりません。
そういう意味で今回の都知事選を見ると、投票総数が前回より112万票増え、投票率は9ポイント上がりました。その増加票は殆ど浅野氏と吉田氏に流れ、石原氏は逆に28万票減らしました。減った分は何処に流れたかと言うと、黒川その他の泡沫候補に流れた格好になりました。勿論、各候補者ともそれぞれ票の出入りがあるので、実際はもっと複雑な流れになるのでしょうが、全体を概観すればそういう事になります。今回の選挙では候補者が乱立して反石原票の拡散が懸念されましたが、これを見る限りでは、その候補者乱立のあおりを一番受けたのは、実は石原氏だったのでは。従って、今回の都知事選結果を単に「石原圧勝」とだけ見るのは余りにも表層的な見方であって、実際は寧ろ「反石原勢力の前進」「あの石原をここまで追い込んだ」と見るべきではないでしょうか。
しかしその一方で、克服すべき弱点もリアルに見ておかなければならないでしょう。反石原陣営の統一が出来なかったという不十分さは勿論あります。これは必ず今後の教訓としなければならない事です。ただ、それだけでは充分ではありません。得票を見れば、浅野票と吉田票を合算しても尚且つ石原票とは約50万票の差がついてしまっています。今回の構図では、浅野・吉田の一方が降りる形で候補者の一本化が出来ていたとしても、敗北していた可能性が濃厚です。では何が足りなかったのか。
私は今まで何度も、「浅野氏には人をひきつけるだけの魅力が感じられない」と書きました。これは必ずしも、私が共産党支持者である事や、浅野擁立に至る経緯への反発だけで言っているのではないのです。若し共産党が今回擁立したのが前回と同様の無味乾燥な党人候補なら、私はひょっとしたら浅野擁立の方に回っていたかもしれません。また、浅野陣営がもっとパンチの効いた候補者を擁立していたとしても同様です。私も、兎に角あの石原だけは何があっても落したいですから。しかし出てきたのが元宮城県知事の浅野氏で、如何にも官僚然としていて、言っている事もあやふやで定まらず、候補者としてのインパクトが全然無い。要するに「華が無い」のです。はっきり言って、吉田氏の方がよっぽど華があり、主張も具体的でぶれないので説得力がある。だから、単なる反石原勢力の「前進、善戦」に止まってしまったのです。
それと、戦術的にもどうかと思う所はありました。浅野擁立の主力メンバーというのが、中山千夏や上野千鶴子といった「進歩的文化人」で、「手作り」とか「市民・無党派」という事を全面に押し出していましたが、これでは70年代の「革新自由連合」と何ら変わりません。これでは、あの石原と戦うには余りにも役不足です。
石原の支配が強固なのは、改憲・新自由主義の「勝ち組」政治を全面に押し出しながら、「負け組」の溜飲も適度に下げさせて支持を集める、そういう「二重統治」を上手く使い分けているからでしょう。そうであるならば尚更、反石原勢力の方も、反ネオコン・反ネオリベの「貧乏人大反乱」を強力に組織しつつ、「勝ち組」の顔もこちらに向けさせるような、そういう陣形でなければならない筈です。「七人の侍」の武将たちや郡上一揆・三閉伊一揆の指導者、ホーチミンやゲバラがそうであったように。現代日本で言えば田中康夫がそれに近い。
それが実際には、ひ弱な「進歩的文化人」が中心になって擁立した「官僚」だったので、「負け組」の力も100%引き出す事が出来ませんでした。この戦いは、候補者と陣形如何によっては勝てる可能性がかなりあったのでは、と悔やまれてなりません。
ただ、戦いはこれで終わりではありません。選挙期間中はブレーンの佐々淳行(元内閣安全保障室長)や三浦博史(当選請負人の異名を持つ選挙プランナー)の言うがままに(こういうのをブレーンに据えていたのを見ても、そもそも本気度からして浅野氏とは全然違った)猫をかぶっていた石原慎太郎ですが、当選後さっそくまた老害を曝け出して兵庫県知事をカンカンに怒らせしまったようですが、こんな知事は4年後の任期満了など待たずにさっさとリコールしてしまえばよいのです。石原もさすがに高齢には勝てないのか、今期限りを最後に引退を仄めかしたりしているようです。大方、大型開発やオリンピック招致失敗のツケは後継者に押し付けて、自分は首尾よく花道を飾る算段なのでしょう(あの小泉とソックリ)。そうは問屋が卸すか。都民へのツケ回しは許しません。必ず石原に拭わせてやる。
道府県議・政令市議選については、本当にちゃんと総括するには地域・選挙区別の得票分析が必要なのですが、今そこまではとても手が届きません。とりあえずは雑感という事で。
●道府県議・政令市議選の党派別獲得議席数・前回比
道府県議 政令市議
自民党 1212 ▲ 97 276 + 24
民主党 375 +170 194 + 68
公明党 181 + 3 169 + 23
共産党 100 ▲ 7 124 + 20
社民党 52 ▲ 21 15 + 2
国民新党 1 + 1 0
諸派 40 ▲ 6 39 ▲ 18
無所属 583 ▲104 166 + 38
合計 2544 ▲ 61 983 +157
道府県議(都議選は2年後)も政令市議も議会の総定数が変化していますから、議席数自体よりも、総定数の増減がどの党に流れたのかを見なければなりません。また、前回の統一地方選の時よりも政令指定都市が3つ増えてますから(静岡・堺・新潟)、それに伴う選挙区分割・定数減も考慮に入れなければなりません。
それでざっと見たら、やはり民主党の躍進が目につきます。ただこれを以って、米国や英国の様な二大政党制に日本も近づいたとする見方には、どうかなという気がします。何故ならば、地域には民主党なんて陰も形もありません。日本では本当に組織政党と言えるのは共産党と公明党しかありません。それ以外の自民党や社民党は、議員後援会や労組が形だけ支部を作っているのが実態ですが、それでも地域には一応職域支部があり、少なくない党員も居ます。翻って民主党はどうでしょうか。支部も党員も殆ど影も形も見えず、選挙の時に連合労組や議員後援会が出てきて活動するだけの「蜃気楼」政党というのが実態ではないでしょうか。党の財源も殆どが政党助成金と企業・団体(労組)献金で賄われているだけでは。
民主党躍進なるものの実態も、臨調行革と総評解体で丸裸にされた後に売上税反対闘争で一時的に人気挽回に成功した1980年代末期の社会党と同じようなものではないでしょうか。米国の民主党と比するにしては、余りにも組織実態が無さ過ぎます。こんな「蜃気楼」みたいな政党はさっさと解体してしまって、現代的保革対決にその道を譲るべき。民主党右派のバカウヨなどは、世を欺く為にガラにも無く野党ポーズや弱者の味方を騙ったりなどという姑息な事は止めて、はやく自民党や日本会議や維新政党新風にでも逝けば良いのに。
「社共退潮」に関しては、社民党については概ね当っているでしょう。ただ共産党について言えば、二大政党制キャンペーンやゲリマンダー紛いの選挙区分割の中では、割りとよく踏ん張ったと言えます。大阪府・市議選では府議で1議席増の微増、市議では3議席増の躍進です。地方でも、定数1~3の所での新議席獲得や返り咲きも少なくありません(長野・高知・大阪・奈良など)。しかし全体的に見た場合、この党の停滞もやはり否めません。特に今まで金城湯地だった京都で地盤後退が著しいのが目立ちます。保守二大政党制の廃棄を展望しつつも、尚且つ当該現行制度の中でも地歩を確保して、一共産党のみならず革新陣営全体の拡大にも貢献出来るような戦略を編み出していけるかどうかが、この党には問われていると思います。