友人と普通におしゃべりをしていると、そのうちに話題がご両親や舅姑の話になって行くことがよくあります。そのような時に
「あっ、それ、小ボケだけど・・・」と思うことがなんと多いことか!
高校の同期会で上京。冬景色の日比谷公園
最近気づくことは、その出来事(まさに小ボケの症状)に対して
「そうなの、ボケてきちゃっててね」と言いきってしまう人がけっこう多いことです。
ちょっと前なら
「こんなことはあるけど、ボケてるわけじゃないの」という方が多かったと思います。
ただ、問題は口では「ボケてる」と言いながら、緊迫感がないことです。
その理由をいろいろ考えてみるのですが、一番の要因は「ボケ」とか「認知症」という言葉自体を口にするのもはばかられる時代がそろそろ終わろうとしているのではないかということです。
さまざまなキャンペーンが、それなりに功を奏してきているのかなと思います。
もう重度に入ってしまった大ボケの典型的な症状、
失見当識 ・今が昼か夜か分からない→夜中に騒ぐ
・ここがどこかわからない→徘徊
・人がわからない→家族もわからない
激しい記銘力障害(ご飯をもらってない)
不潔行為・粗暴行為
などなどが見られなければ、ボケとは言えなかった時よりはずいぶん楽になってきているといえますね。
もちろんこれには地域性もあるでしょうし、世の中の動きに先立って私の周りに起きていることかもわかりませんが。
さてどんな時に
「あっ、小ボケ!」と思うか並べてみましょうか。
・「実家の母の様子を見に帰るんだけど、必ず喧嘩になってしまうの」
・「やたらと鍋を焦がしてね」
・「冷蔵庫がパンパンでね」
・「料理は作ってくれるけど、不思議なほど手際が悪くて」
・「食事の時にびっくりしたの。お行儀が悪くなっていて。寄せ箸とかねぶり箸とか」
・「どうも、いつもやってた振込なのにトラブルを繰り返してるみたい」
・「もっともらしい理由は言うけど、あれもこれもやらなくなった」
・「会話についてこられないみたいで、突然違うことを話し始めるのが目立つの」
・「食事がすむと、以前のようにおしゃべりをしないですぐに自室に引っ込むようになったの。行って見るとたいがい寝てる」
・「とにかくよく寝てる。テレビ見ながら、新聞読みながら。言うと寝てない!って答えるけどね」
・「仕事が中途半端。やりかけのことばかりが多い」
・「なんだか、部屋の片づけが方が前と違っていて、整理ができてないというか・・・」
これらはみんな前頭葉の機能障害、小ボケの症状です。
口々にこのように気づいていることを言いたてながら、そして
「ちょっとボケが来てるのよ」と言いながら、その実、切迫感はないのです。
その時に
「そうね。ちょっと脳の老化が早まってるみたいね」と答えるとそこで二通りの反応に分かれます。
1.「それでも、こんなことが言えるのだから大したことはない」
2.「えっ、やっぱりこれってボケなの」
どちらかと言えば、1の方が多いと思います。
ボケや認知症という言葉を口にすることはできるけれども、頭の中のイメージはあくまでも従来の大ボケ(重度認知症)の症状こそがボケと思っているのですね。
そのような時には
「話すことではなく、やっていることを見てください。やっていることこそが現在の脳の能力なんですから。話す力はとても、持ちます。ことばを聞いているとまるで以前と同じに思えるんですが、やっていることは、以前と比較したらびっくりすることばかりです」
続けてこういいます。
「三年にはなってないと思いますが、その方の生活が大きく変わってしまうことがあったはずですが、それは何ですか?(絶対にあるという前提で聞きます)」
こういう訴えをする場合、それがあるんですよね!
「そういえば、1年前or2年前or3年前に・・・・」
・「配偶者を亡くしました」
・「心臓発作を起こしてしまったんです」
・「仕事を退いた」
・「孫が手離れた」
・「心配事が起きた」
・「足腰が不自由になった(そのため~ができなくなった)」
・「親しかった友達が亡くなって話し相手がいなくなった」
大切な作業がもう一つ残っています。
「そのことがあってから、その方の生活が大きく変わってしまって、それまでのような生活ができなくなったんですよね。楽しみも変化もない、淡々とした生活になったんでしょ」という確認です。
「その通り」という回答をもらってから、
「身体と同じようにただでも老化していく宿命のある脳の能力が、老化を加速させてしまった結果なのです。その出来事の後、脳の使い方が足りなかったのですよ」