NHK朝の連続ドラマ「まっさん」とここまで書いて、今は「とと姉ちゃん」その前は「あさが来た」その前だったなあと思い、一応ネットで確認してみました。2014年9月から2015年3月まで。あれ?もうひとつないと合わない…そうだ「まれ」があった!これで一応つじつまが合いました。
ちなみに、こういうことをしたら記憶力アップが図られるというものではありません。ただこのようなことでも、意欲的に対処するのとしないのは前頭葉の差ではありますから、ちょっと頑張ってみただけのことです。
「まっさん」はニッカウヰスキー創設者の竹鶴政孝とスコットランド人の妻リサの物語でした。
それで、余市のニッカウヰスキー工場見学に行ってみました。私は以前一度行ったことがありますから、どこかは思い出すところがあるのではと思ったのですが、全然記憶と一致するところがありません。今回は気にせず見学者の群れの一員になります。
この建物は試飲ができる場所です。
会場に入ると、このグラスに圧倒されます。
工場内の緑とクラッシックな建物を見ながら試飲します。
ウイスキー博物館。小さな人形のディスプレィー ウイスキーを飲む人。
小さな人形のディスプレィー ウイスキーを作る人。
5年15年と熟成をつづけると、色や香が付き、アルコール度数が上がっておいしさが増す仕組みですが、問題はどんどん量が少なくなってくること。だから同じ銘柄のウイスキーでもラベルの「〇〇年」で値段が全く違うのですね。
幻のウイスキー「余市」の有料のテイスティングがありましたので、夫が挑戦(運転手は私です)。
おいしかったそうです。40cc700円
更に見学コースを進むと、竹鶴邸が。
リサハウスも。
夫はもう十分と帰心矢の如しでしたが、私はもう一か所。テレビで大切な舞台の一つニシン漁場がありました。そのモデルとなった建物があるというので行かないわけにはいきません。旧余市福原漁場(ニシン漁最盛期の様子を伝える建造物、国指定の重要文化財)夫は車でお留守番をしていました。
これが生活の場。主人の居住区と番屋が同じ建物で真ん中の土間で分けられていました。
味噌や米などの倉庫です。
大切な文書などの保管に使われました。
立派な木組み。
どうしてニシンはぱたりと来なくなったのでしょうね。検索してもはっきりした原因はわかりませんでした。
北海道の日本海側の各地区で、豪壮なニシン御殿を何軒もみました。大規模な番屋も。
ニシンが来なくなって後、やん衆と呼ばれた労働者たちはどのように生活を立てどのように生きたのでしょうか。認知症は?
多分、寿命が持たなかったでしょうね。認知症は「体がもつのに脳が持たない状態」ですから、体が持たなくて、つまり亡くなれば、認知症の問題は起きて来ないのです。
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