脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

「比較」から「選択・決断」へ―前頭葉機能は脳の司令塔

2023年08月07日 | 前頭葉の働き
前回のブログ「日常生活での『比較』で前頭葉機能を活性化」に対して「音の宝石箱」を主宰してしらっしゃる斎藤真知子先生からコメントをいただきました。
文末の一文「普通に暮らしていても、ちょっと立ち止まって物事の違いに関心を持つことは、次の行動を考えることにもつながり間違いなく前頭葉の活性化になると思います」に対して「音の宝石箱の楽器紹介シリーズが正にそれだと思いました!どうしてもピアノと比較してしまうのですが、それで良いんですね! 」と。(今日はニューヨークランプミュージアムと近所の花をあげています)

前ブログをアップしてから「言葉足らずで我田引水かなあ」と思っていたのですが、具体的な例でお話しする方が、読者の方がそれぞれご自分に引きつけて考えてくださるということを感じさせていただいて、感謝です。
ここしばらく前頭葉のことを考えていました。
世の中は前頭葉機能の理解が、不思議なほど、進んでいないような気がします。「研究」ということになると、客観的とかエビデンスとかが要求されるので、どうしても細かく条件を詰めていく必要があります。そのやり方だと私の印象としては「木を見て森を見ず」だとしか思えないのです。前頭葉機能はまさに「森」。

前頭葉機能というのは、左脳後半領域「読み・書き・計算」、右脳後半領域「形や音の模写」などのいわゆる認知機能といわれるものとか、「体を動かす」ことなどの機能を「どう使うかを決める機能」を担っています。脳を動かす指令を出すところ、脳の司令塔なのです。
どうしても複雑になるに決まっています。

指令を出すためには、
①脳後半領域から受け取った刺激の内容の理解が正確である必要がある。(注意集中力に欠けると、上の空状態になって理解が浅いまたは間違える)
②今、自分が置かれている状況の理解が正しくできている。
③そのうえで、見通しを立ててどうすべきかシミュレーションをする。
④その次に「決断」という段階になる。
⑤決断の結果を脳の後半領域に指令する。
⑥もしもそれが間違いだと認識したら(それも前頭葉の働き)修正する。

細かく書いてしまいましたが、仕事上必ず決断が求められるとすぐ想像できる現役の世代だけでなく、第2の人生といわれる状況でも日常生活はこういう些細なことの決断で成り立っていると思いませんか?

閑話休題。
小ボケというのは、認知症の本当の始まりの段階です。誰にでもある前頭葉機能の正常老化に加えて、無為な生活の継続による異常な老化の加速(廃用性機能低下)が生じて、前頭葉機能だけがうまく働かなくなった状態なのです。通常行われる認知機能検査では正常域となるために専門家の間ではむしろ理解されていないというレベルの人たちです。
小ボケの人たちに対する生活指導の時、「定期的な運動の他、右脳中心の変化ある楽しい生活を工夫しましょう」という一般的な脳リハビリの他に「『何かを決める』状況をできるだけ多く作ってください」といいます。これは小ボケのレベル特有の指導です。中ボケレベルでも難しい課題ですし、大ボケではとても決断できる能力は備わっていません。

小ボケになると、決断に必須の注意分配力がうまく機能しませんが、その前段階の注意集中力や意欲も極端に低下しています。決断を求めると「どっちでもいい」「面倒」「任せる」という反応が返ってくることがほとんどです。
具体的に言うと
①「おやつは何にしますか?」
→「うーん…別に」「何でもいい」「太るからいらない(袋菓子のつまみ食いはしているのに)」
②「夕食は何が食べたい?」
→「何でもいい(作ってくれるだけでありがたいor作るのはあなたの仕事!」
③同じ服ばかり着るので「着替えたら?」
→「今更おしゃれしなくても」「何でもいい」「歳とるとあまり汚れない」
④久しぶりに外出に誘おうと「行きたいところはない?」
→「面倒くさい」「この暑い(寒い)のに」「外出は後で疲れる」
⑤居眠りばかりするので「何かやったら?」
→「後で」「今日は調子が悪い」「歳とると言うのは…」と言い訳を並べ立てる。


会話としては成り立っていることがわかっていただけますか?そばからみると何も問題はないような問答ですよね。
浅い状況判断は、多分習慣的なものとして残っているので、それなりの反応ができるのですが、誘っている側の真意が伝わっていません。だから小ボケの人のお世話をしている人は、やり場のない怒りに近いじれったさを感じることが多いのですが。
この状況を脳機能からみるとまさに脳の司令塔が万全に働いていない。
最初に書いた前頭葉の働き①~③が動いていませんよね?こういうふうに理解することは、その人を理解するうえで最も大切な近道だと思います。


前頭葉が元気がなくなっている状態で「比較」して「決断」を求めることはとても難しい課題です。簡単にしてあげる近道は「具体化」してあげることです。
①「スイカと水ようかんとどっちがいい?」より簡単にするなら現物を見せて選んでもらう。
②「今日は魚でいいかな?脂ののった○○の塩焼きか、さっぱりと白身の○○の煮つけ。」少しエピソードを足して選択をしてもらう。
または、スーパーに誘って売り場で見て決める。
③二枚出して、どちらかを選んでもらう。決まったら認めてほめる(最初の二枚は、どちらを選んでもほめられるものを用意しておく)。
④具体的に、「あそこのカフェでお茶を飲むのと、少し遠出して○○に行ってみるのとどっちがいい?」
⑤「パズルやってみる?オセロの相手をしてもいいよ。どっちがいい?」

言葉のレベルで「比較」するのではなく、より具体的にイメージできる状態を作ってあげる、その究極は目の前にある現物を比較して選択できるような状況を作ってあげることが一番簡単です。
それでも、まず上の空ではなくじっくり見てもらう、そのうえでシミュレーションまでいかなくとも、せめて好悪をはっきり感じて決めてもらう。こういうときに、とてもプリミティブですが前頭葉は動き始めます。小ボケは前頭葉が居眠っているようなものですから、こうして揺り動かしましょう。
最終的には前頭葉は、その人そのものなのです。十人十色といわれるときのその「色」が前頭葉です。何を選択し、何に感動し、何を作り上げるか、究極のところ何のために生きるのか…すべて前頭葉が決めていきます。そしてその前頭葉はどのように生きてきたかによって「その人らしく」できあがっていきます。
教えられただけではなく、実際に自分が行動して自分なりの評価も行って自分の色が深まっていくのです。
だから、認知症の第一段階、前頭葉機能だけが低下した小ボケの段階では自覚としては「自分らしくない」、そばの人の評価としては「○○さんらしくない」といわれることになります。
カテゴリー「前頭葉の働き」にはたくさんの症例をあげてあります。お暇なときには読んでみて、前頭葉機能と認知症の本当の始まりの状態を知ってほしいと思います。

by 高槻絹子




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