週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 食料自給

2012年01月20日 23時17分23秒 | たわごと(少し硬派に振って)
爽やかな原村の記事とは遠い世界の話です。
スルーするもよし、読むもよしで、自己責任で。


将来訪れるであろう食料危機。
食料自給率の極端に低い日本で、国民の生命を未来永劫にとまでは言わないが近い将来にあっても保つことが出来るのであろうか。
生物が生命を維持する為に必要な水、空気、光、エネルギー等を考える中にあっても究極の物。
それが食料である。
人類が生きていく上で欠く事の出来ない食料。

地球上で賄えることが出来る人類の数には限りがある筈である。
国連の世界人口白書によると昨年の10月に70億人に達したとの事。

生物の中にあって人類は動物である。
従って、自分で光や水や無機質な栄養素などを使って養分を作りだすことは出来ない。
これは動物は植物を摂取することからしかエネルギーなど栄養分を取り込めないと言う大前提があるのである。
動物は植物を摂取するか、動物が動物を捕食してしか生命を維持していくことが出来ないことである。
動物の生存の前提は植物の量に左右されるのである。

人間も動物であるから、植物を摂取するか動物を捕食する以外に生命を維持していくことが出来ないのである。
即ち、地球上での生育量によって動物の生存が左右されるのである。
人類もこの大命題を避けて通ることは出来ないのである。
太陽光に変わる人工光や灌漑設備などの向上で食料の増産が少しは増加するかもしれないが、経済的に折り合う場合のみで、且つ地球規模での生産量では微々たるものであるかも。

穀物や野菜などを食料として直接摂取するときと、鶏肉・豚肉・牛肉へと食べる物を変えるだけで鳥肉1キロ、豚肉1キロ、牛肉1キロ作り出すために必要とする穀物など植物を必要をする量が変わるとの事。
鳥肉で2キロの穀物を、豚肉で4キロ、牛肉で10キロなどと言われている。
穀物のみを食べていた国民が所得が上がり穀物から鶏肉へ、豚肉へ、牛肉へとステップアップしていくだけで、地球上で賄えられる人類の数は減少してしまうのである。
言葉を変えれば、少ない人口で食料の取り合いが始まるのである。
中国など後進国であった国が中進国になり先進国に所得水準が上がり、食料事情が変われば食料は益々逼迫する。
(食料を輸入することは、水を大量に輸入していつことに他ならない。また、エネルギーも大量に消費しているのである。この項は後日別立てで。)

地球の気候変動や地下水の枯渇(アメリカのコーンベルト地帯の問題)などで食料の生産量が将来もこのまま推移するかわ疑問である。
穀物の生産地域は世界的にも変動していくことは否めない事実である。
穀物などの生産地域が変わると言うことは、戦略物質に変化してしまう要素を食料は持つ事になる。
生命を他国の方針によって左右される時代がそれ程遠くない内に訪れることを意味している。
今、戦略物質として扱われる石油も以前は戦略的な物質ではなかった。
代替物質の無い食料は石油などの比ではない。
食料はそれ以上の戦略物質の地位を占めるのもそれ程遠い将来ではない。
戦略物質として扱われても、日本が困らない程度の食料自給率を上げなければ成らないのである。
日本国内でも耕作放棄地など許されない時代が来るのである。

中国、韓国は既に世界戦略にのっとりランドラッシュで世界に農地を確保しているのである。
日本国内での自給率が低い上に尚且つ、ランドラッシュで農地の取得自体遅れを取っている日本。
どんな政策と取っても食料自給率を上げると共に円高に物を言わせてランドラッシュに勝ち抜かなければならない。
コメント
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