週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#277 -’15. 今日の出来事(9月11日)

2015年09月11日 20時49分02秒 | 日常の出来事(日記)
タイトルが何処かの放送局のニュース番組のようですが。
語彙不足で気の利いた物がうかびません。
少しよっぱらって。

今日は市の定期健康診断で病院に行ってきた。
昨年行った同じ病院だ。
検査の継続性を保つために同じ病院にいった。
事前予約も必要としないし、チャリで行けるので運動がてら10分一寸漕いできた。
人間ドックに行った日からそれ程経過して居ないので急ぐ必要もなかったが、取り敢えずと言ったところか。
本来の目的は肺炎球菌の予防接種が主目的である。
ならば、ついでに健康診断もと言う事で行ってきた。
健康診断は予約は必要ないが、肺炎球菌の予防接種はワクチンの関係で事前予約が必要である。
その関係で本日になったのである。
総合病院で良く囁かれること。
三分の診療に一時間の待ち時間。
体調が悪くて熱がある訳でもないからして、気長に待つ積りでいった。
でも、心電図・採血など全てが完了して最後の医師の問診である。
一時間またされてしまった。
いい加減うんざりする。
検査の度毎にその前の待合室に待たされてきたうっぷんもある。
最後の最後に長い待ちぼうけである。
沢山の方が待っている待合室でご婦人が話しかけてきた。
右も左も顔見知りの地方の小さな診療所ならいざ知らず、右の人も左の人も面識ない所での会話である。
個人のプライバシー的な事は話したくないし、聞くのも失礼と思い相槌を打つ程度で居たが熱がこもってくるご婦人。
相槌程度では失礼なので、時々新しい話題などに触れて会話した。
その中に今日の待ち時間の長さのヒントがありました。
ご婦人曰く「昨日までの雨の為、本日迄通院を伸ばしていた。」とのこと。
緊急性を要しない人が晴天の本日に多く押し掛けたようだ。
でも、定期的に通院している人は予約日と時間が決められている筈。
それでも、今日は爽やかな秋晴れである。


午後に予約してあったカーナビのデータ更新に行ってきた。
年間のメンテナンス契約がしてあるので、少し安くなった。
値が下がるのは嬉しい物だ。
これで、他人の家の上を走る事は少しは少なくなるかも。


○ 堤防決壊にともなう救援活動に思う事。
一時を争う状況下のヘリコプターでの救援活動は心底感動してその活動に感謝する。
しかし、寸分の時間を争う必要もない所へのヘリコプターでの救援が必要なりやと疑問を抱いた次第。
ひねくれ者のブログです。

少し違った視点から。


ヘリで救援する順序もトリアージしている筈である。
即ち緊急性の有無により順位を付け、間違っても救助し易いなど恣意的な判断に依っていないはず。
ライブでのTV放送です、これ程国民にアピールする画像はありません。
その組織の絶好のパフォーマンスの見せ所です。
でも、そのことが必要以上に危険を冒しているのではと思った次第です。
一歩間違えれば大惨事です。
ヘリの特性からローターは必ず二つ以上必要です。
一つでは本体の上のローターが回ればその反作用として本体が反対方向に回転します。
子供のころ模型飛行機(ゴムを動力としてひご材に和紙を張った)を造った方は簡単に想像できるはず。
ゴムを巻き本体を持って空に投げると飛んで行く飛行機。
反対に先端のプロペラを持つと本体が回転する。
小さくても大きくても原理は同じ物理である。
ヘリコプターの本体のローターを回転させて本体の安定を保つために小さなローターが本体最後部に付いてその回転を打ち消しているのである。
さもなくば静止どころか飛ぶことすらできないバランスの上に成り立っているヘリである。
このローターが電線に接しても、本体上部のローターが他の構造物に接しても大事故になるのである。
狭い劣悪な環境下で熟練の卓越した技術で人命救助に奔走してくれた隊員諸氏に敬意を表する。

提案がこれで終わらないのがひねくれ者のブログです。
緊急性も危険を冒す必要性も認められたい方達までヘリコプターで救助する必要があるのでしょうか。
より安全な方法、ボートで大量に安全に救助する事が出来るのに、その方法を使わなかった事に疑問を感じてならない。

日赤の水難救助員の資格を取った時言われて心に残っている言葉がある。
『溺れ掛けて居る人を見かけて助けに行く為、水に入るのは最後の手段だと。』
他の有効な方法が有ればその方法を採るべきだと。

今回の救助に当たりその功績も活動を否定するものではない。
しかし、TV放映の為大切な判断が鈍り、何により救助に向かうのが最善かとの判断がなされたのか少し疑問に感じた。
救助とは一時を争う物と急がない物を検証すべきである。
救援する隊員も、救助される被災者にとっても重要な事と思えてならない。
二次災害を起こすことなく大活躍した隊員諸氏に感謝する。

今回の災害で亡くなった方への哀悼と、行方不明の方達の一日も早い生還を望んで。


数日前に送られてきた封書です。
国境なき医師団に興味のある方は是非こちらを開いて見てください。
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§ イルカ&クジラ食と猫&犬食について

2015年09月11日 18時02分31秒 | たわごと(少し硬派に振って)
あなたは猫派ですか?
それとも犬派ですか?
こう尋ねられると、猫を飼って居る人は猫派と答えるとおもいます。
犬を飼って居る人は犬派と。
愛玩動物(ペット)の世界では10年以上前から猫も犬も伴侶動物と呼ばれるようになりました。
猫も犬も大切な家族の一員として(過保護に)育てられています。
時に依っては子供の発達期の情操教育を兼ねて生き物と接して命の大切さを学ぶと言う事で。
時には子供の居ない家庭にあっては、我が子の代わりに愛情の対象物として。
時には成長して親元を巣だって行った我が子の後の愛情を注ぐ対象物として。
理由はどうあれ犬も猫も大切な家族の一員である事に変わりありません。
亭主に優しい声を掛けずとも、愛猫、愛犬には優しい声で話しかけます。
それは猫も犬も飼い主にとっては、愛情を注ぐ掛け替えの無い対象物だからです。
そんな愛犬家&愛猫家にとって、犬や猫の命を安易に奪う行為に同意できますか。
それこそ、その掛け替えの無い生き物の肉を食べる国があるなど信じられますか。
お隣の中国や韓国、朝鮮では未だ犬の肉を食べる地域があるようです。
NHKBS1で中国でのチベット犬人気の衰退後の(チベット犬の処分を兼ねて業者が秘密裏に買い求める)犬食の被害を防ぐ活動が行われていた。
大多数の日本人からすれば、犬の肉を食べるなど野蛮もこの上無いと思うのが一般常識のはず。
過去から延々と続いた犬食文化など通じません。
犬を食べるなど人間としてあるまじき行為と映るのが一般先進国です。

既にイルカもクジラも人間と同じ感情豊かな哺乳類としてペットではありませんが、伴侶動物と変わる事の無い対象物なんです。
この事を日本人は理解して居ないのです。
過去にクジラ肉を食べて育った食文化があるなど食べる事への理由付けにはなりません。
犬食文化と変わる事のない野蛮な行為として先進的な諸外国には映るのです。

日本に於いて過去の哀愁、思い出としてクジラ肉ないしはイルカの肉を食べたいですか?
クジラの肉を食べる事ができなくても困る事など微塵も無い筈です。
栄養的にもクジラ肉&イルカの肉を食べずとも、世界に誇る日本食が有るではないですか。
世界の常識に反発して調査捕鯨を行い、イルカの追い込み漁をする必要は無い筈です。
それとも頑固に主義主張をして、世界の常識をわきまえない野蛮な異端児とのレッテルを張られたいですか。
捕鯨をしない国がIWCに多く参加して、持続可能な食物としての捕鯨活動が禁止されたなど、既に次元の違う話なのです。
クジラやイルカは猫や犬と変わる事の無い対象物としての地位を確保しているのです。
如何に学術的に反論しようとも、如何に理論的に反論しようともその議論は嚙み合う事は永遠にないのです。
日本人はこの事を理解して居ないのです。
既に議論の場は理性では無く、感情の場であり情緒の場なのです。
勝ったまけたの世界では有りません。
日本がこれから世界でどんな位置に立ちたいか、世界の人達にどのような影響を与えたいかの問題なんです。
理論で勝って、世界から野蛮な国民であるとの蔑みを受けたいですか。

産業形態も時代と共に変遷していきます。
クジラ漁で生計を立てずとも、イルカ漁で生計を立てずとも日本経済はその人たちを立派に吸収していく奥の深さをもっています。
転業し、他の漁で生計を立て世界に誇れる地球上の動物にも目が行き届く暖かさを持った日本人と賞賛される地位に就きたいものです。

先日の雑感で述べましたが、太地町のイルカ漁の解禁のニュースを目にし、調査捕鯨の船が出港したとの報道を目にして再度アップした次第です。

【雑学】
以前、基礎医学・薬学の分野で実験動物と言えば猿類や犬などが使用されていた。
獣医学の講座でも実験動物学が存在した。
人間の命を守る貴重な医学薬学の世界ではどうしても、事前の臨床実験に先立ち動物実験が必要である。
今は高等な動物から下等な動物へと対象を変えていっている。
動物に対する倫理観の変遷の成せる業なのである。

犬の世界で言えば、あの靴の宣伝で一世を風靡したビーグル犬が多用された。
多用されたと言うより、実験動物の犬と言えばビーグル犬を指した。
忍耐強く、実験動物には最適な性格が災いしてしまったのである。
でも、今は如何に人間の命を救う為とは言え、高等な猿や犬に頼る事を極力回避しているのである。
それ程、動物にも人権と変わる事の無い権利を認めようとするのが世界の趨勢なのである。
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