雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月15日(月)夜 仕事中は大雨でした 

2010年03月16日 04時35分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月15日(月)夜 仕事中は大雨でした

 昨夜は、里山喫茶のスタッフ会議で、妻のN子さんといっしょに遠鉄電車に乗って浜北へ。
 曳馬駅から浜北駅まで、片道230円です。
 車であれ、電車であれ、家ではあまり話す時間のないので、こういう行き帰りの濃密な時間がすごくうれしいです。
 里山喫茶スタッフ会議では、毎回、フレッシュにバージョンアップして行こうねという角度でいろいろ話をしました。

 深夜、仕事の時間は、大雨で、あちこちで側溝や水路から雨水があふれて、道路が冠水していました。
 うっかり、車の速度を落とさずに入ると、すごい水で、慌てて、速度を落として、道の真ん中に路線変更をしたところが何カ所もありました。

 昔は、入野の雄踏街道と、新津の2カ所で、冠水して、車が通れない箇所があったのですが、改善して,今はいいようです。

 地球温暖化で、集中豪雨も増えています。対策も考えないと。

 「止まない雨はない」
 「明けない夜はない」
 「終わらない仕事はない」のですが、今日も、早朝、仕事が終わる頃に、雨があがってしまって、すごいしゃくですね。

 ずぶ濡れになって、下着まで濡れて帰宅したら、玄関に、タオルと「お風呂場に着替え置いてあります」というN子さんのメモがあって、感激しました。ありがとうございます。

 
 
 

本と映像の森14 小松左京・一色登希彦『日本沈没 2』

2010年03月15日 05時05分51秒 | 本と映像の森
 小松左京原作・一色登希彦『日本沈没 2』<ビッグコミックス>、小学館、2006年8月1日初版第1刷、206p、524円+税

 新宿「雑居ビル消滅」事件から始まった事態の流れを追う、マッド科学者の田所さんに、それを嗅ぎつけた新聞記者「A新聞」の辰野さんは、その現場で言います。
 「マスコミに正義なんてものありゃしませんよ。ぼくは好奇心でのみ動きます」

 「好奇心でのみ動きます」、いいですね。ぼくの人生はそのとおりで。正しいかどうか、ではなくて、おもしろいかどうかで、生きてきたような気がします。 

 田所さんは言います。
 「その好奇心は本物か?君はどこまでその身を捧げて動いてゆけるかね?」「なるほど、吹けば飛ぶような正義感などジャマだ。むしろ、強い意志なら世界を忌み嫌う悪意によっていてもかまわん!わしらが手を貸そうが貸すまいが、君自身のカンを信じて動いてみるといい。それがやがて意味のあるものになるかどうか、わしの方こそ、知りたいのだ。」

 同じ海底探査会社の小野寺さんは、依頼者となった田所さんとM大の幸長助教授と3人で日本海溝に潜ります。
 日本列島の奥の背骨の、深度1万メートル。
 そこで3人が見たものは!

資本論の学習4 商品の交換価値(現象形態)と価値

2010年03月15日 04時08分26秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習4 商品の交換価値(現象形態)と価値

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第4回目です。
 今回から価値とその「現象形態」である「交換価値」の考察に入ります。

 マルクスさんは言います。
 「交換価値は、さしあたり、1つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち、比率として現われる。それは、時と所とともに絶えず変動する関係である。」(新日本新書①p62)
 
 そして「ある特定の商品、たとえば」300リットルの「小麦は、X量の靴墨、Y量の絹、Z量の金などと、要するにきわめてさまざまな比率で他の商品と交換される。」
 「それゆえ、こういうことになる。
 第1に、同じ商品の妥当な諸交換価値は1つの等しいものを表現する。
 しかし、第2に、交換価値は、一般にただ、それ【交換価値】とは区別されるある内実の表現様式「現象形態」でしかありえない。」(p63)

 「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
 同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
 注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。

 「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)

 正確に雨宮流に翻訳して「使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であり、相異なる量かあるいは同じ量であるが、交換価値としては、なによりもまずまったく同じ質であり、相異なる量である」という風になりますか。
 
 つまり 使用価値は 異なる質 異なる量か同じ量
     交換価値は 同じ質  異なる量か同じ量

 交換価値で「同じ質、異なる量」と私が規定するのは、等号「=」で結んだ等式「300リットルの小麦=akgの鉄」という場合には、小麦の交換価値と鉄の交換価値は、等式の左右で同じ量でなければならないからです。

 この交換価値の「質」をマルクスさんは、次のパラグラフでこう解説しています。

 「そこで、諸商品の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、1つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。」(p64)

 やっと、労働生産物という、商品を生産する労働の問題が出てきました。以下、続きます。

(お知らせ)一度投稿した原稿を後で見直して修正している場合があります。そういう場合は明示してありませんのでご注意ください。

雨宮日記 3月14日(日) 札幌の介護施設火事で7人死亡

2010年03月15日 03時56分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月14日(日) 札幌の介護施設火事で7人死亡

 3月13日(土)に、札幌のグループホームの火災で7人のお年寄りが亡くなりました

 妻のN子さんは、現在、浜松のあるグループホームに介護職員として勤務しているので、今日は遅番(午後8時までの勤務)で帰ってきて、火災の話になりました。
 
 防火体制、消火用のスプリンクラーの設置などの問題もありますが、そもそも、夜間に認知症のお年寄り9人を職員1人でみているという職員数に問題があるのでは、という話になりました。
 大地震とか火事とかあっても1人で緊急に認知症のお年寄り9人を避難させるなど,無理な話です。
 N子さんは以前は保育園の保母さんだったのですが、年長児9人を1人の保母が誘導して避難させることはできるでしょうね。でも赤ちゃんだったら、無理ですね。

 保育園でも、定員を緩くして、園児を詰め込む計画もあるようで、赤ちゃんからお年寄りまで、「詰め込み」されて、不幸です。

 こんな死に方や生き方はひどい、いやです。
 誰もが幸せに生きて、幸せに死ねる社会をつくりたいです。

 いや、ごめんなさい,違いますね。訂正します。
 「つくりたい」なんていう願望ではないです。
 妻のN子さんなどの、ほんとうの仲間といっしょに、誰もが幸せに生きて、幸せに死ねる社会をつくります。

 

人間・心・集団2 自尊心と自負心

2010年03月14日 22時49分35秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団2 自尊心と自負心

 妻のN子さんとの会話から考えました。
 N子さんの知り合いに、自分もプライドの高い人で、自分の夫は他人より出世して偉い人だという感じの人がいるそうです。
 
 英和辞典を引いて「「プライド」って優越感とか自負心とか、ほとんど悪い意味なのね」「よく子供の自尊心を育てなさいというけど」と言うのでぼくは考えて答えました。

 「自尊心は大事だけど、それが変質して自負心、他人に負けないというマイナスの精神になるんじゃない?大事なのは、正常な自尊心がどうして曲げられて自負心や優越感になるかっていうことだと思う。そういう変質のプロセスを学習すれば、そうならないのじゃない?」
 
 「正しい自尊心が変質していくのは、正常ではない支配や従属の人間関係、差別や格差を受け入れてしまってあきらめて生きていたら、精神も変質していくと思うけど」

 その人はN子さんに「あなたは自分を持っていていいね」と言ったのだそうです。その人は、まだ見えているけど、もう自分を元にリセットして自分を自由にする余力はないのでしょうね。

写真は浜北区・不動寺の仏さまです。リラックスした、いいお顔でしょ?自分の心をきちんと持っているという感じです。

むかしの人は(いや、今生きている人も)、揺らぐ自分、自信のない自分、他人と比較してしまう自分を認識していて、そこから抜け出るためにも、神仏に祈って、自分の確立を願ったのではないでしょうか。

雨宮日記 3月13日(土) ツクシがでたよ もう春だ

2010年03月13日 13時56分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月13日(土) ツクシがでたよ もう春だ

 馬込川の土手にツクシがでていました。
 「ツクシが出たよ~ もう春だ~」という歌なのか、メロディを覚えているのですが、何の歌なのか、わかりません。

 ツクシはスギナの胞子茎で、地下でつながっています。
 一説では、スギナにくっついているので「付く子」、それが「付く子(つくし)」と変化したという節もあります。

 スギナは「トクサ科」のシダ植物で、地球の歴史では古生代のデボン紀にさかのぼるシダ植物の末裔だとされています。
 デボン紀は4億年前前後の時代です。
 ぞして、なんと、スギナには「精子」があるんですね。
 
 一般的に言うと、古生代=シダ植物の森、中生代=裸子植物の森、新生代=被子植物の森、ということになるでしょうか。
 そういう地球史を背負って、今年も、ツクシが土手に顔を出しています。

 4億回も繰り返してきたんでしょうか。
 4億回=400000000回!

 ツクシは、古語では「ふでのはな(筆花)」とも呼ばれ、漢字では「土筆」と書きます。土の筆ですね。

 古代九州の全体を「筑紫(つくし)」と呼ぶのと関係あるのか、ないのか、わかりません。
 「筑紫」は「うつくしい」からきているのかどうかも。
 なお、「隋書倭国伝」には「竹斯国(ちくしこく)に至り」(岩波文庫版p43)とありますから、本来は九州は「つくし」ではなく「ちくし」だったことになります。
 これでは、ますますわかりませんね。


哲学の学習12 「質」とは何なんでしょうか

2010年03月13日 04時36分18秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習12 「質」とは何なんでしょうか

 「質」とは何かというと、たとえば森宏一さん編著『哲学辞典 第4版』(青木書店、q1971年初版、1987年第4版)では、「質とは性質のことであり、事物はすべてなんらかの性質をもって存在し、これによって一物は他から区別される」(p181)とあります。

 つまり、たとえば「本」と「パンフレット」の違い。どっちも「出版物」には違いないけど。

 同じ質の「人間」でも、「男」と「女」とは違うとか。

 日野原さんの著書『いのちと生きがい』青春出版社、では、こう書かれています。

 「命を救うとは、ただ命を長く延ばせばいいわけではなく、質が問われます。
 「ただ生きることでなく、よく生きることこそ、何よりも大切にしなければならない」これは、ソクラテスの言葉です。(『プラトン全集 クリトン』)」

 日野原さんとソクラテスさんに、共感します。

 写真は、N子さんの妹から送ってもらったミカン類。微妙に質が違います。
 

雨宮日記 3月11日(木) 寒い日でした、寒い訪問販売人

2010年03月12日 04時00分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月11日(木) 寒い日でした、寒い訪問販売人

 寒い日でした。暖かくなったり、寒くなったり、気温の上下が激しいです。
 馬込川のカモも、シベリアへ帰るべきか、もう少しここにいるべきか、迷っているのでしょうか、まだ残っています。

 午後、家にいて台所にいたら、玄関のチャイムが鳴って、今日は仕事が休みで家にいた次女が応対に出たようなので、まかせて、出て行かずにいました。
 次女がプンプンして台所にきて、「家のリフォームのセールス、断ったら、「娘さん1人で断ってもいいんですか」って、言うんだよ!」と怒って、無理矢理置いていったチラシをゴミ箱に捨てていました。
 
 他の家では、娘が親に聞かずに判断をすると、親に怒られる家もあるんでしょうね。

 そのセールスを断っていいかどうか、1人で判断できないようでは、20代の大人の女性としても困るでしょう、と私としては思いますが。

 家族は「支配ー被支配」の関係ではありませんから。
 あ、違いますね。訂正します。正確には、
 「私たち、雨宮家、家族は、「支配ー被支配」の関係ではありませんから。」

 もちろん、家族の誰であれ、娘であれ、私の父であれ、妻のNこさんであれ、間違っていると思えば、率直に指摘しますが、それは「怒る」とか、そういうことはありえません。

 判断し,決定するのは、それぞれの個人ですから。


 

 

本と映像の森13 A・C・クラークさん『2010年宇宙の旅』

2010年03月11日 04時25分47秒 | 本と映像の森
本と映像の森13 A・C・クラークさん『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房

 「宇宙1」の続きです。
 今年は、ガリレオ・ガリレイさんが、望遠鏡で、木星の4大衛星を発見して、ちょうど400年の年です。

 その木星周辺を舞台にして、私の大好きなSF作家・クラークさんが書いた、『2001年宇宙の旅』の9年後の続編です。

 数日前に、ちょっと時間の空いたときに行く、家の近くのイケヤ高林店で、見つけて衝動買いしました。
 なにしろ、帯に「ついに2010年到来! 巨匠クラークが描いた未来に人類は到達できたのか?」です。

 映画にもなっています。
 私は、どっちかというと、一般的に言って,映画の方が情報量が少なくて、文字による小説版の方が、情報量も・解釈の余地も多くて好きですね。
 たとえば、マイケル・クライトンさんの「ジュラシック・パーク」でも、そう思いました。

 謎の石「モノリス」は、1対4対9の石碑です(もちろん材質は石ではないです)。

 モノリスは、謎の宇宙文明が、地球を監視し制御するために残したものです。
 そのモノリスの1個目は、地球のアフリカの人類発祥の地にあって、2個目は、月のチコ・クレーターにあって、3個目は木星の衛星軌道上にあります。

 その宇宙文明は、物質的な形を持たない、純粋生命体で、というクラークさんの想像の描画は、クラークさんの代表作である『都市と星』の最終章で描かれた銀河系文明が生み出した失敗作「狂った精神」と成功作「ヴァナモンド」に描かれ、もう1つの代表作『幼年期の終わり』で地球人の子どもたちの行く末として描かれています。
 
 この作品も、地球文明と、宇宙文明の、接触のかたちの、いろんな物語の一つになると思います。
 幸福な接触、不幸な接触。
 
 象徴的な話は、原題が「スペース オディッセイ」ということです。
 ホメロスの歌う「オデッセイ」伝説は、ギリシャと異文明の接触と変容の物語だと思いますが、宇宙のオデッセイ物語は、地球文明と異質な宇宙文明の接触と変容が、はたして、可能か、幸福か、崩壊か、という話だと思います。

 2つ目は、人間とコンピューターの相克です。ハル9000ですね。
 ハルの運命に、救いを感じました。
 人間とコンピューターは、信頼しあえると思います。
 
 3つめは、地球人類と太陽系内の他の惑星・衛星の生命との接触の可能性です。
 木星の衛星、たとえばエウロパは、氷の表面の惑星ですが、氷の下に海があることは確実になっています。
 このエウロパの氷の下の海で進化した生命を1980年代に描いたのが、この作品です。

 ぼくの生きているうちに、エウロパの海の下に潜る「深海探査」が実現するといいな。

 

宇宙1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年

2010年03月10日 04時15分35秒 | 人間・生命・宇宙
宇宙1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年

 今年は2010年です、と大声で言うほどのことでもないかな?
 もちろん西暦です。
 今年は、平成22年、と言われても、なんの地球的意味もないですから。もちろん、日本的伝統を軽蔑するつもりはありません。
 地球的・宇宙的意味と、日本的伝統は、対立するものではなく、相補的なものだと思います。
 
 深海生物学者の長沼毅さんが書いた『生命の星・エウロパ』(NHKブックス)の冒頭の「第1章 エウロパの海」に、書かれているエピソードです。

 400年前の1610年1月7日、イタリア北東部の都市パドヴァで、夜空に輝く木星に、望遠鏡をむけたガリレオ・ガリレイさんは、木星の回りに、小さな、小さな、4つの星を発見しました。

 これが、惑星(プラネット)の周りを回る衛星(サテライト)の発見の最初です。

 ガリレオ・ガリレイさんは、木星の周りをまわる4つの衛星は、太陽を回る地球、地球を回る月の、ミニチュアモデルであると理解したのです。

 ここから始まって、ルネッサンスの崩壊していく時期に、ガリレオ・ガリレイさんは、コペルニクスさんの「地動説(太陽中心説)」に同調し、当時の権威であるローマ法王庁の「天動説(地球中心説)」に反対したために、宗教裁判にかけられてしまいました。

 400年前って、すごいですね。

 ガリレオ・ガリレイさんにすれば「そんな400年後のことは、ぼくは知らないよ。想像もできない。ぼくは、とにかく、今を必死に生きているんだから」ということでしょうか。

 今年2010年の400年後は、2410年です。

 ローマ・カトリック教会が、公式にガリレオ・ガリレイさんの「地動説」を認めたのは、いつかと言うと、なんと、1992年で、わずか18年前です。

 ぼくは小さい頃から天文マニアだったので、高校では地学部天文班でした。

 たぶん、中学生頃かな、小さな望遠鏡で、初めて、楕円形の輝く木星の周囲に、4つの小さな衛星を見たときの感動を思い出します。

 4つの衛星、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストのことはまた書きます。




 

哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先

2010年03月10日 04時03分50秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2

 量と質、あるいは質と量は、相補的な概念として考えられています。
 (相対立する概念という言い方・考え方もあるかもしれませんが、私はそういう「対立物」ではなく「相補物」として考えたいと思います。)

 では、人類の認識の歴史では、量と質、質と量、どちらが、先に認識されたのでしょうか。

 量とは、たとえば、1つ、2つ、というように、「数詞」=「言語」なしには、とらえられません。
 分離量であれ、連続量であれ、「数える」ことなしには、認識できません。
 
 でも、質は、たとえば「涼しい」「暑い」「でかい」「小さい」「丸」「四角」「植物」というように、言葉なしのイメージとして認識できるのではないでしょうか。

 あるいは、「なんかいやだ」「逃げないと」「心地よい」「好きだ」「嫌いだ」という感情。

 言語をもつ段階以前の人類、あるいは神経と脳のある動物たちは、みんな、「質感」を言葉としては表現できなくても、感覚しているのではないでしょうか。

 ですから、量よりも,質の方が人類の認識史から考えても先ではないでしょうか。


雨宮日記 3月7日(日) 早春の喫茶店でわらびもち

2010年03月08日 23時48分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月7日(日) 早春の喫茶店でわらびもち

 しゃれた喫茶店で,妻のN子さんが注文して食べたわらびもちです。

 この透明感と、プルンプルンした食感がなんともおいしいんですね。
 
 ほんとうの「わらび」から造っているかどうかですが、実は、他の植物の代用粉である場合がほとんどのようです。

 早春の象徴であるワラビ(わらび)ですが、やはり『万葉集』の、志貴皇子のこの歌でしょうか。
 
 石激(いわばし)る 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の 
 萌え出(もえい)づる 春になりにけるかも

 

雨宮日記 3月6日(土) ゴミ環境ネットの総会でした

2010年03月08日 23時34分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月6日(土) ゴミ環境ネットの総会でした

 午後は、N子さんといっしょに車でなゆた浜北へ行きました。
 市民団体「静岡県西部ゴミ環境問題ネットワーク(略称 ゴミ環境ネット)」の第9回総会に参加しました。
 会場で,ミニ写真展「里山の小さな生命たち」もやりました。
 少人数でしたが、浜松氏のレジ袋・ごみ袋などのごみ問題について,充実した討議でした。

 今日は啓蟄(けいちつ)、地中に潜んでいた虫たち(「蟄」)が地上に「啓」かれて出てくるという日です。
 里山の小さな生命たちも活動を始めています。

 夜は家へ戻って夕食を一緒に食べると、N子さんは、すぐ、介護福祉士の実技試験でまた名古屋へ。会場の今池駅近くのビジネスホテルへ泊まって、明日朝早くから試験です。
 うかるといいな。



 

本と映像の森12 羽仁五郎さん著「人間の死について」

2010年03月08日 22時56分02秒 | 本と映像の森
本と映像の森12 羽仁五郎さん著「人間の死について」青木書店、1967年初版

 生と死を考えるシリーズです。
 昔読んだ『羽仁五郎歴史論著作集 第2巻』がでてきたので,紹介します。たぶん図書館か古書店でしかみれないと思いますが。

 羽仁五郎さんは、戦争に反対して逮捕もされた歴史学者で戦後、参院議員にもなった人です。

 1946年に書かれた「人間の死について」(p123~148)は、レッシングさんの「死は眠りの兄弟である」という言葉を紹介しています。

 イギリスの学者パセヴィさんは論文「死者の埋葬」(1920年)で、原始人においては死者は死んでしまったのではなく、生き続けているのであり、墓は死者を埋めるとことではなく、生きている人の隠れ家、天国の楽園であるとしました。

 また、ドイツの医師で中国に派遣されたペルテスさんは、たくさんの患者の死を看取った経験から、自然死は苦痛なきものであることを指摘し、「われわれの時間の尺度にとっては種はつねに若くあることができる。若い新しいものがつねにあらたに生まれるからである。若きもののために、老いたるものはわかれ去っていかねばならぬ。そして、老と死はあれあゆる生命の必然の性質とみなされねばならない」としています。
 
 ドイツのレッシングさんは、古代ギリシャや古代ロマを研究して「古代人は死をいかに描いたか」という論文を書いています。
 レッシングさんは、古代ギリシャ人は死を眠りの兄弟として歌っていたことを発見し、古代人にとっての死の神は、小児の姿をして命のたいまつやラッパをさかさにした愛らしい天使であることを紹介しています。

 そして、原始人・古代人においては、死は恐るべきものではなかったのに、共同社会が崩壊し私有財産制が発達していくとともに、もう「個人は、自己の行動が、社会の中に、普及の生命をもつということを、もはや考えなくなったが、しかも完全な死滅という、かれにとってたえがたいものであった。かくて」「死に対する恐怖が生まれた。怯懦が根をはり、死は妖怪となった。」と。

 写真は、早出町の薬師堂にある「地獄図」の一部分です。
 

本と映像の森11 柿田睦夫ほか『宗教のないお葬式』

2010年03月07日 22時10分18秒 | 本と映像の森
本と映像の森11 柿田睦夫ほか『宗教のないお葬式 ~考え方・実例・手引き~』文理閣、2010年1月発行、A5版、160p、1500円+消費税

 私と妻のN子さんは、3年前の私の母親の死と葬儀で、「自分たちの葬儀は」「もし私が先に死んで,N子さんが葬儀をとりしきるとすれば」「もしN子さんが先に死んで、私が葬儀をとりしきるとすれば」と言うことを想定した時から、自分たちの葬儀あるいは告別式を考え始めました。

 「葬儀社にいわれるがまま、無我夢中で過ぎてしまった」とか「悲しむ時間もなかった」「そんな後悔をしないために」この本を読んでみました。

 著者は書いています「この本は「無宗教葬儀」のすすめではありません。つまり、宗教葬儀否定論の立場にたってはいません。」
 そして「「自分らしさ」そして残された者への「思いやり」」を強調しています。そこに共感します。

 豊富な実例や、実際の式次第の例、一人ひとりが書き込める「エンディングノート」があって、考え始めるスタートにしたいと思います。

 いろいろな「音楽葬」や曲を紹介しているのも参考になります。
 私の「別れの式」だったら、やっぱりショパンさんのピアノ曲かな。

 最後は、荒木栄さんの「花をおくろう」かな。私とN子さんの結婚の始まりは、無宗教の会費制手作り結婚式で、合唱団の仲間が「花をおくろう」を歌って、結婚をスタートさせましたから、結婚の終わりも「花をおくろう」で閉じたいな。

 1960年代の北九州での炭鉱闘争とうたごえ運動のなかで創造された歌です。
 「吹雪(ふぶき)の夜を 歩いてきた」に始まって
 「花を贈ろう オレンジの」で終わる歌です。
 
 いちばん希望するのは、ぼくの「別れの式」に集まった「旅の仲間」たちの声で「花を贈ろう」と歌ってもらうことかな。
 もちろん、CDでもいいです。

 あと、いくつか紹介したい数字とエピソードです。

 (p36)今の日本の葬儀費用の総額は2003年で平均237万円で、内訳は葬儀社への葬儀一式で120万円くらい、飲食接待で40万円くらい、寺院等へ70万円くらい、という相場のようです。
 また時間があったら、雨宮家の場合、実際どうだったか、アップしたいと思います。

 (p36)2007年の日本人の年間死亡者数は、110万8334人でした。

 (p140)日本で最初に無宗教の「告別式」で送られたのは、明治の自由民権運動に参加した中江兆民さんで、私と同じ唯物論者で無神論者でした。
 中江さんは、高知県出身で、フランスに留学し,ルソーの『民約論』を日本語に訳し、「東洋のルソー」とよばれました。1890年の第1回総選挙に大阪で当選しましたが、議会の腐敗を強く批判して辞職しました。
 「余は断じて無仏,無神,無精魂,即ち単純なる物質的学説を主張する」という人です。
 1901年に亡くなった時に、家族に「葬式不要。すぐに火葬場に送り荼毘(だび)にふすこと」と遺言しました。

 困った家族が自由民権運動の同郷の指導者だった板垣退助さんに相談して、宗教をともなわない「告別式」という言葉を考えて,新聞に公告した、ということのようです。
 板垣さんは、自由民権運動の高揚期の1882年(明治15年)に反対派に襲撃されたとときに「板垣死すとも自由は死せず」というかっこいい名セリフをはいた人です。

 中江兆民さんは、咽頭がんで「余命一年半」という通告を受けて、遺書として『続一年有半』を書きました。