自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

少ない友達

2010-07-17 | 体験>知識

友達と遊んだ記憶があまりない。
左隣に野尻さんちがあったがどんな家だったか憶えてない。
こどものアシには遠すぎたにちがいない。
それでもHIROMICHI兄妹を友達と意識していた。
おマンちゃんという可愛い響きの言葉を憶えた。
右隣の西川さんちにはこどもだけで行き来していた。
YU-JI兄妹のことはすでに2回触れた。
農場内に契約農家が2軒あったがどんな家族だったか憶えていない。
わが家には雇いの若い独身男性が賄い付きで入れ違いで住み込んでいた。
ジャイールはフットボールの好きな明るいかっこいい黒人でわたしは彼になついていたから色々教えられたはずだ。
後に恋人を連れてお披露目に来た。両手首に包帯を巻いていた。
恋人を巡って争いになりダガー短剣で刺されたとき交互に腕で受けたそうだ。
母に好物の味噌をねだって持ち帰った。
もう一人は真面目な働き者のドイツ人だった。
南米には敗戦したナチスドイツの残党が逃れてきて隠れたから、彼もその一人だったかもしれない。
黙々とよく働いたので彼が給料に不満で去ったとき父母はとても落胆していた。
友達遊びが少なかったことが孤独、孤立を厭わない、独立、自立、自律を好む性向を育んだと振り返っている。