戦争が終わった時わたしは6歳だった。
もともと大密林の中の点と線のような開拓地に育ったのだから情報孤絶は仕方がない。
その上日本人は敵性外国人だから政府の情報統制、いや遮断があった。
日本からの手紙、映画、書籍をふくめてすべての文物が輸入禁止になった。
そんな中でわたしはどのようにして文字を獲得したのだろうか?
このころ文字をみたという記憶がまったくないので自分でもわからない。
10歳前後の次期のレンガ瓦工場(オラリア)期にはさかんに雑誌を読みあさった記憶があるから開拓地でも家にあった古雑誌で字を覚えたにちがいない。
もちろんどこの家庭でもあるように親が夜こどもに読み書きの手引きをすることもあっただろう。
オラリア期の記憶では、大人の大衆雑誌キングと婦人倶楽部を隅から隅まで読んだ。
大陸侵略期の古雑誌だから中国人蔑視の漫画や戦記、時事解説、日常の処世術、連載小説(時代物、現代物)等なんでも読んだ。
開拓期も同じような書物を読んだにちがいない。
表紙を破くことから始めたようだ。記憶にある雑誌は表紙がなかった。
情報過少、一人遊びの環境だから眼前にあるモノすべてを利用しつくした。
どちらの時期のことか定かでないが日本人社会で出回っていた薄っぺらな相撲マガジンを繰り返し読んだ記憶がある。
大相撲ではなく移民社会の素人相撲である。
毎回、四股名で番付や記録、解説が載っていた。
文化に飢えていたからスポンジが水を吸うように数少ない情報をすべて吸収した。
情報の海を見たことがなかったので数少ない情報を深く追究する姿勢が身に付いたように思う。
尽きることのない好奇心も環境の賜物だったと思う。
ところでどうして漢字がすらすら読めるようになったのか?
当時の大衆雑誌は例外なくルビが振ってあった。
勉強しなくても自然に自己教育できる文化、習慣があった。
こんにちTVの子供番組は字幕を工夫して子供の識字学習をサポートしているだろうか?