主要科目の学習はスムーズにいったので記憶に残っていない。
何も困難を感じなかったのは2歳年上だったことと情報過少のブラジルの田舎で一人大人の古雑誌を読み漁って隅からすみまで読み返して知識があったからだと思う。
副次的な科目は見たことも聞いたこともない未経験なモノだったのでほめられたものでなかった。
学芸会の演劇はやった経験がないのに企画から主演まで中心的な役割を押し付けられ嫌々こなした。
演題はウイリアムテルだったと想う。
書道は書き順があることすら知らないので満足に書けたことがなかった。
絵画も例外ではなかった。
屋外写生が多かった。
町外の寺の境内で食べた弁当がおいしかった。
工作は何でもこなした。
竹ひごを削り立派な鳥かごをつくるのが流行った。
竹馬も作った。
ブラジルではおもちゃはすべて手作りしていた。
たとえば凧もつくったし野鳩を捕る仕掛けから車輪付きの箱車も作った経験があった。
また隣家の日本人のお兄さんはトレーラを作って動かしていた。
車軸に鉄板ばねまでつけて車台を支えていた。
体育では耐寒校外マラソンがダメだった。
帰りにばてて二度とイヤだと思った。
野球にいたってはそんな競技が有ることすら知らなかった。
そして音楽。
唱歌を歌うのは楽しかったが音符には無知だった。
そして生涯一度も音学教育を受けたことがない。
こう振り返ってくると、常人には体験と学習がいかに大事か強調できる。
少なくとも一方は必要である。
世の中には一見一聞しただけで会得してしまう天才がいる。
私のような普通の日本人は中国の客家の家訓を噛み締めるべきだ。
百聞は一見にしかず、百見は一験に如かず
この名言の所在を教えてくれた少年サッカー指導の先達・近江達先生が正月に逝去された。
謹んでご冥福をお祈りします。
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