自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

大学時代/セクトの記憶

2016-04-07 | 体験>知識

ブントは共産党の学生党員が共産党を革命政党と認めないところから出発した。
たがいに相手をスターリニスト、トロツキストとよび敵視した。
ノンポリ(無所属)からいきなりブントに入ったわたしは党派意識が薄かった。
社共をひっくるめて日和見主義とみなし運動が高揚すると体制側に屈する存在として共産党を敵視というより軽視していた。
だから共産党員、民青同盟員に働きかけてオルグする気にもならなかったし対話したこともなかった。
ところが・・・
学部時代のある日、学生部の心理カウンセリング室に呼び出された。
同学年のAが自殺をはかり附属病院に入院している。
「本人の指名だから引受人になってやれ」
Aは知らぬ仲ではなかった。
予備校で顔を合わせていたのか、Aが反主流派の活動をする前から面識があった。
Aを私の下宿に引き取って1,2週間療養させた。
わたしは始終聞き役に徹した。
Aは占領下の沖縄からの「留学生」だった。
沖縄の厳しい現実(としたり顔にいうがわたしは沖縄の現実を体感したことがない)彼を共産党員にした。
ところが安保闘争で共産党の日和見主義が露呈しかれは失望した。
しかし党を抜けたいが抜けられない事情があった。
兄弟姉妹の誰かが米軍基地に勤務していた。 
かれが離党したら、そのうえ新左翼に鞍替えしたら、裏切り者として、身分を暴露されるかもしれない。
共産主義者を身内に持つとわかったら身内が米軍に解雇される。
これがAが睡眠薬を大量に服用して自殺を図ったいきさつだった。
わたしの保護が必要でなくなってAは茨の道に戻った。
卒業後は研究者の道に入ったようだ。
Aが自殺を図った事実をどちらのセクトも知らない。

新左翼が分裂し血の抗争を重ねて青年の政治的アパシーを招くのはこれから数年後である。
SECTとSEXは語源を同じくし原義は「分ける」である、とネット上に出ていた。
夫婦喧嘩は犬も喰わないというが、セクトの争いは政権を喜ばせるだけだ。



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