自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

2.26事件/玉・民衆・剣/一体化した全体主議の成立

2018-11-05 | 近現代史

  河野司◇編二・二六事件 獄中手記・遺書1972年 河出書房新社

2.26事件に至って期せずして国体の新たな姿が露わになった。それは、青年将校たちが抱いていた国体の理想の光景を完全に裏切るものだった。国体明徴目的が国体暴露結果となってしまった。
かれらがイメージしていた国体は、天皇と国民が何のへだてもなく慈しみ合う「一家団欒」であった。大西郷の敬天愛人に通じるユートピアである。かれらはこのへだたりを取り除けば天皇と国民と軍部の意識改革、精神革命が発動すると信じ、自分たちの役割は維新の端緒を開くことだと誇負した。
忠君愛国の空気を吸って教育を受けた軍人として当然の成り行きであるが、かれらがたのみにしたのは天皇の大慈悲と大権、国軍の武威と将軍の帷幄上奏権であった。即弾圧につながる社会運動と関わることは戦略上タブーであった。マホメットはみずから左右にコーランと剣を手にしていたらしいが、青年将校たちはマホメットと違って他力本願であった。
目的達成のためには、天皇は判断を誤らない無謬の存在=現人神でなければならず、信頼度に不安がある軍閥の将軍に上奏を頼まねばならなかった。へだたりをなくすためにへだたりを利用しなければならず、あまつさえ機関たる天皇の大権と皇道派将軍の領袖に頼るほかなく、結果的に意に反する天皇崇拝と無条件服従の完全閉塞的な全体主義体制を招いてしまった。
もともと接近することさえタブーであった民衆運動は治安維持法の発動により共産党が壊滅した1933年以後衰退しつつ体制に吸収されていった。
軍部主導の国政を企図する幕僚たちにとって昭和維新を標榜する青年将校は獅子身中の虫であった。軍部は事件を奇貨として「内部の内部は外部」すなわち敵である、とばかり皇道派将校と直接行動志向の青年将校の粛清を内外で完遂し、同時に動乱の幻影をちらつかせて国政に対してもフリーハンドを得た。青年将校の首魁たちがつとに予言していた「幕僚ファッショ」「軍部ファッショ」*体制が現出した。
*当時も今も独裁的傾向に対して何でもかんでも「ファッショ」と呼ぶ傾向があるが、2.26事件以降の政治=軍事=社会体制の定義として適当でない。軍部主導の全体主義とすべきだ。

 確証はないが西田税作成配布の怪文書 国会図書館公開のデジタル文書

北一輝の改造法案が静的な案であり大綱であるのに対してこのパンフレットは動的な「維新革命」(著者が付けた見出し)の宣言書である。維新史に照らして「極少数者」暴発の意義を説き、設計図と気運にこだわる待機気分を批判して、西南戦争以降「背信的逆流」となった明治維新の結果を改造ではなく革命すべし、革命トハ亡国ト興国トノ過渡ニ架ス冒険ナル丸木橋ナリ、と青年将校を鼓舞扇動した。際立つ特徴を列記しておく。
・今日ノ国軍ニ統制スルダケノ価値アリヤ。  国軍を「革命的維新」の対象とする。国家ノ革命ハ軍隊ノ革命ヲ以テ最大トシ最終トス。
・古今凡テノ革命ガ軍隊運動ニ依ルハ歴史的通則 
・革命ハ暗殺ニ始マリ暗殺ニ終ル。桜田門外の変を見よ。
・「地湧ノ英雄」「下層階級ノ豪傑」「大西郷」 [敬慕と待望の表明]
・革命は「新ナル統一ノタメ絶大ナル権力ヲ有スル専制政治ヲ待望スル」
・維新ノ民主的革命ハ一天子ノ下ニ赤子ノ統一ニアリキ。明治天皇は民主革命家、専制君主、ローマ法王の「三位一体的中心デアル」
・尊王の本義とは「君民間ノ亡国的禍根[新官僚党閥、経済貴族主義]ヲ一掃シテ一天子ノ下、国民平等ノ人権」を実現すること、それはとりもなおさず「近代革命」である。
・近代武士階級の忠君は
上階級に対する拝跪と下階級に対する尊大とがセットになった封建的奴隷心である。「日本ハ速カニ此ノ封建的奴隷心ヲ脱却セザルベカラズ」 [西郷の心を想わせるくだりである]
・希クハ一切ノ對支那軽侮観ヨリ脱却セヨ・・・為メニ日本其者ガ自ラ軽侮サルヘキ白人ノ執達吏ニ堕セルノミ。[国内平等を国家間平等に敷衍]

西田税(北一輝の使徒とするにたる人物はほかに見当たらない)はまぎれもなく民主革命家である。このパンフでは、天皇は天子、国民の総代表であり主君ではない。国民は赤子で臣下ではない。君民と言い君臣と言わない。愛国と尊王はあるが忠君はない。
北と西田は民主主義者であり同時に国家主義者である。大陸政策、植民地政策ではがぜん吉田松陰以来の国家主義者が共有する国防方針とほぼ重なる主張をした。日本海と朝鮮を守るためバイカル湖以東のシベリア、アムール・沿海両州を領土化する。これは「日本帝国ノ権利」である。
北露南英の侵迫に対抗して支那の独立保全と印度独立をまっとうする。「四億萬民ヲ救済スルト共ニ南北ニ大日本ヲ築キテ黄人ノ羅馬帝国ヲ後ノ史家ニ歎賞セシメントスルカ」
領土拡張と4億万民救済の主張を著者はどう正当づけるか。西田は天意を奉じて天道を宣布する、「救済ノ佛心ト折伏ノ利剣トヲ以テ内-乱離ヲ統一シ外-英露ノ侵迫ヲ撃退スル」と記している。北の持論《持たざる者の権利闘争》を前提にしていることは明らかである。

2.26事件の前年に青年将校間に出回ったこのマニフェストは改造法案にくらべて広く読まれ影響が大きかった。すくなくとも磯部と村中をして決起のイメージ(時機をえらばず少数精鋭でテロを実行し後事を皇道派将軍と天皇に託す)を固めさせ、その精神と情熱に火を点けた。以下の叙述を通してその一端を示したい。
磯部は同志の四十九日に世の中を前より「悪く変化さした、残念だ 少しも国家の為めになれなかったとは残念千万だ」と述懐し復讐を誓った。この件kudariで磯部は「革命とは順逆不二[国賊でも忠臣でもない]の法門なり」と統帥権体制への反逆を是認した。そして反省頻りである。「大義の為に奉勅命令に抗して一歩も引かぬ程の大男児[前原一誠と西郷の名をあげている]になれなかったのは 俺が小悪人だからだ 小利功だからだ 小才子だからだ 小善人だったからだ」
村中は、磯部より控え目で磯部ほど前向きでない。「昭和維新の断行とは臣下の口にすべき言にあらず、・・・今回の挙は喫緊不可欠たるを窃に感得し、敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり、素より一時聖徳に副はざる事あるべきは万々覚悟」   村中は「不肖ノ死ハ即チ維新断行ナリ」「不肖等ハ武力ヲ以テ戦ヒ勝ツベキ方策ハナキニアラザリシナリ  敢テ コレヲ為サザリシハ  不肖等ノ国体信念ニ基クモノナリ」と遺言した。 青年将校たちが叛乱ギリギリのところで「寸止め」した苦心をわたしは納得した。 

8月31日の磯部日記、看守の中に「バクフの犬がいる」の記述を最後に、獄中からの内密の訴えは途絶えた。翌年8月19日処刑されるまで1年弱のあいだ磯部、村中、北、西田は独房で表現と文通交通の手段のないことで呻吟した。思想と思いがどう進化したか、死に様はどうであったか、まったく不明だ。幕府のやり方よりも酷い。死刑囚には知らせる権利、国民には知る権利、官憲にはそれを保障する義務があってしかるべきだ。
2.26事件で叛賊とされた一党は戦後も長らく政府機関、為政者、官憲、学者、評論家と作家に不当に扱われた。大西郷が国賊とされたことと比べることすらできないほどひどかった。それでもその精神の真実を隠蔽しつくすことはできなかった。

 



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