自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

2.26事件/大西郷と青年将校/惻隠の情

2018-11-24 | 近現代史

勝海舟が西郷を悼んだ歌   濡れぎぬを ほさんともせず子どもらの なすがまにまに果てし君かな 
[勝の言う濡れ衣:征韓論と賊魁視]

 出典  www.museum.kyoto-u.ac.jp

2.26の首魁たちは大西郷のような豪傑が出現して維新を遂行することを信じて「討奸」テロと永田町一帯と警視庁制圧に踏み切った。結果は西南の役同様一党壊滅に終わった。首魁たちと大西郷が精神と生き方で共通していたことを強調したい。断っておくが両事件を比べる意図はない。西南の役はその名の通り内戦だった。
両者の決起には精神は明確だが権力志向がない。後のことは「天意に従う、大丈夫の出現に俟つ」的な他力本願である。したがって決起後の戦略も政権構想も政策の青写真もない。クーデターの要件を満たしてないからクーデターであると断定できない。個人的な思い付きだが大塩の乱に近似している。
精神については明々白々である。両者とも東洋的惻隠の情からの決起である。惻隠の情とは何か。私には漢籍の教養がない。だから人類の属性である弱者救済の心をこのように表現する。仁のほうがわかりやすいがあえて聞き慣れない用語にして意味をしぼった。西郷の生き方を観ると孟子と陽明学の影響を強く受けていることが分かる。その孟子に「惻隠は仁の端 sokuin wa jin no hajime」とある。

惻隠の情は、人間本来に備わる性善の心である。普段は心の底に隠れていて国難、大災害等で表に出て人々の心をひとつにさせて連帯を生む。共同体の魂そのものである。阪神大震災と東日本大震災に際して各人が体験した居ても立ってもいられない気持、それから熾ったokotta一体感はその表れである。

西郷の惻隠の情は尋常ではない。
文明と未開について西郷は遺訓で言う。西洋が「実に文明なれば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己を利するは野蛮じゃ」 西郷は明治6年江藤新平(→佐賀の乱)板垣退助(→民権運動)等の征韓論に反対してみずからを使節として派遣するよう閣内工作をして閣議決定を得たが天皇の裁断で大久保、岩倉の時期尚早論に敗れて*下野した。約600名の官吏、軍人が西郷に従った。翌7年大久保政府は砲艦外交を開始、「台湾征討」「江華島事件」で武力に訴えて目的を達する。
*岩倉がおじけた三条太政大臣の代行で上奏した閣議決定文書、添付した自派のコメントを見たいが私には叶わない。
また、官と民の関係について言う。「役人に於ては、萬人の疾苦は自分の疾苦にいたし、萬民の歓楽は自分の歓楽といたし、日々天意を欺かず、其sono本に報ひ奉る處のあるをば、良役人と申すことに候。若此mosi kono天意に背き候ては即、天の明罰のがる處なく候へば、深く心を用ゆべきこと也」
これは沖永良部島で西郷が命の恩人・土持正照(與人役)に提言した役人の職分についての心得である。西郷は流刑先の奄美群島で薩摩藩による苛斂誅求と制度的収奪を体験した。サトウキビの単作強制、黒糖の専売は欧米の植民地支配と異なるところがない。青年将校たちが見聞した農村の窮迫とは次元の違う不幸である。満州事変後、勝者が満人を不幸にしていた。戦線拡大を体験した末松によれば「兵士たちは、もう居留民の権益擁護のためなら来ないよといっていた」
荒っぽい結論だが、西郷は反帝国主義の思想家、愛国者であり、青年将校は反帝に傾いた反共主義愛国者である。

西郷と青年将校は民衆の不幸に寄り添って行動した。西郷が大西郷になったのは寄り添っただけではなく是非を問わず命を預けたからである。また西郷はみずからの武威発動で犠牲なった戊辰の役における敵味方の死者にも死をもって寄り添おうと死地を求めていた。
両者とも資本主義と西欧文明、中央集権国家の仕組みと富国強兵策を否定していない。主体性のない、伝統を否定した直訳的受容の仕方、官の横暴と腐敗、利己主義と弱肉強食、都市への集中と郷土の衰退という結果に警鐘を鳴らしたのだ。
農村と都会において階級格差が深まり共同体の紐帯がゆるみ家族がばらけて一家団欒が損なわれている。青年が貧困と徴税、徴兵と徴用を背負って体を代価にして家族を支えている。上のほうでは為政者と財閥、軍閥、官僚等の特権階級が癒着し腐敗し文明と放埓を享受している。さらに我慢ならないのは国策が生んだ下積みの犠牲者を自己責任とばかり冷笑し見下し無慈悲に突き放している高位高官の無責任体制である。両者はこの体制を黙視することができなくてそれを変革する志に命をかけたのだ。

その体制は変容しつつ現代も維持されている。
戦後の矛盾が集中的に表れた沖縄を念頭に置いてみよう。中央政府に在日米軍基地と国軍基地の75%を押し付けられ地方自治を足蹴にされる沖縄は差別的統治以外のなにものでもない。本土のわれわれはエゴからその体制維持に加担している。わが身を顧みても青年将校たちと共有する精神は減衰し情熱は消えている。恥ずべきことである。
北一輝も青年将校も国民を神類に進化させる精神革命を夢想、期待してテロに訴えたが逆効果に終わった。惻隠の情は人類を人類たらしめる隠れた遺伝子である。将来ありうる核戦争で共滅しないことを願うばかりである。

 

 



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