自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

モザンビーク/ロレンソマルケス&ベイラ/取りそこねたヤシの実

2011-12-11 | 体験>知識

ロレンソマルケスはマプトと市名を変えてモザンビークの首都になっている。
当時モザンビークがポルトガルの植民地だったことは知る由もなかった。
われわれガキどもは上陸して海岸の公園で遊んだ。
日が暮れて街灯の灯りを頼りに誰彼ともなく公園の椰子の木に登って実を
取ろうとしていた。
厚く硬い殻の実を割る鉈などあるはずもないので単なるいたずらだった。
そこに白人の男性が自転車で通りかかり、何をしているか、と問うた。
もちろん木から下りてありのまま答えた。
咎めている気配がなかったので、どこから来てどこへ行くか、とかひとしきり
おしゃべりをして別れた。
何語でしゃべるか、意識の端にものぼらなかった。
言葉が通じない世界があることをまだ知らなかった。
たまたまポルトガル語で喋ったらそれが相手の母語だった。
あまりの偶然にこの出会いは年と共に印象深くなった。

当時そこに後にモザンビークの黒豹とよばれることになる9歳のサッカー少年
が居たことを大人になって記録で知った。
エウゼビオ! ペレと同時代のFWで20世紀の世界10傑に選ばれた伝説的
選手。
ポルトガルのベンフィカでプロとして活躍し727試合で715得点の記録を残し
た。
1966年、ロンドンW杯の準々決勝で破竹の勢いの朝鮮を0-3のビハインド
から5-3で覆して自らも4点とって得点王(6試合で9得点)に輝いた。
1970年夏、わたしは神戸御崎球技場で彼の爆弾シュートを目の前で見た。
左コーナー近くのゴールライン上から右足を一振り重い?球で直接決めた。
弾丸というより爆弾だった。



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