昨年紹介いたしました源氏物語絵巻を筆頭に、一度は見ておきたい、一度は遭遇しておかなければと言う貴重な宝物が日本には数多くあります。
地方にも多く所蔵されているのでお気に入りに登録して、見学の機会を狙っています。足立美術館もその一つですが、なかなか正月休みにはいけません。
昨日のNHKの日曜美術館で紹介されたのが、この「没後50年 横山大観 新たなる伝説へ」展です。場所は乃木坂の国立新美術館です。関連サイトは「横山大観展」
この美術館に行ったこともなく、思い立ったらということで今日行ってきました。
テレビの影響でしょうか。来館者が多数で、入場制限がされていました。
作品は、大観の学生の頃の模写図から始まり昭和30年の作品まで75点、と彼に影響を与えたとされる尾方光琳作の槇楓図屏風ならびに中国13世紀南宋時代の作品2点の作品でした。ボストン美術館からの里帰り作品も混じっています。展示期間に前後期があり、見られないのもあります。
私のようにまったく横山大観の予備知識のないものでも、見たことのある絵がたくさんありました。
例えば『屈原』、『無我』(2月11日までの展示で見られず)、『群青富士』、『霊峰飛鶴』等です。もっともっとありましたが、筆記用具は出してはいけないと思い前半は鑑賞するだけでした。後半チェックをしている人たちがいて、私もまねをしました。
また圧巻は、全庁40メートルの『生々流転』の一挙公開でした。これは並んで最前列の付きましたので、最後までじっくり鑑賞できました。『四時山水』も20メートルを越える巻物で、楽しめました。
予備知識がないので今回初めて、音声ガイドシステムを500円で借りました。見方から作成の背景まで詳しく説明され大変参考になりました。
源氏物語のときは2度観したのですが、今回は1週するだけで2時間掛かりました。とてももう一度は無理でした。公式図集は2400円もするので、『瀟湘八景』クリアーファイルを買ったのでした。
これで島根県安来市の足立美術館には行かなくてもすむかもしれません。
私が個人的に気に入ったのは『海に因む十題のうち、6作品』、『正気放光』『春光る(樹海)』等でした。海の絵が気に入りました。

外側の敷地が小さく、特徴ある建物の全景が撮影できません。

まったく変な話で、1400円も入場料を払っても、出品リストしかくれません。
途中で気が付いて、鑑賞後ロビーの案内コーナーへクレームを付けたら、これともう一枚出てきました。やはり記念に、色の付いたリーフレットは誰でも欲しいとこではないでしょうか。
地方にも多く所蔵されているのでお気に入りに登録して、見学の機会を狙っています。足立美術館もその一つですが、なかなか正月休みにはいけません。
昨日のNHKの日曜美術館で紹介されたのが、この「没後50年 横山大観 新たなる伝説へ」展です。場所は乃木坂の国立新美術館です。関連サイトは「横山大観展」
この美術館に行ったこともなく、思い立ったらということで今日行ってきました。
テレビの影響でしょうか。来館者が多数で、入場制限がされていました。
作品は、大観の学生の頃の模写図から始まり昭和30年の作品まで75点、と彼に影響を与えたとされる尾方光琳作の槇楓図屏風ならびに中国13世紀南宋時代の作品2点の作品でした。ボストン美術館からの里帰り作品も混じっています。展示期間に前後期があり、見られないのもあります。
私のようにまったく横山大観の予備知識のないものでも、見たことのある絵がたくさんありました。
例えば『屈原』、『無我』(2月11日までの展示で見られず)、『群青富士』、『霊峰飛鶴』等です。もっともっとありましたが、筆記用具は出してはいけないと思い前半は鑑賞するだけでした。後半チェックをしている人たちがいて、私もまねをしました。
また圧巻は、全庁40メートルの『生々流転』の一挙公開でした。これは並んで最前列の付きましたので、最後までじっくり鑑賞できました。『四時山水』も20メートルを越える巻物で、楽しめました。
予備知識がないので今回初めて、音声ガイドシステムを500円で借りました。見方から作成の背景まで詳しく説明され大変参考になりました。
源氏物語のときは2度観したのですが、今回は1週するだけで2時間掛かりました。とてももう一度は無理でした。公式図集は2400円もするので、『瀟湘八景』クリアーファイルを買ったのでした。
これで島根県安来市の足立美術館には行かなくてもすむかもしれません。
私が個人的に気に入ったのは『海に因む十題のうち、6作品』、『正気放光』『春光る(樹海)』等でした。海の絵が気に入りました。

外側の敷地が小さく、特徴ある建物の全景が撮影できません。

まったく変な話で、1400円も入場料を払っても、出品リストしかくれません。
途中で気が付いて、鑑賞後ロビーの案内コーナーへクレームを付けたら、これともう一枚出てきました。やはり記念に、色の付いたリーフレットは誰でも欲しいとこではないでしょうか。
書棚のCDを整理していましたらこんなCDが出てきました。「八王子市資料館」に八王子車人形を調べにいったとき、ついでに買ったものです。1000円でした。
以前から北条氏照に関心がありまして、当然彼が築城した八王子城の城址にも行ってみたいと思っていました。軽い気持ちで下調べと、本調査報告書のCDを購入したのですが、これがなんと本物の調査報告書ででした。550~60頁はありその内500頁を越える部分が発見された遺物などの正確な図で示されたものです。
皿のかけらから曲がった釘まで一つ残らず記録され、遺跡調査の本当の大変さを痛感したものです。
八王子城は、小田原城攻めに来ていた豊臣・徳川連合軍に攻撃され半日で落城、立て篭もった城兵、女子供千数百人が惨殺されたのです。秀吉の命令でそのときの城は徹底的に破壊尽くされ、遺跡としてこれほどまともな遺物が発見されないのも珍しいそうです。城主氏照はこのとき小田原城にいて号泣したそうです。秀吉は氏照とその子氏政切腹させています。
その後八王子城は徳川幕府の天領となり長く禁制地となって立ち入りが禁じられていました。
で、その場で資料館の「八王子城址勉強会」の申し込み、04年12月17日に訪問したのです。そのときの写真を一寸お見せします。4年前ですから現在とは違うところがあるかもしれません。

御主殿に向かう曳き橋
左から右へ渡り、櫓門跡へ向かいます。

櫓門跡から続く石段、登って左に回りこむと御主殿跡になります。

広大な御主殿跡。遺跡調査後完全に埋め戻され、その跡は思い浮かべられません。
御主殿とは城主の住居のことで、いわゆる天守閣は後部の山の頂上に、小さな社があるのみです。

これが有名な「御主殿の滝」
落城時に城内の女性が身を投げて、下流の川が三日三晩赤く染まったと言われる滝壺です。が、ご覧のとおり狭く低いので「これが?」と思ってしまいます。
北条討伐の見せしめと、氏照の関東における人望に恐れを抱いた秀吉軍の徹底的な殺戮が行われたのですから、関東でも有数の心霊スポットになっているのです。
私は各所に立てられた慰霊碑に目礼をしながら見学を終えた記憶があります。
なお八王子城址は国史跡でありまして、先ほどチェックしましたら曳き橋は改修中で2月一杯通行止めになっていました。
以前から北条氏照に関心がありまして、当然彼が築城した八王子城の城址にも行ってみたいと思っていました。軽い気持ちで下調べと、本調査報告書のCDを購入したのですが、これがなんと本物の調査報告書ででした。550~60頁はありその内500頁を越える部分が発見された遺物などの正確な図で示されたものです。
皿のかけらから曲がった釘まで一つ残らず記録され、遺跡調査の本当の大変さを痛感したものです。
八王子城は、小田原城攻めに来ていた豊臣・徳川連合軍に攻撃され半日で落城、立て篭もった城兵、女子供千数百人が惨殺されたのです。秀吉の命令でそのときの城は徹底的に破壊尽くされ、遺跡としてこれほどまともな遺物が発見されないのも珍しいそうです。城主氏照はこのとき小田原城にいて号泣したそうです。秀吉は氏照とその子氏政切腹させています。
その後八王子城は徳川幕府の天領となり長く禁制地となって立ち入りが禁じられていました。
で、その場で資料館の「八王子城址勉強会」の申し込み、04年12月17日に訪問したのです。そのときの写真を一寸お見せします。4年前ですから現在とは違うところがあるかもしれません。

御主殿に向かう曳き橋
左から右へ渡り、櫓門跡へ向かいます。

櫓門跡から続く石段、登って左に回りこむと御主殿跡になります。

広大な御主殿跡。遺跡調査後完全に埋め戻され、その跡は思い浮かべられません。
御主殿とは城主の住居のことで、いわゆる天守閣は後部の山の頂上に、小さな社があるのみです。

これが有名な「御主殿の滝」
落城時に城内の女性が身を投げて、下流の川が三日三晩赤く染まったと言われる滝壺です。が、ご覧のとおり狭く低いので「これが?」と思ってしまいます。
北条討伐の見せしめと、氏照の関東における人望に恐れを抱いた秀吉軍の徹底的な殺戮が行われたのですから、関東でも有数の心霊スポットになっているのです。
私は各所に立てられた慰霊碑に目礼をしながら見学を終えた記憶があります。
なお八王子城址は国史跡でありまして、先ほどチェックしましたら曳き橋は改修中で2月一杯通行止めになっていました。
新入社員として入社したとき、私の隣に座っていた、ですから最初の先輩。学究肌の方で営業として最低限知っておかなければならない当社の技術は、この本とこの本を買ってきて読みなさいと教えてくれました。そして毎日10問の宿題が出ました。お陰で人より早くこの非常に特殊な技術の世界を理解できたのでした。
その先輩が亡くなり、今日告別式がありました。ネットで確認すると式場のお寺は我が家と同じ宗派でありましたので、菩提寺で頂いた半袈裟をつけて、正装で参列させていただきました。OBがたくさん参列され良いお葬式でした。
で、今日のお話。
①「今どこにいますか」
ある先輩に声をかけられました。当然すんでいるとこと思いM市ですと答えました。ところが、そうではありません。十年ぶりになるOBたちが久しぶりに会うのですから、今どこの会社或いは業界団体など勤めているかということでした。
こっそり近づいて確認すると、やはり勤め先を聞いたとの事でした。私の生活環境が皆さんと一寸違っているようです。愕然。
②「まんげ経?」
その先輩と出棺までの間の時間に、雑談。
私「私は今、万華鏡を作っています」
先輩「まんげ経?まんげ経を書いているのですか?」
私「え?そうではなくてカレイドスコープです」
先輩「え、なんですか?」
式場で半袈裟をつけていた私を見てそう考えたそうです。結局、身振りで説明することになってしまいました。官庁相手に非常に特殊な技術を受託生産する会社の営業マンが万華鏡を作っているなんて、想像がつかなかったのでしょう。
この先輩は、勤めていた会社でも1,2を争う学者で、そのうえ私が昔担当していた社内報に連載エッセイ風な読み物を1年近く掲載してくれた趣味人でもありました。
その先輩から「まんげ経」と言われてしました。一般的に言って関心がないことは、その情報を選択しないこになります。もっとも私も知らない事だらけである事は自覚しています。したがって私の場合、広く浅くとなってしまいます。少なくとも一つのことを50年くらい追求し続けていれば、人生も変わっていたかもしれません。
でも、酉年生まれです。広く浅くは性分です。
でもでも「まんげ経」にはショックな一日でした。
その先輩が亡くなり、今日告別式がありました。ネットで確認すると式場のお寺は我が家と同じ宗派でありましたので、菩提寺で頂いた半袈裟をつけて、正装で参列させていただきました。OBがたくさん参列され良いお葬式でした。
で、今日のお話。
①「今どこにいますか」
ある先輩に声をかけられました。当然すんでいるとこと思いM市ですと答えました。ところが、そうではありません。十年ぶりになるOBたちが久しぶりに会うのですから、今どこの会社或いは業界団体など勤めているかということでした。
こっそり近づいて確認すると、やはり勤め先を聞いたとの事でした。私の生活環境が皆さんと一寸違っているようです。愕然。
②「まんげ経?」
その先輩と出棺までの間の時間に、雑談。
私「私は今、万華鏡を作っています」
先輩「まんげ経?まんげ経を書いているのですか?」
私「え?そうではなくてカレイドスコープです」
先輩「え、なんですか?」
式場で半袈裟をつけていた私を見てそう考えたそうです。結局、身振りで説明することになってしまいました。官庁相手に非常に特殊な技術を受託生産する会社の営業マンが万華鏡を作っているなんて、想像がつかなかったのでしょう。
この先輩は、勤めていた会社でも1,2を争う学者で、そのうえ私が昔担当していた社内報に連載エッセイ風な読み物を1年近く掲載してくれた趣味人でもありました。
その先輩から「まんげ経」と言われてしました。一般的に言って関心がないことは、その情報を選択しないこになります。もっとも私も知らない事だらけである事は自覚しています。したがって私の場合、広く浅くとなってしまいます。少なくとも一つのことを50年くらい追求し続けていれば、人生も変わっていたかもしれません。
でも、酉年生まれです。広く浅くは性分です。
でもでも「まんげ経」にはショックな一日でした。
「なんでも鑑定団」がわが町にもやってきます。最も好きなTV番組の一つです。まだ数ヶ月先ですが、観覧希望の電話受付が今日の12時から始まりました。
思い出したのが13時過ぎで、あわてて市のコールセンターに電話しました。もちろん繋がりません。ガイダンスがごちょごちょ言っていましたが、無視してそのまま待っていると、それでも3分ぐらいで繋がりました。
結果はすでに定員オーバー、キャンセル待ちは61番目だそうです。キャンセル待ちが大嫌いな私は、TV観覧に変えたのでした。
出品者という手もありますが、我が家にはそんなものはありません。落胆です。
「なんでも鑑定団」といえば以前、04年の2月と9月に2時間のSP番組がありました。
一般参加者がオークションで、これまた一般からの提供されたお宝を買うと言った番組でした。私は2つとも幸運にも参加できまして、オークションに望んだのですが、お金持ちの方々が多くいらして、のまれてしまい声すら出せませんでした。
この頃色々な番見に参加するのに凝っていまして、賞金稼ぎもした楽しい時代でした。
思い出したのが13時過ぎで、あわてて市のコールセンターに電話しました。もちろん繋がりません。ガイダンスがごちょごちょ言っていましたが、無視してそのまま待っていると、それでも3分ぐらいで繋がりました。
結果はすでに定員オーバー、キャンセル待ちは61番目だそうです。キャンセル待ちが大嫌いな私は、TV観覧に変えたのでした。
出品者という手もありますが、我が家にはそんなものはありません。落胆です。
「なんでも鑑定団」といえば以前、04年の2月と9月に2時間のSP番組がありました。
一般参加者がオークションで、これまた一般からの提供されたお宝を買うと言った番組でした。私は2つとも幸運にも参加できまして、オークションに望んだのですが、お金持ちの方々が多くいらして、のまれてしまい声すら出せませんでした。
この頃色々な番見に参加するのに凝っていまして、賞金稼ぎもした楽しい時代でした。
時々、偶然にすばらしい番組に出会います。先ほど観終わったところです。感激を伝えたく予定を変更して報告します。
NHKの総合で4時から5時半までの放送でした。頭を見落としたので再放送待ちです。
番組内容『文楽三味線の第一人者・鶴澤清治(63)が、長年共演することのなかった人間国宝・竹本住太夫に難曲「阿古屋琴責」で挑む大舞台までの二ヶ月を追ったドキュメント』だそうです。
文楽自体は昔若い頃1度観たことがありますが、それ以来まったく別世界のものでした。
ですが、十年位前から「八王子車人形」を見るようになって、義太夫・浄瑠璃、新内などの人間国宝の演者を聴く機会が多少ありました。そんな意味で彼らの芸の世界を興味深く見ることができました。
なぜ三味線第一人者と人間国宝が長年共演することがなかった。それが話題になるのか。
義太夫の世界には大きく二つの流れがあり、それぞれの名人が芸を競っているとの事。
太夫と三味線は夫婦のようなものだが、この芸の世界ではどちらかが芸の先輩となる、で伝統の芸がどう継承されていくか、それが目の前で展開していきます。
今回の場合は、人間国宝竹本住太夫が82歳、鶴澤清治が62歳まったく違います。先輩後輩の立場ですが、芸の上での妥協はしない、そんな真剣勝負が展開しました。住太夫が清治を評して「彼はまだ60歳だ。これからだ」というシーンがありました。芸事の世界を覗いた気がします。
竹本住太夫は長年この難曲を演じることを断ってきたそうで、もう2度と演じないとも行っていました。最初で最後の公演になりそうです。
たった一日の国立劇場の公演ですが、文楽人形は使わず、こう言うのを素浄瑠璃というそうです。まったくごまかしの効かない二人の掛け合いです。観てみたかったですが、一時間で売り切れだそうです。
なんか得をした日曜日の夕方でした。
NHKの総合で4時から5時半までの放送でした。頭を見落としたので再放送待ちです。
番組内容『文楽三味線の第一人者・鶴澤清治(63)が、長年共演することのなかった人間国宝・竹本住太夫に難曲「阿古屋琴責」で挑む大舞台までの二ヶ月を追ったドキュメント』だそうです。
文楽自体は昔若い頃1度観たことがありますが、それ以来まったく別世界のものでした。
ですが、十年位前から「八王子車人形」を見るようになって、義太夫・浄瑠璃、新内などの人間国宝の演者を聴く機会が多少ありました。そんな意味で彼らの芸の世界を興味深く見ることができました。
なぜ三味線第一人者と人間国宝が長年共演することがなかった。それが話題になるのか。
義太夫の世界には大きく二つの流れがあり、それぞれの名人が芸を競っているとの事。
太夫と三味線は夫婦のようなものだが、この芸の世界ではどちらかが芸の先輩となる、で伝統の芸がどう継承されていくか、それが目の前で展開していきます。
今回の場合は、人間国宝竹本住太夫が82歳、鶴澤清治が62歳まったく違います。先輩後輩の立場ですが、芸の上での妥協はしない、そんな真剣勝負が展開しました。住太夫が清治を評して「彼はまだ60歳だ。これからだ」というシーンがありました。芸事の世界を覗いた気がします。
竹本住太夫は長年この難曲を演じることを断ってきたそうで、もう2度と演じないとも行っていました。最初で最後の公演になりそうです。
たった一日の国立劇場の公演ですが、文楽人形は使わず、こう言うのを素浄瑠璃というそうです。まったくごまかしの効かない二人の掛け合いです。観てみたかったですが、一時間で売り切れだそうです。
なんか得をした日曜日の夕方でした。