世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン
関連遺産」の構成遺産のひとつである
「天草の﨑津集落」のシンボル。
1934年、ハルブ神父と住民の寄付により
建てられましたが、資金不足により、
途中で木造に切り替えられたため、
灰色のコンクリート部分と白色の木造部分が
混在する特殊な教会堂となりました。
建設当初から日本の生活様式が取り入れられ、
堂内は、畳敷きで座ってミサが行われていました。
﨑津集落の潜伏キリシタンは、表向きは仏教寺院の所属、
地域の守り神である﨑津諏訪神社の氏子となり、
吉田庄屋役宅で「絵踏」を行い、
キリシタンではないように振る舞いました。
キリスト教信仰が発覚した1805年の「天草崩れ」の際、
これらの信仰形態を取り調べた幕府は、
彼らの信仰を「心得違い」として黙認しつつ、
引き続き「絵踏」を実施しました。
現在の教会堂は、ハルブ神父の強い願いにより、
復帰の象徴として「絵踏」が行われた
吉田庄屋役宅のあった場所が選ばれました。
教会拝観は事前予約が必要、館内の撮影禁止。
熊本県天草市河浦町﨑津539
2023.12.11
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