廃藩置県により1873年に取り壊された大手門を
1978年に樹齢100年の飫肥杉を用いて、
飫肥城のシンボルとして復元。
門前は、城下町らしい風情が漂います。

飫肥城は南北朝時代に、
土持氏が築城したのが始まりと伝えられ、
飫肥院とも呼ばれていたとか。

1458年、九州制覇を狙う薩摩の戦国大名島津氏が、
日向の中・北部で鎌倉時代から勢力を
蓄えてきた伊東氏の南下に備えて、
島津氏の一族で志布志城主・新納忠続を入城させました。

島津氏と伊東氏の長きにわたる争奪戦を経て、
1588年伊東氏が城主となります。
近世城郭の体裁が整ったのは、その百年後、
本丸、中の丸、松尾の丸など多くの
曲輪に分かれていました。

飫肥城は、シラス台地の特性を生かして
城壁となし、堀や曲輪、石垣をもうけていました。
江戸時代、伊東家五万一千石の飫肥城。
写真は、飫肥城歴史資料館。(有料)
日本100名城スタンプはこちらにあります。

伊東祐兵は、領内にスギ(飫肥杉)の植林事業を興します。
これが幕末まで飫肥藩の財政を支える礎となりました。
別名:舞鶴城
種別:平山城
築城者:土持氏、伊東祐実
築城年:1686年
主な城主:土持氏、新納氏、伊東氏
宮崎県日南市飫肥10-1-2
2023.12.13
