飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

JHFを作った「男爵 宮原旭氏」について。

2014-07-10 07:57:28 | ハング(hangglider)

ここ近年、私はJHF(日本ハング・パラグライディング連盟)からの依頼で、毎年琵琶湖で開催される鳥人間大会のお手伝いをさせていただいておりますが、その現場でともに仕事をしている審査員の先生の方々がよく話されるのは、「JHFを作った男爵(宮原旭氏)はすごいひとだったんだよ~」というお話‥。

宮原氏については、私がハングを始める前に亡くなられた方のため、残念ながら面識がないのですが、それでも、JHFを作った方、JAA(日本航空協会)に所属し、飛行機好きであったことぐらいは知っていました。

この宮原旭氏。先にもお話したようにJHFの設立に大変貢献された方ですが、その経歴をあらためて調べてみると、たしかに面白い方なのです。

今回は、そんなJHF設立に貢献された宮原旭氏についてご紹介いたします。

宮原旭氏は、JAAの中では「男爵」とあだ名されていました。

これは、実は戦前までは本当に男爵だったからです。

宮原氏の説明をするうえで、その話を分かりやすくするために、まずはこのヘンから話を始めた方が良いと思います‥。

Photo

この方、宮原旭氏のおじい様になる宮原二郎という方です。

海軍に所属された方で、「宮原式水管缶」の発明者です。

水管缶とはボイラーのこと‥。

ボイラーと言っても、お湯を作ったり空調に使ったりするものとは違い、蒸気タービンエンジンの動力を作る装置を発明されています。

この当時の高性能な艦船は、蒸気タービンエンジンを使うのが主流でした。

そして、その蒸気タービンエンジンの動力の源になるのが、水管缶になるのです。

この宮原式水管缶。それまでの水管缶よりも大変性能が優れていたため、実はあの日露戦争で大活躍したのだそうです。

念のためですが、日露戦争は日本とロシアとの戦争で、大国ロシアが持つ世界最強の艦隊「バルチック艦隊」に、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊が日本海海戦で 勝利した戦争です。

ロシアはバルチック艦隊を失ったことで、降伏せざるを得なくなり、それまでのようにまわりの弱小国に不平等な条約などを結ぶことが出来なくなったため、とりわけ、トルコや北欧の国々は喜んだとも言われています。

この日露戦争の日本海海戦の勝利は、東郷平八郎の判断力と日本艦隊の機動力が高かったためと言われていますが、この日本艦隊の機動力を高めた主な理由が宮原式水管缶だったのです。

日本はこの功績に対し、JHFを作った宮原旭氏のおじい様の宮原二郎氏に対し、感謝の意を込めて男爵の爵位を授けたのです。

そして、そんな貴族の家に生まれた宮原旭氏は、飛行機に興味を持ち出し、その裕福で恵まれた環境の中で、様々な活動を行い、JHFも作ることになったのです

そのへんの活動のご紹介についてはまた次回!

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