飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

特攻グライダー「神竜」と頓所好勝氏。その詳細について分かりました。

2015-01-18 18:26:30 | 日記(diary)
頓所好勝氏…。



この方、戦前にわずか18才で世界的にも最高レベルのハンググライダーを作られた方です。

下がその時に作った「頓所1号」の三面図です。



この方については以前このブログでもご紹介しましたが、実はこの頓所氏、太平洋戦争中に特攻グライダー神竜という兵器

の開発を、海軍の要請で手掛けています。

この神竜は、太平洋戦争末期アメリカ軍が日本に上陸することを想定して、波打ち際で特攻攻撃しその上陸を阻止することを目的として開発

されていたもので、幸い使用される前に終戦を迎えたため、この神竜の犠牲者はいませんでした。



当時戦局が悪化した日本は、みなさんもご承知のように特攻が盛んにおこなわれ、パイロットのほとんどが戦死してしまっていたため、パイ

ロット予備軍となっていたまだ年若い予科練生を特攻人員としてつかうことが考えられました。

そこで考案されたのがこの神竜なのです。

予科練生はそのほとんどがグライダーが操縦できたため、そのグライダーに固体燃料のロケットエンジンを積み、100キロ爆弾とともに敵に体

当たりさせるという今では考えられない非人道的兵器でした。

…。と、ここまでは頓所好勝氏の人生を紹介した書籍、佐野寿人著「マイウイング」に書かれているのですが、それでは実際にその特攻グラ

イダー神竜がどこで誰が作り、そしてテストされていたのかなどの詳細までは分からなくなっていました…。

このことについて、わたしはとても心に引っかかるものを感じてましたが、先ごろ本当に偶然にもそして幸運にもこの「神竜」について

ご存知の方にお会いすることが出来ました。

その方のお名前は屋口正一氏

現在石岡市在住。

昭和5年生まれ。学徒動員で土浦で海軍の戦闘機の修理を手掛けられ、戦後は戦中の資料などを集め保存する活動をされています。



この屋口氏より特攻グライダー神竜についてさらに詳しいお話を伺うことが出来たのでご紹介いたします。

この神竜。海軍の要請で逓信省が開発していますが、そこで実際に設計にあたったのが18才で世界最高レベルのハンググライダーを作った頓所

好勝氏。

そして、この神竜がテストされたのが、茨城県石岡市の半ノ木地区にあった大日本飛行協会中央滑空訓練場であったことが、今回屋口氏とのお

話で確認出来ました。

ここは戦中盛んにグライダーが飛ばされ、パイロットの養成や社会に対するデモンストレーション、そして、グライダーの開発も目的として

運用されていた滑空場です

当時は多くの練習用グライダーなどがおかれていましたが、その中にはグライダーの本場ドイツより輸入した高性能機「オリンピアマイゼン」

が2機(登録番号001および003)おかれており、華々しく飛行していたそうです。

そして、神竜が製作されたのは、現在石岡市の府中中学校がある場所。

ここには当時美津濃グライダー製作所(あのスポーツ用品メーカーの美津濃のグライダー製作部門だそうです。)があり、国産の数多くのグライ

ダーが製作されていましたが、そのなかで神竜も製作されたそうです。



写真Aの場所が美津濃グライダー製作所(現府中中学校)。そして、Bの場所が大日本飛行協会中央滑空訓練場(現帝京大学グラウンド)になりま

す。


神竜はこの場所で開発された後、鹿島の海岸に配備される予定だったそうで、屋口氏の話では後に実際に特攻攻撃が予定されていたその鹿島で

も飛行がおこなわれたそうです。

その飛行について、実際にロケットエンジンを点火しての飛行だったかただの滑空テストだけだったかは屋口氏はご存知なく、それについて

知っていた方は既に他界されているとのことでしたので、現在は確かめることができませんが、わたしが考えるに滑空テストではかえってウイ

ンチやゴム索などの設備が必要なため、ロケットエンジン点火での飛行だった確率が高いと思います。



今回幸運にも屋口氏に出会え、特攻グライダー神竜のその詳細についてお話を伺うことができましたが、話の中でさらに興味深いことを屋口氏

よりお伺いすることが出来ましたので、それについては次回ご紹介致します。



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